昭和基地の大晦日

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの35回目。
(写真は54次隊のときのもの)


昭和基地でも大晦日を迎えていることだろう。
54次の大晦日は、暴風明けの快晴だった。
まずはみんなで昭和基地のクリーンアップ作戦を行った。
氷に埋まっていた廃材を取り出したり、
ドラム缶を回収したりした。
大掃除をするのはどこも同じである。


それが終わると、今度は毎日働いてくれているトラックの洗車。
トラックたちにとっては、気温が低い、ほこりっぽい、など過酷な環境。
それでも、調子をくずさず働いてくれた。
それはもちろん機械隊員たちの日々の点検のおかげでもある。
この日ばかりは、機械隊員以外の隊員もせっせと磨いた。


夕食は、みんなでお鍋を囲んだ。
このときばかりは、夕食にアルコール(1本だけ)も添えられた。
今年はどんな料理が並ぶのだろうか。
調理隊員は、毎日の調理で気をつけていることとして
「昭和基地だからこそ季節感が大切」と言っていたのを思い出す。


一夏の前には、なんと、除夜の鐘まで設置された。
この作品の完成度にはみんな驚いた。
23:00を過ぎたころから隊員たちが集まってきて、
一人一人、代わる代わる鐘をついた。
いつの間にか、「何か一言」を叫んでからつく、
というのがルールになって、
みんな盛り上がった。

今晩は、耳を澄ませば、
昭和基地からの鐘の音がここまで聞こえるかもしれない。
こちらからも、
昭和基地に届けとばかりに、
気持ちを込めてつきたいと思う。”… 続きを読む...

年末の暴風

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの34回目。
(写真は54次隊のときのもの)

あたりまえのことだが、昭和基地でも年末が近づいている。
54次隊では、この年末にブリザード級の強風が吹き荒れた。
12月29日には、最大風速42mをこえた。
昭和基地の天候はどうだろうか。


昭和基地以外、周囲になにもない中で
こんな強風の直撃をうけると、
それはまるで地球の叫びのように思えた。
人間の営みなどに手加減をしない
むき出しの地球がもつ本来のエネルギーを感じ、
味わったことのない恐怖のようなものを味わった。


翌日、強風はなんとかおさまった。
そのあとには、こんな光景があった。
真っ白だった雪面が、灰色になっていたのだ。
強風で舞った周囲の砂埃のせいだ。
今回は降雪がほとんどなく、暴風だけが吹き荒れたのだった。


こうなると、今後、融雪が進む。
白い部分と黒くなった部分の違いは一目瞭然だ。
太陽の熱を吸収してそこだけがとける。
数日後、ある天気がよい日に基地内を歩いていると
こんな模様と出会った。

はじめは、なんでこんな模様になってるの?
誰か、こんな落書きかいたずらをしたの?などと思ったが、
よ〜く見てみると、そういうことだとわかった。

さて、明日は大晦日。
次回は、昭和基地ならではの大晦日について。”… 続きを読む...

ジエネ

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの33回目。
(写真は54次隊のときのもの)

55次隊の主たるプロジェクトは
いくつかあると思うが、
54次隊のメインプロジェクトの一つはこれ。
「ジエネ」こと「自然エネルギー棟」の完成だ。


完成すれば、
昭和基地でのエネルギー管理の中心となることが期待される。
この建物自体が太陽熱を取り込んで暖房に生かすなど
「自然エネルギー」を効果的に活用できる仕組みになっている。
将来的には、風発や太陽光などで発電される電力を
集約して効率よく配電するなどの機能も備えるという。


建設には、52次、53次、54次の年月が費やされた。
基礎工事から、壁面の立ち上げ、
そして、54次では屋根の取り付けと
そのバトンがしっかりと受け継がれてきた。
これまでの歩みには、一筋縄ではいかないものがあったに違いない。
この棟には、多くの隊員たちの熱い思いが込められている。

