タブレット端末その後

タブレット端末を使った授業のその後。

あれからほぼ毎日、
手をかえ、
品を変え、
失敗を繰り返している。
いつか、
よりよい授業作りのために
真にタブレット端末が活躍するよう
そのヒントを手探りしている。

沸騰実験の様子を
動画で録画しておき、
そのときの新鮮な発見やつぶやきを
後日、結果を話し合う場で再登場させる試み。
単調になりがちな
各班の結果の発表が、
臨場感たっぷりの場になった。
沸騰するまでの過程で、
「小さな泡が出てきた」
「上の方に水滴がついてきた」
「大きな泡がいくつも出てきた」などという気づきがあったが
その変化の過程を
互いに共有しやすくなった。

ただし、
「小さな泡」「上の方の水滴」「大きな泡」
というつぶやきに立ち止まれなければ、
あるいは、
それら宝石のようなつぶやきを生かせなければ、
タブレット端末の映像があっても
何の役目も果たすことができない。

受粉の学習の事前に、
花に集まる虫たちを録画しておき、
後で
受粉のしくみにせまる局面で再生する試み。
ぎざぎざした花粉が、
虫たちによって運ばれるということは、
イメージにたよりがちだった場面だったが、
実際に花に集まる虫たちの様子と重ねることで、
花と虫たちの意外な関係を知ることにつながった。
「えっと、あれはたしか、オナモミだっけ」という発言があると、
すぐにweb上にあるオナモミの映像を取り上げることで、
「あ〜、たしかにオナモミと花粉はにているね」となった。

ただし、
「オナモミだっけ」
というつぶやきの意味するところを迷わず取り上げなければ、
あるいは、
生活体験を想起して目の前の事象を意味づけるという行為の素晴らしさを感じなければ、
タブレット端末の機能が優秀でも
何の役目も果たすことができない。

タブレット端末という最先端のものを授業で使おうとすればするほど、
子どもの発言の輝きをできる限り聞き逃さないという
授業者として極めてベーシックな姿勢を
もっとしっかりと身につけなければならないと感じてしまう。…
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見えない仕事

3年社会科「スーパーマーケットで働く人」

今日の授業の入り口には、
スーパーマーケットの仕事を
勢いよく語る子どもがいた。

今日の授業の出口は、
スーパーマーケットの見えない仕事が
気になってきた子どもがいた。

では、その過程の45分間には一体何があったか。

まず、近所のスーパーの品物たちの写真があった。
品物は整然と並べられ、値札はわかりやく貼られていた。
また、店内の動画もあった。
遠くに見える様々なコーナーや、片隅で働く人の姿も映っていた。
その資料や事実から、子どもたちは、
減ってきた品物を補充する仕事や、タイムサービスをしたりする工夫などを想像した。
(と、ここまでが、授業の入り口)

次に、そんな仕事をする店員さんは
きっと30人、いや、50人いると、言い出した。
しかし、さっきの映像には、
店員さんらしき人は2〜3人しか映っていない。
そこから、子どもたちは考えた。
残りの大半の人はスーパーの裏側にいるんだよ。
そうだよ。
(と、ここが授業のターニングポイント)

T:スーパーの裏側にいる人は
  本当に、スーパーで働く人と言えるの?
(と、これが中心発問)

言えるよ、だって、たくさんの荷物を運んでいるんだから。
それに、できたての料理を作っているんだから。
それに、掃除をすることもあるよ。
それに、レジをうったりもしなくちゃね。
そうだよ、いろいろなことをしたり。。。。。
ん?いろいろなことって、どんなことだろう?
調理場って、給食室より広いのかな?狭いのかな?
一日に、何時頃が一番お客さんが多いのかな?朝かな?昼かな?
(と、ここがわかっていそうで言えないことに自ら気付いていく山場。)

こうして、スーパー見学に向けた意識付けの1時間が終わる。

今日の授業の入り口は、
スーパーマーケットの仕事を勢いよく語る子どもで、
今日の授業の出口は、
スーパーマーケットの見えない仕事が気になり始める子ども。

その45分間には一体何があったか。
そこには
「授業」があった、
としか言いようがない。…
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