お重実験箱

理科「電気の通り道」の学習が一段落。
同時に、
理科「じしゃく」の学習がスタートしている。

「電気の通り道」では、お弁当実験箱から学習活動が始まったが、
「じしゃく」では、お弁当箱一箱では収まらず、
小さなケース4つ、5つに分けることになった。
一段目のケースには、棒磁石を、
二段目のケースには、U型磁石を、
三段目のケースには、丸形、ドーナツ型、星型磁石を、
四段目のケースには、球型磁石をと、
様々な磁石をしのばせておいた。
そのケースを重ねてみると、さながら、重箱のように見える。
そこで、お重実験箱となった。

子どもの発達段階をふまえると、
磁石と十分に触れ合う中で
その不思議さや特性を実感できるような場が欠かせないことは
言うまでもない。

しかし、そんな中にも、
子どもの心を揺さぶる刺激は大切にしたい。
それも、
幼稚園や保育園ではない小学校の、
しかも、理科としての刺激を。

子どもたちには、
見慣れた棒磁石やU型磁石の他に、
丸形、ドーナツ型、球型などをしのばせたのも
そのような願いからだったのだが、結果はどうか。
例えば、
色、形、大きさ、磁力などが異なる様々な磁石に触れる中で、
磁石とは何か、どんな動きを見せるのか、などが感得できるだろう。
さらに、
磁石なのに引き付けない場所があるのだろうか、
磁石の両端にある極の性質は同じなのだろうか、
あるとすれば球型磁石の場合の極はどこなのだろうか、など
そんな不確かな認識が
子ども一人一人の意識の敷居をまたいでくるような時が学びなのだろう。

今日は、また、鋭い言葉が3の1で生まれた。
「じしゃくは、鉄を見分ける、道具である」

話のいきさつはかなり長くなりそうなので割愛するが、
大まかには、こう。
まず、子どもたちは、先の多様な磁石を手にした。
そこで、吸引、反発の現象をたっぷりと楽しんだ。
翌日、一見似ているけれども異なる素材の物を混ぜて手渡し、
磁石に付く物、付かない物を調べた。

1回目:鉄のクリップとプラスチックのクリップ。
これらは、すぐに素材の違いに気づき、簡単、簡単と取りかかる。

2回目:鉄やステンレスなどの釘やネジ。
これらは、どれも金属だから全部磁石にくっ付く!と言うみんな。
中には、やってみないと分からない、という子も。
実際に取りかかるや否や、「あれ〜、くっ付かん!」の声。

3回目:見た目はほぼ同じ虫ピン。
これらも、針の部分の見た目はどれも同じ。
ところが、磁石を近づけると、付く物と付かない物がある。
一方は鉄で、一方はステンレスだった。

これらの観察・実験(?)から
子どもたちは、磁石に付く付かないは、
素材、作っている会社、ギザギザ模様、色、形による、という意見の中から、
やっぱり素材だ、と結論を引き出す。
ここからは教師が言う。
「金属は金属でも、磁石に付くのは『鉄』という金属です。」

今日は、その復習から授業がスタート。
「磁石に付くのは  です。」と書くと
鉄! という声と、
金属! という声。
子どもの分かり方とは、果たしてそういうもの。
と、そこに、
「電気の時は金属はほとんど点いたけど、磁石は鉄だけだったよ」
と、前単元「電気の通り道」での既習事項を引き出しながら
発言する子がいた。
そこで担任は、
「今日は、いろいろな『金属』を調べよう」と準備していた硬貨を取り出す。
1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉。
前の発言を受け、
磁石だけでなく、豆電球の点き方も同時に調べることになった。
結果を比較すると、
硬貨はどれも全部、電気を通すが、
硬貨はどれも全部、磁石につかない、という表がそれぞれのノートの上に完成した。

磁石にくっ付いてくるのは、金属の中でも、やっぱり鉄だけだったのである。

そこで生まれたのが、先の言葉。
「じしゃくは、鉄を見分ける 道具である」by 3の1…
続きを読む...

フィラメント

導線が、一本の輪のようになっていると豆電球が点く。
このことを、
9歳の子どもたちの自然認識の特性を鑑みながら理解していくのが
単元「電気の通り道」。

現在、子どもたちは、
例のお弁当実験箱に、
2ℓペットボトルと
様々な導線代わりの物(針金やアルミホイル)と、
パクパクスイッチ、棒形スイッチ、スライド式スイッチなどを取り付け、
理科工作に没頭している。

そんなある日、
いつも机の上に置いてある双眼実体顕微鏡を指差しながら、
ある子が言った。
「豆電球の中にあるフィ、フィラ、フィラメント?だっけ?
 それを、これ(双眼実体顕微鏡)で見たら。。。。」

そうか、その手があったか!

