極域の科学の未来(vol.8)

県内のとある進学校。
今日は、ふとしたご縁が重なって
こちらの高校に伺うことになった。

今月の30日に予定されている文化祭で、
「南極・北極」をテーマにして取り組んでいるというのである。

私が玄関に着くと、
懐かしい面影だが確実に成長した
附属小の卒業生が出迎えてくれた。

教室の中には、
自作のペンギンの看板や、
リアルな魚の模型や、
南極大陸の氷床下の地形模型や、
アムンゼン・スコット劇に使うというソリなどが、
ところせましと並んでいた。

おそらく、
それらを創り上げるために
参考にしてきたのであろう、
たくさんの本やファイルも目に入った。

教室には、3人の生徒さんたちが
日曜だというのにまだ教室に残っていて、
突然の訪問者である私に
次々といろんな話やら質問やらを語ってくれた。

この魚の特徴は〜なんですけれど、こういうのでいいですか?
今度劇で使う橇です。ぜひ、見て下さい。
南極観測隊って、どんな生活なんですか?
南極観測隊って、どうしたらなれるんですか?
南極って、調べれば調べるほどいろんな姿が見えてきてすごく魅力的な所ですね。
そういえば、立山の氷河と南極、テレビでやってました。
宇宙のこととか、生物のこととか、隕石とか、氷河とか、もう時間が足りないって感じ。
探求するってこんなに楽しいことだなんてようやく分かった気がします。

こう語る3人の瞳の、なんと力強いことか。

テーマの発案から、追究の格子の計画立案、豊富な情報の獲得、手作りの資料作りまで、
すべてこなしてしまうスーパー高校生たち。
未知なるものを、自らの手で追究していくことに
学ぶ喜びを感じているハイパー高校生たち。
そんな高校生が選んでくれたテーマが
南極・北極とは、
光栄の一言に尽きるというもの。

極域の科学の未来は明るい。

そう確信して教室をあとにした。
帰路、すてきな文化祭になることを願った。
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観測隊ルール(vol.7)

夏訓の間に、
「観測隊ルール」というのがあることに気付いた。

例えば、
隊員のみなさんを、私は
〜先生と呼んでいたのだが、
それは、「観測隊ルール」としてはNG。
年齢や、立場や、役職などのいかんにかかわらず、
みな、〜さんと呼び合うのが
「観測隊ルール」。

限られた仲間たちの中では、
〜さんと呼び合うシンプルさが
よいのかもしれない。
また、例えば、
このような誰の仕事にも属さないようことなどは、
できる人が、できることを進んでやるというのが
「観測隊ルール」。

限られた時間で
様々なことに取り組む観測隊員たちにとっては、
互いの貴重な時間を少しずつ融通し合うことが
最大の成果を出すことになるのかもしれない。

また、例えば、
酒宴の席では互いについで回ることはせず、
もっぱら手酌というのが
「観測隊ルール」。
これには、一般社会では意見が分かれるところだろう。
一見古いしきたりのうようだが、
円滑にコミュニケーションをとるにはある程度必要だ、という見方である。
そんな中、観測隊では、
あえて、手酌派をとっている。

限られた医療設備の中では、
健康管理は自己責任で、
という自戒の意味がそこに込められているのかもしれない。

まだまだあるだろう「観測隊ルール」を
うっかり見逃していると
大変なことになりそうだ。”… 続きを読む...

本気モード(vol.6)

一番最近で
本気になったのは
いつのことだろうか。

精神的に本気になって取り組むことは
もちろんよくあることだが、
体力的に本気を出したというのは
あまり記憶にない。

おそらく
20代後半の頃に、
地元の住民運動会に出て走った時か、
町民体育大会か何かで現役中学生と対戦した時か、
そのくらいまでさかのぼる。

それが、
今回の「夏訓」で更新された。
最後に行われた「オリエンテーリング」が
その本気の舞台となった。

一チーム2〜3人に分かれて、
地図を片手に走った。

夏場のスキー場の上り坂を
ポイントめがけて走った。

下り坂も、やっぱり走った。

水分補給のときも、それでも走った。

チームの中では一応最年少だったので
初めのうちは
3人の一人を代表してポイントまで近づき
カードに記号を書き込む係を買って出たのだが、
それも3つめくらいまでだった。

残りのほとんどは
チームメイトたちがその役目を果たしてくれていた。
途中で交代しましょう、と言ってはみるものの、
実際は、
おいてけぼりをくらわないようにと
真剣になって食いついていく子どものようだったと思う。

今思うが、
体力的に本気モードになったことは
(ならざるを得なかったことは)
これから極地に向かう自分にとっては
とても貴重な体験だった。

なぜ、それが貴重な体験なのか、
それはうまく言えない。

とにかく
謙虚になれた自分がそこにいた。”… 続きを読む...