写真は、屋根に最後の一枚をはめ込むところ。
このときは、通信担当隊員の機転で昭和基地内に
「もうすぐ完成」のアナウンスが流され
多くの隊員たちがその瞬間を見守った。
見事、ぴったりおさまると、
周囲から大きな拍手喝采が巻き起こった。

堅い握手を交わすもの、
笑顔でたたえ合っているもの、
万感こみ上げるものをこらえているもの、
それぞれがこの光景を心に焼き付けていた。

昭和基地というところは、
そんなドラマがあちこちで生まれる
そんな場所なのである。

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いきぬき

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの32回目。
(写真は54次隊のときのもの)

作業は、ほぼ連日、休みなしで続く。
白夜のため、夜おそくまで仕事に打ち込む人も少なくない。
昭和基地での生活では、
10日に1回程度の「休日日課」というのが設定されるが、
なかなかそうもいかないのが実情。

天候のめぐりあわせから、
天候がよいうちに作業を進めたり、
ヘリオペレーション(ヘリコプターを使った野外観測)の計画から、
優先順位が決まったりするからだ。


そんな中でも、そんな中だからこそ、
週に数回オープンする「バー」は貴重な場だ。
昭和基地には、
隊員たちが自主運営する「バー」がある。
夕食の残り物が主なおつまみだが、
時折、調理隊員が腕をふるってくれる逸品もある。


バーのマスターは、
越冬隊員から選出されている。
なれた手つきで、お好みのものを作ってくれる。
自分でカウンターに入って
適当に作ることもできる。
つまり、何でもあり、ということだ。


使われている氷は、氷山の氷。
およそ1万年前のものと推察される。
グラスを傾けながら、もの思いにふけったり、
隊員との会話を楽しんだりするには
これ以上の雰囲気はない。
23時閉店。

バーに立ち寄る者も、
宿舎で過ごす者も、
それぞれに南極の夜を楽しんでいることだろう。”… 続きを読む...

ミッションその2

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの31回目。
(写真は54次隊のときのもの)


ここは、昭和基地にあるPANSYアンテナ群。
ここに1000本のアンテナを立てることで、
いわば「宇宙からの天気予報」をするという壮大な計画だ。
世界の中に数カ所だけにあるアンテナ群だが、南極域にはまだない。
そこで、日本隊が初めてここに設置することになった。


「PANSYアンテナ」の設置については、観測隊では約3年前から取り組んできた。
第54次隊で、そのアンテナを全て立ち上げるのが目標だったのだが、
第53次、第54次ではしらせが昭和基地に接岸できず物資が全て運び込めなかったり、
予定していたエリアの積雪が予想以上で移設を余儀なくされたりして、
作業は思うように進まなかった。


作業に当たった隊員たちは、
持ち込まれた物資を全てしっかり運び込んでは、
一つ一つ設置していった。
前次隊の活躍で、
基台はすでに地面に打ち込まれていたので、
私たちは、その上にアンテナを立てていくのが主な作業だった。
まずは、全ての基台のまわりに部品をひたすら運んでいく。
運び終わると、
アンテナの方向を確かめて固定していく。


支柱の部分を固定すると、
今度はアンテナ部分を取り付けていく。
この部品はかなり軽量化されていて、
それでいて、
しっかり強度が確保されている
という優れもの。
作業中は、冷たい風に吹かれっぱなしで、
また、単純作業が何時間も続くためか、
みんな無言で黙々と作業した。

54次隊では、とりあえず持ち込まれた資材の分は
すべて順調に作業が進んだ。
55次隊では、しらせが無事、昭和基地に接岸を果たし、
残りの資材が全て搬入されることを願っているが、
そのあたりはどうなのだろうか。

また、すでに設置済みのアンテナ群を稼働させる
越冬隊員たちの健闘も祈っている。
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ミッション開始

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの30回目。
(写真は54次隊のときのもの)