これまで、導線が回路としてつながっていることが大事ということを、
「導線1本実験」や「教室1周実験」や「1mm実験」など
子どもの問題が成立した場面で、
それぞれに期待感を膨らませながら実験してきた。
そして、このフィラメントもその回路の一部として認識されていた、
とは思う。

そのたびに、イメージ図に表現したり、実際に観察したりして
「確かに電球の中にも電気くんの通り道がある」
「よく見ると、豆電球の中にも導線がある」
などと、そのかなり小さくて、細くて、わかりにくいフィラメントを
意識の上ではクローズアップされてきていた、
とは思う。

しかし、そこにはまだ欠点があったのである。
それは、
このか細い線そのものが、あの光を放っている!
ということが見えない(わからない)。。。。。ということである。

もしも、豆電球を双眼実体顕微鏡で見たとしたら、
細いフィラメントのあのくるくるや、
やや山なりになっている形状が、
はっきりと目に飛び込んでくる。

それだけではない。
それまで、電気の通り道としてのフィラメントだったものが、
単なる電気の通り道としてではなくて、
電気を光というエネルギーに変換するものとして、
目の前で、リアルに体感できる可能性があるのである。

「豆電球の中にあるフィ、フィラ、フィラメント?だっけ?
 それを、これ(双眼実体顕微鏡)で見たら。。。。」
そうか、その手があったか!
*ただし、レンズを通して光を見るのはほどほどに。
(モニターに映すなどしたらよいだろう)

電気の通り道としてのフィラメントが、
電気エネルギーを光エネルギーに代える道具としてのフィラメントに
見えてきたとしたら、
9歳の子どもたちの自然の概念は少し更新されるのかもしれない。
それも、
単元「電気の通り道」か。…
続きを読む...

教室1周実験

理科「明かりをつけよう」の一場面。
これまで子供たちは、「電気を道に迷わせよう」と
長い導線を、B4の用紙の上で、思い思いに這わせながら、
いろんな回路を作っていた。

くるくると電話の受話器の線のように巻いた回路。
30回以上もぎゅっとしばった回路。
ネコの顔のようにした回路。
これなら、もしかしたら、
電気が途中で迷ってしまうかも。。。
いや、電気が迷うはずがない。。。
そんないろんな期待感がうずまいていた。

そして、いよいよ点灯。
結果は、どれも、電気が通った。
しかも、一瞬で。
「やっぱり!」
「どんな回路でも一つの輪になっているからね!」
みんなは納得をさらに深めていた。

そこに、ある子が発言する。
「先生、教室1周するくらい長い導線でやってみたい!」
「うん、それ、おもしろそう!」
「きっと、それも一瞬でつくよ!」
「へえ、一瞬でついたら、すごいよね!」

と、次の実験への見通しがたったところで
前の理科の時間は終わっていた。

そこからが今日の理科。
さっそく、用意した約20mの導線を、
みんなの手に順に渡していく。
ぼくも、私も、と手を伸ばす。
中には、ぎゅっとにぎったり、
折り曲げたりして、電気の流れを制御しようとする姿もある。

いよいよ、導線の先を結ぶ。
「3,2,1,はい」
「ついた〜」
「すごい!速い!」
「まるで、レーシングカーみたい!」
「レールを走る電車みたい!」
「やっぱり、一つの輪になってるからだ!」
そこからは、そんなみんなの電気の流れに対するイメージを
図に表していく。

ある程度イメージができたところで、
こんどはこんなことを聞いてみる。
「そんなに速く走っている電気なら、
 1mmくらい切れていても、
 飛び越えるのではないの?」

そんな担任に、
子供たちは、一気に声をあげて言った。
「そんなはずないよ〜」
「1mmだって切れていたら輪になってない!」
「電気くんは、そこで止まってしまうよ!」
「電気くんが、ジャンプできるはずがない!」
「たとえジャンプできたとしても、
 ちゃんと1mm先に着地するレールがあるとは限らない!」
「銀河鉄道999みたいにね」

ここで「銀河鉄道999]の映像が出てくるとは思ってもいなかったが、
今の3の1には、とてもわかりやすく、
今の3の1のみんなにだけ理解できるような、
共通の言語でもあった。

その後、各班では、さっそく、1mm実験が行われた。

続きを読む...