ギャップとフィッティング(vol.5)

訓練や講義の合間をぬって行われた
装備品のフィッティング。

施設の一角に設けられたスペースには、
防寒具のジャンパーやオーバーパンツや手袋などが
各サイズごとに並べられていた。

こうした装備品からは、
極域の自然の厳しさや、
日々研究や作業に打ち込む
隊員たちの生活ぶりが推し量られた。
それは、とりもなおさず、
今の自分の生活と南極とのギャップを自覚した瞬間でもあった。

さて、
こちらは越冬隊用の防寒靴。
これまで見たこともないような
多機能・高性能の長靴だ。

もしも、子どもの頃に
こんな長靴をはいて雪道を登下校していたら、
それはそれは楽しくて仕方なかっただろうなあ、
と思いながら眺めていると、
「どう?履いてみたら?」と
一人のベテラン隊員が勧めてくれた。

「インナーが足にフィットして良い感じですね」
と答えると
「本当は分厚い靴下を履くから余裕をみておくといいし、
 かと言って
 ぶかぶかすぎると歩きづらかったりするんだ。
 結構、昭和基地では歩くんで。」
と教えてくれた。

フィッティングコーナーで会話を交わしたこちらの隊員さんは、
どうやら、
昭和基地での生活にも、
見事にフィッティングしておられたようだった。
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ランニングのペース(vol.4)

夏訓練では、
天気さえ良ければ
毎朝ランニングがある。

UP&DOWNが激しいためか、
標高が高いためか、
日頃の運動不足のためか、
実際に走っている距離のわりには
結構息があがる。

学生時代の部活動で
山道を走っていた記憶が
否が応でもよみがえる。

一方、
他の隊員たちのペースは軽快そのもの。
その強者ぶりは噂に違わぬものだった。

それもそのはず。

UP&DOWNの激しさと言えば、
「しらせ」もそうだ。
南下しながら暴風圏を通過する「しらせ」の揺れは、
「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」と称されるほど厳しいらしい。
それが、長い間、
人類が南極に立ち入ることを拒んできたほどだ。

また、標高が高いと言えば、
氷床コアの掘削などに携わる隊員たちは、
昭和基地から1000kmも離れたドームふじ基地という所に数ヶ月間滞在するが、
そこは、なんと標高約3800m。
つまり、富士山よりも高いのである。

さらに、日頃の運動不足と言えば、
夏の昭和基地での活動は
むしろ、その真逆で、
毎日、筋肉痛との戦いとなるほど、
体をはった作業が続くという。

他の隊員たちのランニングペースには、
驚かされるのであるが、
同時に
納得させられてしまうのである。
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夏訓練(vol.2)

6月の草津。
新緑の中に建つ、とあるセミナーハウスでは、
「夏訓練」が行われていた。
私はここで観測隊のみなさんと合流した。

この日から1週間、
第54次隊の任務(ミッション)や組織の概要から、
各部門別の分科会まで、
ありとあらゆる打ち合わせが
文字通り分刻みで重ねられた。

参加者は、おおよそ
越冬隊員30名程度、
夏隊員35名程度、
同行者20名程度。
このくらいが、
私たちを南極へ連れて行ってくれる
砕氷船「しらせ」に乗り込める
限界の数のようだ。

名簿には、TV番組や書籍で拝見したことのある方々のお名前があった。
あとから次第にわかってきたことなのだが、
この集団は、
極地研の方々はもとより、
気象庁や国土地理院、海上保安庁やJAXA、情報通信研究機構、日本気象協会などの各機関の方々、
T大、K大、TH大、KS大、H大、県博物館などの教育研究機関の方々、
機械や通信、建設や発電、航空や探査・計測、報道などを専門とする民間企業の方々、
お医者さんや料理人、山岳ガイドのフィールドアシスタントの方々の大集合だったのだ。

もしかすると、数年後のここには、
○○中学校の生徒のみなさん、とか、
○○科学コンテスト入賞者のみなさん、など、
未来の青少年たちの名前が連なっているかもしれない。

いつか、「南極」という教室で
子どもたちが直接、
未来の地球について学ぶことができたら素敵だろうなあと思う。
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