2枚の賞状

放課後の教室の黒板に、ふと、
2枚の手書きの賞状を見つけた。
その文面にグッとくる。

実は、今日の昼には、
バンクーバーオリンピックの女子フィギュアの熱戦の他に、
もう一つ、熱戦があったのだ。
それは、3年生フットサル大会。
給食を終え、クラス全員が体育館に集まった。
結果、3の1は、同点の末、PK戦で敗北。

勝敗が決すると、みんなは、
落胆する選手たちのまわりに駆け寄り、選手たちに励ましの声をかけた。
一方、選手たちは、とりわけ女子選手たちは、目を真っ赤にして泣いた。

選手たちの表情には、
負けた事へのくやしさや、
応援に応えられなかったことのふがいなさや、
励ましの声に対する感謝など、
いろんな感情が見て取れた。

そんな選手たちを囲むようにしてみんなは教室に戻った。
教室でも、女子たちの感情はとめどなくあふれてきていた。
涙がとまらないのだ。
そんな仲間への励ましの声も、やはり止むことはなかった。
誰のせいでもないよ。。。
がんばったことが大事なんだよ。。。
負けた今の方が団結が深まったよ。。。

それでもなお、涙は止まらなかった。
仲間たちの言葉が、たまらなくうれしいと思う気持ちと、
「なんで泣いているの?」と事情がわからない周囲の人とのギャップなどが
彼女たちの涙腺をさらに刺激していた。

やがて、掃除の時間になる。
まだ涙は止まらなかった。
担任は、そんな子供たちに
「掃除に行こう」と声をかけた。

掃除からもどって、5限の図工で版画に向かわなければならない時間になる。
まだ感情は高ぶっていた。
担任は、教室でなぐさめ合う子供たちに
「図工室に行こう」と、また、声をかけた。

「掃除の時間です」「図工の時間です」と
杓子定規にしか声をかけられない担任の無能さを痛感する。

時間は過ぎ、
帰りの会を終え、
みんなが下校していった。
その時だった。
放課後の教室の黒板に、ふと、
2枚の手書きの賞状が目に入った。

1枚目の賞状にはこう書いてあった。
「フットサル大会に出た人たちは、
 わたしたち3の1のために全りょくをつくしてくれました。
 よってこれをしょうします。
 3の1より」

もう1枚の賞状にはこう書いてあった。
「かてなくてごめん。
 おうえん、ありがとうございます。
 勇気が出たよ。
 せんしゅいちどう」

フットサル大会で負けた3の1は
大きなものを手に入れていた。…
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200字

これからの日記は、2サイクル限定で
あえて、段落構成をやや意識したものにシフトする。

字数は200字で、
1段落目は主に事実を、
2段落目は主に思ったことや考えたことを書く。

簡単そうだが、なかなか難しい。

例えば、
「今日は、休み時間にみんなで縄跳びの競争をしてとっても楽しかったです。
 いつもより二重跳びがたくさんできたのでまたしたいです。」
などのように、
事実と思ったことが同じ文章に入ってしまうようなパターンがよくある。

また、例えば、
「今日は、休み時間に縄跳びをしました。
 みんなで集まって競走しました。
 いつもより、二重跳びがたくさんできました。
 とっても楽しかったです。」
などのように、
1段落の事実の分量が多い割りに、
2段落の思ったことがあっさり終わってしまうようなパターンもよくある。

簡単そうだが、なかなか難しいのは、
何も子どもだけの話ではない。
担任としても、
国語の「関心・意欲・態度」「話す・聞く」「読む」「書く」「知識・技能」の視点から言えば、
「書く」力を高める指導は、
「関心・意欲・態度」を高める指導に次いで難しいとよく思う。

そこで、これから2サイクルの日記は、
あえて
段落構成をやや意識したものにシフトする。

もちろん、「書く」力は、
書くことだけによって高めることができるわけではない。
よく話したり、よく聞いたり、よく伝えたり、よく感じたりすることと
共にスパイラルで高まるもの。

