授業の基本

南極授業が授業であるために22

南極授業なのに、
なぜ富山なのか。

そこが、実は、
南極授業が授業であるために
重要な部分なのである。

南極授業なのに
南極でないことが重要だ、
ということは
おそらく普通は
すんなりとは理解してもらえない部分だと思う。

そもそも授業とは、
誰かに何かを教えてあげる、というものではないはずだ。
もしも、そういう気持ちで授業をしているとしたら、
子どもの前に立つべきではない。
(仮に完璧にそう思えなくても、
 そういう気持ちを忘れないで教壇に立とうと心がけるだけでいい。)

それが、授業の基本中の基本。

実は、南極素人の私が、
南極授業をするということに
不安は山ほどあったが、
「南極を教えるために」南極授業をしているわけではない、
という授業の基本だけは
いつも忘れずにいたつもりだった。”… 続きを読む...

新たな概念の形成

南極授業が授業であるために19

お二方のご登場は、
子どもにとっては
「矛盾」そのものだった。

一見、富山から遠く離れた南極に、
実は切っても切れない「ご縁」がある、
という「矛盾」である。

この矛盾が、後に
子どもたちの素朴概念を覆すことになるのだが、
もっと大事なことは、
矛盾によって素朴概念が崩された後に
新たな概念が形成される場があることの方である。”… 続きを読む...

本物の魅力

南極授業が授業であるために18

私の「南極授業」の大きなテーマに
「富山と南極のつながり」を据えたのは
そんな理由からだった。

すぐに私は、
第1次隊員の佐伯さんや、
立山氷河が認定にご尽力されたI学芸員さんの
ご協力を請うことにした。

子どもたちにとって
目の前に“本物”がご登場されることほど
魅力的なことはない。

新たな概念を子どもの心に刻み込み、
子どもの思考を組み替えるように働きかけることができるのは、
おそらくこの方々以外にない。

授業とは、
何かをわかりやすく教えることではなく、
これまでにない概念が子供の中に形成されること、
そう常々思っている。
 ”… 続きを読む...