昭和基地では、いくつものミッションが
同時に行われていく。
55次隊ではどのような計画が実行されるのだろうか。


どんな作業であれ、安全第一。
毎朝、一夏前の広場で行うラジオ体操は、
隊員たちの体と心ほぐしに一役かっていた。
日がたつにつれ、隊員たちには疲労が蓄積していくのだが、
自分の体調のチェックの時間ともなった。
個人的には、筋肉痛が残っているなあ。。。と思うことしばしば。


それが終わると、設営系隊員の代表から、
その日の作業内容と留意点が伝えられる。
「○○では、今日は重機を使う作業が入るので、周囲の者は注意すること。」
「△△では、資材の搬入が中心、単純作業なので集中して行う。」などなど。
最後に、互いに向かい合って相互点検。
「ヘルメットよ〜し!、服装よ〜し!、足下よ〜し!」


54次隊では、まず「デルタアンテナの建設」
というミッションを急ピッチで行った。
中心となるアンテナの支柱は40Mにもなる。
そのため、そのまわりに数本のポールを立て、
ワイヤーで支持することが必要となる。
みんなで資材を確認し、丁寧に作業を始めて行く。


作業をしているのは、それぞれ他に専門をもつ隊員たちばかり。
設営に関してはいわば素人の集まりなのだが、
建設のプロフェッショナルも必ず一人はいた。
私たちに細やか、かつ易しく指示をしてくれるので安心して作業ができた。
安全確保にも目を光らせていて、厳しくも暖かい言葉がありがたかった。


完成すると、こうなる。
この赤と白の資材はすでに基地に運び込まれていた。
それらを倉庫から運び出してトラックで運搬し、
順序を確認しながら慎重に連結していく作業が続いた。
資材を梱包していた木枠もみんなで解体した。
数日後のデルタアンテナ立ち上げの際には、みんなで祝杯をあげた。


作業の合間には、「中間食」というおやつタイムがある。
基本的には、10:00と15:00の2回。
主なメニューは、菓子パンと暖かい飲み物。
菓子パンの代わりに、
大福やたいやきなどの日もあった。
飲み物は、ホットレモンや粉末飲料にポットのお湯を注いで作った。

この「中間食」というルール。
空腹を補うというよりは、むしろ、
しっかりと休憩とエネルギーをとる、とか
心身に余裕を保ってがんばりすぎない、
などという、隠れたねらいがありそうだった。

55次隊のみなさんが、今、
真っ先に取り組んでいるミッションは何だろうか。
どのようなミッションであれ、毎日の「中間食」を楽しみつつ、
作業を完遂されることを願っています。
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昭和基地初日

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの29回目。
(写真は54次隊のときのもの)

昭和基地に到着すると同時に、
すぐに隊行動が始まる。

まずは、食料を一夏の裏手にある保存庫へ運び込む作業だ。
肉、野菜、缶詰などの段ボールをトラックの荷台に積み込む隊員。
そのトラックの荷受けをして保存庫までバケツリレーで運ぶ隊員。
その指揮をとるのは、調理隊員の2名だ。
単純な肉体労働だったが、
調理隊員たちの威勢のいいかけごえと的確な指示のおかげで
俄然元気が出てきた。

作業が一段落すると、こんどは、機材や物資の確認作業に移る。
ヘリポートに下ろされた荷物には、
それぞれ昭和基地内の行き先がラベリングされていて、
これは、○○の観測棟へ、これは、△△の倉庫へ、という指示が書かれている。
時折、”配達先”が間違っていたり、変更されたりしているので確認が必要だ。

この倉庫には、主に野外観測で用いる機材が持ち込まれていた。
とても小さな音を感知するインフラサウンド計とか、
南極の地図を作るための測地の道具とか、
各種機材に電源を供給する発電機やバッテリーとか、
それらを設置する間、寝泊まりするテントや食料などなど。
どれも必要かつ最小限のもので、大切なものばかりなのだ。