200字によって繰り広げられる話の展開を
毎日、楽しみにしている。

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あの日に帰りたい

♪青春の〜後ろ姿を〜
 人はみな〜忘れてしまう〜♪
そんな名曲をつい口ずさんでしまうような午後。

今日は、みんな
低学年に戻したい。。。(じゃない)、
低学年に戻りたい。。。そう思ったに違いない。

それは、
先日、モニターとして搬入された木の遊具で遊んでいたときのこと。

1つの遊具は、大きな木の株をくりぬいたようなトンネル状のもの。
もう1つの遊具は、木製の楽器や乗り物。
低学年専用として活用されてきたが、
せっかくだから3年生にも使ってみてもらいたい、
ということで、今日、
学級活動の時間の半分を割いて、
低学年フロアーへとみんなで出かけた。

使用の約束を確認し、さっそくお試し。
頭初は、3年生にはちょっと物足りないかな、と心配したが、
思いの外、みんなは夢中になった。

1つめの木のトンネルでは、
ただ、中をくぐるだけ。。。と思っていたが、
子どもはそうではなかった。
中でねそべってみたり、
みんなで並んで仰向けになって語り合ったり、
大声を響かせてみたり、
木の株にジャンプして抱きついたり、
次々と楽しみ方を編み出していくみんな。

もう1つの木の楽器や乗り物でも同様だった。
子どもは遊びの天才である。

そこで夢中になっていた子どもたちは、
口々にこういった。
「あ〜あ、低学年に戻りたい。。。」と。

そんな姿を見たり、
その言葉を聞いたりしながら、
担任は、やはり
♪あの頃の私に〜もどって〜
 あなた〜に〜会いたい〜♪
と、あの名曲を頭の中に巡らせていた。
そして、そんなみんなを、
「低学年に戻したい。。。」じゃない、
「低学年に戻してあげたい。。。」
そう思っていた20分間だった。

♪青春の〜後ろ姿を〜
 人はみな〜忘れてしまう〜♪
♪あの頃の私に〜もどって〜
 あなた〜に〜会いたい〜♪
(なんだか今日は、この曲ばかりリフレイン)

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もう1回

今週は避難訓練週間。
今回は、休み時間中に火災が発生するという設定。
通常の授業中の設定の場合とは
異なる約束事がいくつかある。

教室にいた場合、廊下にいた場合、図書室にいた場合など、
それぞれのケースに応じた避難経路を選択し、
正しく、迅速に避難しなければならない。

また、
友達といた場合、上級生といた場合、自分がその場で最上級生だった場合など、
それぞれのケースに応じて上級生の指示に従ったり、
反対に、自分が指示を出してまとめたりしなければならない。

今日は、その避難訓練の練習(?)をした。

まず、それぞれが、思い思いの場所に散らばった。
ある時刻を合図に、
それぞれの場所から、
「おさない」「走らない」「しゃべらない」の鉄則を守って
無事、体育館まで避難した。
とりわけ、
初めに集まってきた人の中で、
番号の若い人が手を挙げて整列させていく、
という約束も上手に実行していた。

避難が完了すると、
「先生、もう1回しようよ」との声。
みんなでもっと改善したいことを確認し、
もう1回、となった。

話はかわって、
午後の授業中。
時計の針は2:15を指していた。
そう言えば、今日は2月22日。
あと数分で、
平成22年2月22日2:22となる。
授業中ではあったが、
その1分ほど前から、みんなでその一秒に身構えた。
19…
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ほっぺたが落ちた

今日、みんなのほっぺたが、落ちた。

それもむりはない。
つきたての、
ぽちゃぽちゃの、
モチモチの木の餅を
口いっぱいにほおばったのだから。

ご存知の通り、
3年生の国語の教科書には
「モチモチの木」というお話が載っている。
そこには、次のような叙述がある。

「モチモチの木ってのはな、豆太がつけた名前だ」
「でっかいでっかい木だ。」
「秋になると」
「茶色いぴかぴか光った実を」
「いっぱいふり落としてくれる」
「その実を、じさまが、木うすでついて」
「石うすでひいてこなにする」
「こなにしたやつをもちにこね上げて」
「ふかして食べると」
「ほっぺたが落っこちるほどうまいんだ」