お弁当実験箱

理科、明かりをつけようの学習。
「お弁当実験箱」を手にしたみんなは、
いっせいにそのふたを開けて
豆電球の点灯に夢中になった。
その姿の楽しそうなこと。。。
本当に、みんなの好奇心の旺盛さには圧倒される。

それにしても、なぜ、
キレイな実験セットより、
こんな「お弁当実験箱」に
みんなはあれこれとかかわっていくものなのだろう。

点いた〜
こんなのでも点いた〜
見て見て〜 導線と導線の間にこれを置いても点いた〜
それなら、ぼくだって、こんなので点いたよ〜
15分もすると、さまざな回路が
あちこちでできあがった。

導線を縛った回路、
間にはさみをはさんだ回路、
点いたり消えたりする回路。。。

そのうちに番外編も出てくる。
例えば、点かない回路。
しかし、それらはとても大事なのである。
それは、なぜ点かないのかを
みんなで見つけていくことができるからである。
乾電池がないのではないか。
ソケットが緩んでいるのではないか。
豆電球が切れているのではないか。
導線が離れているのではないか。
ビニルの被膜の上から結んでいるのではないか。
子供たちの声で、
考えられるほとんどの要因が埋められていく。

また、こんな番外編も出てきた。
それは、熱くなる回路。
いわゆるショート回路だ。

番外編というか、失敗というか、
そこから学ぶことは多いものである。

こんな時間が45分、
豆電球を点けるという時間が45分、
回路というものはどういうことかを感得した時間が45分、
そんな時間が、たっぷりと流れた理科の時間。

それにしても、なぜ、
キレイな実験セットより、
こんな「お弁当実験箱」に
みんなはあれこれとかかわっていくものなのだろう。…
続きを読む...

やり直し

今日の話はかなり長くなりそう。
とてもここには書ききれないくらい。
だって、
「やり直したらいいかどうか」なんてこと、
すぐにいいとか悪いとか結論づけられないよね。

そうだからこそ、
キックベースの試合が終わってからも、
自分の立場を主張し、涙したんだよね。
自分の気持ちをおさえ、相手を思いやって、涙したんだよね。
みんな真剣になって考えたし、迷った。。。

「やり直し」したらいいと思ったのは、
セーフかアウトか悶々としているよりすっきりしたかったから。
そのままにして試合に勝ってもうれしくなかったから。
このあともずっとみんなとゲームを楽しみたかったから。

それでも「やり直し」したくなかったのは、
せっかくスライディングしてまでがんばったのだから。
一点差を争う大事なところだったのだから。

それぞれの思いが分かれば分かるほど、
どこかに接点が見いだせると思っていたが、
逆に、それが大きな葛藤となっていく。
もう出口はないのか、そう思いかけていた。

そんなとき、ある子が言った。
「やり直し」したくない気持ちは、私、すっごくわかる。
わかるけど、けどやっぱり、やり直すことが
みんなにとっていいのではないかなと思う。
もし、そうでなかったら、
どちらかが、がまんする側になってしまうから。

この一言に、みんなの気持ちが動いた。

私も、その気持ち、すごくわかる。。。
ぼくも、どっちとは言えないけど、それがいいと思う。。。
学校の体育って、勝ち負けだけでなく、運動を楽しむことだし。。。

その子の発言には、
文字には決して表れないものがあった。
それは、
「他者を思う」というか、
「自分の迷いも包み隠さない」というか、
「本当は、そう決断することは自分もつらい」というか、
そんなハートが表れていたと思うのである。

もう出口はないのか、そう思っていた自分がはずかしい。
どこかに納得させないと、そう思っていた自分がはずかしい。
出口を見つけることや、
納得の行き先を見つけることだけが役割じゃない。
一緒に悩むこと、ともに痛みを分かち合うこと、
それしかできないことだって、あるんだ。

続きを読む...

一大事

朝、登校したての児童玄関で
「先生、先生〜」
と駆け寄る子がいた。
突然の呼び止めに、
思わず、一大事が起こったと思い、近寄って話を聞く。

「今、そこで、学校にくる時に。。。」
と息を切らしながら話し始める。
その様子に、ただならぬものを感じた担任は、
「どうした?何かあったか?ケガでもしたか?」
といろんなことを想像しながら
おそるおそる聞き返す。

「ううん。そうでなくて、今、そこでね。。。」

「そこで、何があったの?」

「今、ちょうどね、まん丸い月が見えたの」

「。。。。。。。」

「そしてね、その反対側にね、ちょうど太陽が昇ってきたの」

「。。。。。。。」

「それが、本当にちょうど反対方向にあって、
 どうしてかなあって。すごいなあって。」

なるほど、それは一大事だ。
普通、月は夜にみられるもの。
それが、朝に、しかも
満月が見られるなんて。
さらに、その反対の方角には、
ちょうど太陽が昇ってきているなんて。
そんなすごいことが、
一大事でないはずがない。

今からちょうど1ヶ月前の10月4日の夕方に、
その反対となるそんな自然のいたずらを目の当たりにして
誰かにその感動を伝えたくなっていた大人が、
確かにいたのだから。

続きを読む...