その一方で、
これからの生活の拠点となる
一夏の立ち上げも急ピッチで行う。
一夏の玄関には、隊員たちのヘルメットや
防寒具をかけるフックが人数分ある。
作業を終えた隊員たちは、ここで長靴脱ぎ、
上着を脱いで食道へと向かうのが日課となる。


昭和基地での初めての昼食は、しらせから運んできたお弁当。
住む場所から自分たちで整えていくのだから、
食事ではなくお弁当なのは当たり前のことだが、
それでも普通に食事にありつけるということが、
とてもありがたいことだと思えた。
缶コーヒーは、昭和基地では貴重品だということを、あとで知ることになる。


こちらは、厨房を稼働し始めようとしているところ。
水、湯沸かし器、冷凍庫などの使い方を確認し、
鍋や食器を取り出すなど、すべきことは山のようにあった。
とりあえず、その日の夕食づくりに
さっそく取りかからなければならないということは言うまでもない。
だが、そこはプロの調理人、それをあっというまにこなしてしまった。


ここは、一夏のおふろ。
一日の疲れをここで洗い流す。
一度に入れるのはふつう4人まで(湯船は2人)で、
混み合う時間帯になると、脱衣所前に列ができる。
ここでは、靴下や下着、Tシャツなどを手洗いで洗濯する。
洗濯板を持参してきている隊員もいた。


トイレは、一応、ウオッシュレット付き、暖房便座。
よく排水が詰まることがあるので、
そんなときは「使用禁止」の張り札が出る。
気温が下がる日は、あらかじめ凍結対策をするのだが、
それでも凍りついてしまった日には、
環境保全や機械隊員たちが献身的に対処に当たってくれていた。


作業が一段落したところで、
ベテラン隊員による「昭和基地案内」が行われた。
二夏、一夏、気象棟、管理棟、トラックの給油場所、
海氷の状況の説明、基地内の除雪作業の進捗状況の説明など。
昭和基地の全貌が少しずつではあるがみえてきたように思った。

ただ、昭和基地の本丸である「管理棟」にはまだ足を踏み入れることができなかった。
それよりも前に、
私たち夏隊には、まだまだ、やるべきことがたくさんあった。

きっと、55次隊のみなさんも、今頃はとても慌ただしい毎日だろう。

そんな中でも、
昭和基地ではネット環境もある程度整っているので、
そろそろ、55次隊のみなさんからの
リアルタイムな情報のアップも出てくるに違いない。
楽しみだ。

そうなると、
このバーチャル同行シリーズの役目も半分は終わるかな。
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公式発表

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの28回目。
(写真は54次隊のときのもの)

やはりそうだった。

先日、第55次隊が昭和基地入りしたという公式発表があった。
54次隊より5日も早い12月14日に第1便が飛び、
その後、17日までの間に隊員たちが続々と昭和基地入りしたそう。

しらせは、その間、海氷上に停泊し、
まず、隊員たちの移動や優先順位の高い物資の輸送を行った。
そして、18日から再び、昭和基地の接岸を目指して
最後のひとふんばりをしているところ。
残り、あと約20kmほどらしい。
がんばれ、しらせ!


隊員たちが昭和入りを果たす日、
隊員たちは、自分たちが乗る便に合わせてしらせの飛行甲板に集まる。
この時、昭和に持ち込める荷物は、
自分の体重と荷物を合わせて100kgまで、という制限がある。
私は、防寒具と実験道具各種は、野外機材に混ぜてもらうことにし、
パソコン3台とハードディスク3台、カメラ、着替え3組程度のみを昭和に持ち込んだ。


ヘリの中は、さすが軍用機という殺風景なもの。
隊員も荷物もみんないっしょだ。
昭和基地まで数分間のフライトだが、
眼下に広がる凍てつく海は、まさに地球の果てという様相があった。
しばらくして昭和基地が見えてくると、機内では大きな歓声があがった。
聞こえるはずもないのだが、つい「おーい」と叫んでしまうのだ。