今朝、
とある方から思いがけず届けられたモチモチの木の餅。
子どもたちにそのことを伝えると、
学級のボルテージは一気に急上昇。
担任は、その勢いに便乗し(?)
すぐに、教科書とノートを取り出させ(?)
先の叙述をみんなで確認した。

さて、いよいよ
ほっぺたが落っこちる瞬間がやってきた。

T「本当に食べる?ほっぺが落っこちるのに。。。」
子「いいから、早くほしいよ〜」
子「早くほっぺを落っことしたいよお〜」
T「では、いただきましょう」
子「うわあ、おいしい〜」
子「こんなの初めて食べた〜」
あちこちで笑顔が満開になった。

しばらくして、みんなに感想を聞いてみた。
それがまた、いい。
「豆太がうらやましい」
「豆太の気持ちがわかるような気がする」
「自分でも作ってみたい」
「この時代にタイムスリップしたい」
「物語の中に入った感じがする」

「先生、この方のおうちに行ってみたい」
「じゃ、6年の修学旅行で行くってのはどう?」
「トチの実をくれたら、呉羽山で僕が育てておくよ」
(え?30年間育ててくれるの?)
「それじゃ、同窓会はトチモチパーティーだね」
わあ〜、やったあ〜

こうして今日、みんなのほっぺたが落っこちたのだが、
いつかまた、数年後、
みんなでほっぺを落っことしあえたらいいなあと思った。

ここには書ききれない話のいきさつはまだある。
今日の宿題で「トチモチの話をする」ってことになっているので、
続きはまたそこで。…
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伝説の青いバット

先日の体育のティーボールの試合中に、
A君の青いバットが折れた。
バッターはB君だった。
会場は一瞬騒然としたが、
B君は予期せぬできごとに涙が溢れ、あやまり、
A君は「いいよ、いいよ」と温かくそれを受け入れた。
それが数日前のこと。

担任は、そのことについて
なんとかしなければと思ってはいたが、
具体的にどうしたらよいかと、
この2日間考えあぐねていた。

思い切って今日、話題に挙げた。
その45分の場は、担任にとって
おそらく忘れられないものとなるような気がしている。

=最初は、その状況や心情の理解へと向かった=
わざとじゃなかったと思う。
だれのせいでもないんだよ。
それだけB君には力があったんだ。
それに、その時、確か黄団は負けていた。だから余計に力が入ったんだ。
そうだ、黄団のために犠牲になってくれたんだ。

=すると、次の発言からA君やA君のバットへと視点が向いた=
でも、それだけじゃない。
A君の青バットはみんなに人気のバットだったよね。
それだけ何回も何回もティーにぶつかってきたはず。
そのダメージが重なっていたところにB君が当てただけじゃないかな。
(そういえばぼくのバットにも傷がある。。。)
(あっ、ここに亀裂がある。。。)
(と、教室のバットを引っぱり出して点検しはじめる)
そうか、A君の青バットが5ヶ月で折れたのはかわいそうだけど、
5ヶ月ももっただけでもすごいことなのかも。
A君の青バットは働きすぎだったんだよ。

=ここから、自分たちの生き様と重なって行く=
A君の青バットは自分の役目を果たせたんだ。悔いはないよ。
役に立てば立つほど体がすりへっていくって、まるで人間みたい。。。
しまっておいて使われないより打って折れた方がバットにとっては幸せだよ。
もう、休ませてあげたい。。。
おばあちゃんが言っていた。おじいちゃんはいつも畑に出て、学校の先生もしていて
忙しくて、休ませてあげたいけど、おじいちゃんはうれしそうだったって。

