あれは夢ではなかったのか(8)(vol.130)

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを書き留めていくシリーズの8回目。
(8) ドブソン分光高度計

昭和基地に到着して数日後、すぐに気象棟を訪れた。
気象チームの5人が交代で必ず毎日2回ずつ上げている
ゾンデを放球させてもらうためだ。
放球を終えたあと、オゾン濃度を調べるための特殊なゾンデがあることを知る。
そんな話をしているうちに、
1982年に世界で初めてオゾンホールを発見した機械がここにある、
というので見学させてもらった。

わずか4畳半くらいのスペースに南極の3大発見の一つと言われる
オゾンホールをとらえたドブソン分光高度計が設置されていたあの光景。
当時の中鉢隊員らが昼夜を問わず観測に打ち込んでいたのだろうという光景。

もしかすると、
あれは夢ではなかったのか。。。”… 続きを読む...

あれは夢ではなかったのか(7)(VOL.129)

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを書き留めていくシリーズの7回目。
(7) ハロー

太陽のまわりに大きな輪を描いてできるハロー。
雲を構成する氷結晶と太陽と自分の位置関係で出現するという。

昭和基地滞在中には頻繁に目にした。
それは、ただ南極では出現回数が多いからという理由だけではないように思う。
きっと、南極では空を見上げる機会が圧倒的に多かったからなんだ。

済んだ空気を胸一杯に吸い込んで空に届くまで手を伸ばしたり、
夢をつかむまで仲間とともに何度も飛ぼうとしたりしたあの光景。

もしかすると、
あれは夢ではなかったのか。。。”… 続きを読む...

あれは夢ではなかったのか(6)(vol.128)

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを書き留めていくシリーズの6回目。
(6) 海氷上の石庭

スカーレンに向かうヘリの窓からは海氷上の様子がよくわかった。
真夏に近づくにつれ海氷は解けはじめ
それまで真っ白だった海面に透き通った青色のパドルができ始めている。

その自然が創り出した白と青の模様が
京都の寺院などで見た石庭の模様と重なった。

かつて仏教の高僧が喜びや悲しみを超越してようやく至った悟りの世界と
南極の自然が人を寄せ付けない荒々しさの中に作りだした一瞬の美の世界とが
人知を超えたところで結びついたあの光景。

もしかすると、
あれは夢ではなかったのか。。。”… 続きを読む...

オーロラ (vol.126)

24日未明、オーロラが出現した。

午後10時頃のそれは、満月の光のせいもあってか
星空にかかる白っぽい雲?と見間違えてしまうような繊細な光の帯だった。
それでもその帯は、まるで川の流れのようで
あるときは一筋の波状になって夜空を横断していたり、
またあるときは、幾筋もの線になって広がったりして、
常に私たちの目を楽しませてくれた。

1時間ほど楽しんだあと、一旦船室に戻った。
残務をし、就寝の準備を整えた頃、
「よし、もう一度だけ観察に行ってから寝よう」と船室を出た。

午前1時半頃だった。
今度は、見上げた空の様子が先ほどまでとは一変していた。
真っ白い生き物のような光が天頂付近でゆらゆらと動き回っているではないか。
そうかと思うと、次の瞬間には、
それが大きな渦巻きのようになり、空の上でぐるぐると回りだした。
圧倒されている間もないうちに、突然
強い光の玉が発生したかと思うと、
それは予期できぬ動きで満点の星空の中を自由自在に駆け巡った。
満月の光をはるかにしのぐ強烈な光と動きの激しさに、
こちらに向かってくるのではないかと思わず身をかがめてしまうほど。
しかし、不思議なことに音はいっさいしない。
最後には、蜘蛛の巣のような白と赤の光の網を私たちに降りかぶせてきた。

この激しいオーロラの出現に、時間も場所もつい忘れてしまったが、
ビデオのカウンターからすれば2〜3分程度のものだったようだ。

あっという間のオーロラに心を奪われつつ、呆然としたまま船室に戻った。
就寝の準備をしたはずだったが、気持ちが高ぶって一向に眠くならない。
「よし、今、目の前で巻き起こった出来事をもう一度目に焼き付けよう」
そう思って目を閉じた。”… 続きを読む...