着陸と同時に、40kg程度の荷物を担いで基地に降り立つ。
そこには、真っ黒に日焼けした53次の越冬隊員たちが
笑顔で並んでくれていた。
忙しい作業の中で手作りしてくれた横断幕に、みんな心が熱くなった。
前次隊から連続で昭和基地にやってきた隊員は、
久々の再会を喜び抱き合っていた。


基地に降り立った隊員たちは、第一夏宿(一夏)と第二夏宿(二夏)に分かれて生活する。
私は二夏の住人となったのだが、その二夏とはこれだ。
水道はなく、ポリタンクで運んだ水を湯沸かし器に入れて飲む。
トイレはなく、屋外に設置された仮設トイレが3つならんでいる。
部屋は2人部屋で、2段ベッド以外に1〜1.5畳ほどのスペースがある。
ただ10畳ほどのサロン(?)があって、ここでの夜なべ談義がこの上なく楽しい。


昭和基地ではどこでもそうだが、玄関をきれいに保つため、
入り口では長靴を洗ってから入るのがルール。
この水は凍っていることが多く、
気がついた人が近くの水路から水をくんできてはつぎ足していた。
その他、ポリタンクの水運びやゴミ収集、し尿回収などは
毎日、当番を決めて行っている。


こちらは、一夏だ。
ここには水道やトイレはもちろん、おふろや食堂などが整っていて、
3度の食事やミーティングはすべてこちらで行う。
前には広場があって、毎朝、ここでラジオ体操と朝の作業確認が行われる。
夏作業で使うトラックもここに集結していて、
機械隊員が入念に整備しながら、大切に使っている。


今回、最後の一枚。
基地に降り立った隊員はみな、この景色を目の当たりにすることだろう。
着陸したヘリポートから、
一夏〜昭和基地管理棟(昭和基地の本体)方面を眺めた光景だ。
ある隊員は、どこかの惑星にやってきたみたいだな、と言った。
またある隊員は、どこかの工事現場だな、と言った。
私は、そのどちらもありだな、とうなづきつつ、
心の中では、仮面ライダーとかウルトラマンの特撮現場のようだ、と思っていた。

さあ、これからが本当の観測隊の出番だ。
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第一便への特別な思い

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの26回目。
(写真は54次隊のときのもの)

第54次隊では、1年前の今日が、
観測隊の隊長が昭和基地入りを果たした日だった。

しらせが昭和基地に接岸するその一足先に、
しらせに搭載されているヘリで
昭和基地に入るのがならわしとなっている。

そのヘリは「第1便」と呼ばれている。
その前日の夜のミーティングで、
「明日、第1便を飛ばします」
と発表があるのだ。
みんな、それを聞くのをずっと楽しみにしていたはずなのに、
いざ、その言葉を耳にすると、
なんだか、ちょっと寂しい気もした。

「続く、2便には○○が、3便には○○が搭乗する。
 各自、準備をしっかりしておくように。
 それ以外は、あさって以降、順次、昭和に向かう。」
自分が昭和基地に向かうのは2日目だということだった。
そうだ、あれこれ考えている暇はない、
これまで準備してきたことをしっかりと進めるだけだ、
そんな決意がこみあげてくる。

ミーティングのあと、それぞれが部屋に戻る。
でも、なんだか落ち着かない。
先に出発する隊員たちとしばらくお別れの握手を交わし、
互いの健闘を祈る光景があちこちにあった。
同室のH隊員は、最初の便で、
昭和基地ではなく、野外の観測ポイントへ飛ぶことになった。
今度会えるのは、野外行動が完了してからのことになる。

ここまでは、しらせから見た第一便の光景。

あとからわかったのだが、この第一便を、
昭和基地側では特別な思いで待っている人たちがいる。
今なら、第54次隊で越冬している隊員たちだ。
夏隊が2月に昭和基地を離れてから約10ヶ月間、
わずか約30名で基地を守り抜いている。
彼らは、家族からの手紙や、新鮮な野菜を届けてくれる第一便を
どんな思いで迎え入れるのだろうか。

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