トップを目指しているわけでない

実は、前回の生活科の授業は、
一夜明けて、
こんな展開を見せていった。

なぜ、バスと市電が一緒に並んで走っているのか?
ということが気になり始めたみんなは、
バスvs市電の主張を展開しはじめた。

子:どちらかに乗り遅れても大丈夫!
子:バスは細かく止まってくれる!
子:市電だって、渋滞がないよ!
子:バスはルートがいっぱいある!
子:バスと市電はライバルみたいだね!
などなど。。。。。

すると、そこに再び観点変更の契機となる発言が生まれた。

子:ライバル、ライバルって言うけど、
  バスも市電も別に、
  トップを目指しているわけじゃないと思う。

子:そうか、どちらもお客さんのためのはず。
子:使いやすいようにとか。
子:どちらも選べるようにとか。
子:バスも市電もいっしょにがんばっているんだよね。
子:ライバルでなくて、いい友達みたい。

「トップを目指しているわけでない」
という発言に敏感に反応し、
「それなら、トップでなく何を目指しているのか」
を考えていった2の1は、
いつもすごい子ども達だと感心させられる。

学習指導要領解説編では、この単元は、
「公共物や公共施設を利用し、
 身の回りにはみんなで使うものがあることや
 それを支えている人々がいることなどが分かり、
 それらを大切にし、
 安全に気をつけて正しく利用することができるようにする」
とある。

もし、それだけが大切なのならば、
「相手の気持ちを考えて大切に使いましょう」
「ルールやマナーの意味を考えてみましょう」
でよいのかもしれない。

だとしたら、
「トップを目指しているわけでない」
という、このすてきな一言が生まれる授業は
かなり遠回りだと言わざるを得ない。

しかし、この一言が
今も担任の頭から離れないのは、
おそらく、
この日の子どもたちが、
単なる公共物の利用者という立場を越え
そこに親しみや愛着をもつようになっていく過程を
担任が見せつけられたからではないか。

「自分自身でよりよい生活を作り出していく教科」
とは、ひょっとするとそういうことか。
またしても、子どもたちから、
基本的で本質的なことを学ばせてもらった。
ありがとう。”… 続きを読む...

ミラーの数だけハートがある

インフルエンザの影響も一段落したところで
生活科「バスにのって、市電にのって」の学習のまとめをする。

あの1日は、
歩道を歩く、バスを待つ、バスに乗る、
市役所を見学する、
市電の電停まで歩く、市電を待つ、市電に乗る、
美術館まで歩く、美術館を見学する、
学校まで歩く。。。。
と盛りだくさんの1日だった。

そんな中で、授業の入り口としたものは、
バスに乗っているとき、としてみた。
最初の発問はセオリー通り
「運転手さんはどこを見て運転したいただろうか?」
この投げかけから、
子ども達は以下のように勢いよく発言し始めた。

子:はい!はい!はい!
子:バックミラーに映った景色!
子:ワイパーでふいた窓の外!
子:バス停で待っている人!
子:雪が積もった道!
子:バスの中のお客さん!

すでにわかるのように
このバスの中のお客さんという発言は
それまでの発言とはちょっと異質である。
それまでの「バスの外や周囲」の視点が、
この発言で「バスの中」の視点へと転換しているのだ。

子ども達もその変化を見逃さなかった。
ここから、発言はさらに活性化していく。

T:え?運転手さんは、バスの中も見ているの?
子:そうだよ!みんなは安全かなあ〜って見てるはず。
子:付け足し!もう、席に着いたかな〜って見てるはず。
子:付け足し!お年寄りの人がいないかな〜って見てるはず。
子:障害のある人や病気の人も。。。
子:注意もしてくれるんだよ。

そして、ここからみんなは授業の核心にせまっていく。
つまり、運転手さんの立場で思考していたものが、
自分ごととして考えを作り上げていったのである。

T:そうか、運転手さんはなんでもよ〜く見ているんだね。
子:だからバスにはたくさんミラーがついているんだよ。
子:バスの中を見るミラー、右を見るミラー、左を見るミラー。。。
子:そうか!ミラーの数だけ気をつけることがあるんだ!
子:それに、気をつけるのは、運転手さんだけではないよ。
子:ぼくたちもみんな気をつけなければいけないんだよ。
子:そうだよ、そうだよ。だって、みんなのバスなんだもん。
子:ミラーの数だけ、ハートがいっぱい!

こうして、授業の出口が
みんなの手によって作り出された。
新たな概念を手に入れることができた
充実感のようなものが
教室の中に漂っていた。

生活科というより道徳?
という声も聞こえてきそうだが、
そもそも生活科で大切にされている思いや願いというものは、
何でもよいわけではない。
そもそも生活科の主体となっている活動というものだって、
何でもよいわけではない。
その行動の根底にある道徳的価値を見極め、
そのことに子ども自身が気付いていけることを目指しているはず。
生活科も道徳も、もっというと、総合も。
  
もちろん、この1時間くらいですぐに、
自立への基礎や生きる力として、
今後の自分に反映されていくとは思っていはいない。
どんな授業も失敗しながらでも地道に積み重ねていくしかない。”… 続きを読む...