=すると、今度はみんなが前向きに歩み出そうとしていく=
ね、折れた青バット、地面に埋めてあげようよ。
みんなのためにがんばってくれたのだから。
どうにかしてリサイクルできないかな。
無理だよ、一度折れたものは弱くなってるから。
写真に撮って飾っておいたらどうかな。
それがいい。そして来年の終わりにクラスのアルバムを作って、そこに載せるの。
よし、バットに一人一人のコメントを書こうよ。
シールに書いて貼るという方法はどう?
まだある。。。。

みんなのアイデアは尽きなかった。
最後に、担任はA君とB君に今の気持ちを確かめた。

B君は、いろんな思いがこみ上げ、また目が真っ赤になった。
一言も声にならなかったが、思いはわかった。

A君は、「青バットに『今までありがとう』と言いたい」と言った。
そして、「B君、元気出してよ」とつぶやいた。

その二人を見た仲間が、こう言った。
「そうだよ、B君が悲しそうにしていると、A君だって悲しいと思うよ」
「大切なことを青バットは教えてくれたと思う」
担任はなぜだか目頭が熱くなった。

=授業後=
まだ気持ちが高ぶっている子たちは
教卓にどっと集まってきた。
そして、”青バットの今後のプランについて
あれこれと語っていった。

野球が大好きなある男の子は、自らこんなことを提案してくれた。
「みんながバットの芯に上手に当てられるように
 ぼくのバットにスポンジを巻いてマークをつけてくるよ。」

また、ある女の子は、こんなことを告白した。
「先生、実は前に、給食を食べていて
 突然箸が折れたことがあって。。。
 それは自分のせいだとずっと思ってた。。。
 だけど、今日のみんなの話を聞いて、
 そういうことだったのかもしれないなって思えて、
 ちょっと気持ちが楽になった感じがして、
 うれしかった。。。」…
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どっちが大きな角?

算数の時間。
角の大きさの学習中。

前時には、
「角の大きさは辺と辺の開き具合」と学習済み。
本時は、
「角アと角イはどっちが大きいか?」を考える1時間。

ちなみに、
角アは、短い辺と辺の間にできた角で、
角イは、長い辺と辺の間にできた角で、
その開き具合が同じものを比較物として提示した。
つまり、こんな感じ。
角ア  角イ /
  /    /
  ー    ーーー

子どもたちは、さすがだった。
すぐに、「同じ大きさだよ」と正しい答えを言い出した。

T「ホント?
  角アは、幅がたったのこれだけなのに、
  角イは、幅がこ〜んなに離れているよ」
という担任のおとぼけにも動じず、
子「先生、測っている所が違うよ!
  理科でも、『同じようにして測らないとだめ!』
  だったでしょ。それは測る場所が違ってる!」
子「うん、そうそう。」
子どもたちは、
理科の観察、実験の技能を、
こんなところにも波及させてきた。

さすがなのは、さらにこれから。
角アと角イが同じ大きさということを次のように論じていくのである。

子「だって、角アの辺を伸ばしていけば、角イになるよ」
子「まだある。角イの辺を短くすれば、角アになるよ」
子「ノートだからできないけど、重ねたらぴったり重なるはず」

子どもたちの頭の中では、
ただの2つのくちばしのような図(線)が、
伸びたり、縮んだり、重なり合ったりしながら、
実に自由にイメージされているようなのである。

イメージの世界ができあがったときに教師がすることは一つ。

さっそく、色方眼紙の小切れを配り、実際に試してみることにした。
角ア、角イをそれぞれ切り取って、重ね合わせる。
できた〜!
ぴったり〜!
本当だ。。。三角形の大きさは違っても、角の大きさは同じだ!
3つ目も作っていいですか?
茶色とピンクをくださ〜い。
青色と赤色をくださ〜い。

授業後半の15分は、
今は、図工の時間ですか?
と言われそうな算数の時間となった。

授業の終わりの黒板には、
「角の大きさは辺の長さに関係ない」
という言葉が赤で記されていた。
だが、おそらく、
そのsentenceが大事なのではないのだろう。
子どもたちにとって、
一人一人の脳裏に
「角の大きさは辺の長さに関係ない」
というexperienceが記されることの方が意味がある。

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