あれは夢ではなかったのか(5)(vol.125)

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを書き留めていくシリーズの5回目。
(2)S17の日没

南極大陸への玄関口のひとつにS17という場所がある。
そこはイメージ通り、いや、それ以上の大陸の大雪原であり、
どこまでも見渡せる大パノラマが目の前に広がっている。

私たちが訪れたこの日は、
ちょうど太陽の沈まない季節が終わったばかりの頃。
短時間だが、太陽が地平線(氷原線?)に沈む瞬間が見られるということで、
隊員たちはその瞬間を固唾をのんで(寒さも忘れて)外で待ち続けた。

夜11:20頃、その時は訪れた。
地球の縁の向こうで太陽が沈んでいく。
最後は、細い細い線のようになって、ついに日没。

太陽が沈む、というごく当たり前のことを
ある隊員は大はしゃぎで、ある隊員は感動して見つめていたあの光景。

もしかすると、
あれは夢ではなかったのか。。。”… 続きを読む...

あれは夢ではなかったのか(4)(vol.124)

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを書き留めていくシリーズの4回目。
(4)ペンギンの足跡

袋浦には、ペンギンのルッカリーを調査するための白と赤の小屋がある。
白いのは豆腐ハット、赤いのはアップルハットと呼ばれている。
その小屋の近くの砂浜で、ペンギンの足跡を採取することにした。
手前に並んでいる白い筒がそれ。
夢だったのかと思う光景とは、この装置が並んでいる光景ではない。

海を眺めているときはいつも、その足下から突然、
バシャバシャと音を立てながらペンギンたちが水から這い上がってきては
なにくわぬ顔で私の目の前を歩いて通過していく光景の方。

もしかすると、
あれは夢ではなかったのか。。。”… 続きを読む...

あれは夢ではなかったのか(3)(vol.123)

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを書き留めていくシリーズの3回目。
(3)峠を越えるペンギン

その日、M隊員が突然こんなすてきな提案をした。
「本当にそのルートをたどっているのか、実際にぼくらも歩いてみよう」
科学者はロマンチストだと思うことがあるが、このM隊員もやはりそうだった。

M隊員はペンギンチームの研究者の一人で、
ペンギンの足跡をGPSでとらえ、そのデータを地図に落とし込んでいた。
すると、興味深いことがいくつか見えてきた。例えば、
•ルッカリーのある入り江とはまた別の入り江まで遠出をしていること
•同じルートをほぼ間違えずに繰り返し利用していること
•目的地までほぼ直線(最短距離)で移動していること
•できるだけ高低差の少ない谷間を通っていること など
実際に足跡をたどってみると
ペンギンの移動ルートは、まさに「山あり谷あり」だった。

こんな厳しい場所に直面しても一心に目的地を目指すペンギンの
あの小さな体がとてつもなく偉大に見えたあの日。
もしかすると、
あれは夢だったのか。。。”… 続きを読む...

あれは夢ではなかったのか(2)(vol.122)

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを書き留めていくシリーズの2回目。
(2)巣作りに励むペンギン

アデリーペンギンの巣は、小石を集めて作られていた。
直径約50~60cmの円状に、それはぎっしりと敷き詰められていた。
試しにその数を数えてみると、ある巣の場合で1460個。
くちばしに一個ずつ上手にくわえて運んでは並べていった結果だ。

すでに繁殖のタイミングを終え、
つがいになりきれなかったペンギンが、
それでもひたすら巣に小石を運んでいる姿がなんともいじらしい。

本来刻まれている「本能」のもと、誠実に生命を全うする、
そんな生き方は不器用ではないということを知ったあの日。

もしかすると、
あれは夢だったのか。。。”… 続きを読む...

あれは夢ではなかったのか(1)

もしかすると、
あれは夢ではなかったのか。。。

定着氷域を離れて大海原を航海中の今となっては、
つい、そう思ってしまいそうな光景がいくつかある。
それらを不定期のシリーズとしてここに書き留めていきたい。
(1)アデリーペンギンのルッカリー

見渡す限り人っ子一人いないこの場所。
耳に聞こえるのはペンギンたちの鳴き声と風の音だけ。
そこにあったのはアデリーペンギンのルッカリー。

親子寄り添いながらじっとたたずむものたち。
身をかがめて小石をつまみせっせと巣に運んで積み上げるものたち。
氷の割れ目から海に飛び込んでは自由自在に泳ぎまわるものたち。
別のえさ場を求めて岩場の坂を一歩一歩登るものたち。

私たちの訪問を気に留めることもなく、
自分たちの時間をどこまでも穏やかに、
それでいて、ひたすら力強く過ごしている。

まさにペンギンたちの楽園とでもいうべき光景が、
目の前に突然と現れたあの日。
もしかすると、
あれは夢ではなかったのか。。。”… 続きを読む...