二夏の部屋

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの75回目。
(写真は54次隊のときのもの)


昭和基地をあとにする直前に、
ずっとお世話になってきた宿、通称「二夏」へ立ち寄る。
先日紹介した「一夏」のベッドに引っ越すまでは、
このパイプの2段ベッドの上段がずっと自分の居室だった。
頭上には単行本が置ける程度の浅い棚に身の回りの物を並べた。


みんなが集まるサロンの中央に、寝台を再利用した長机があり、
角には、水がめがわりの湯沸かし器があり、
壁伝いには、びっしりと缶詰などの非常食が積み上げられていた。
賞味期限の迫ったものからこうして配給されていく。
水はポリタンクに入れて、一日1回湯沸かし器に補給する。
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サンプルの保管場所

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの74回目。
(写真は54次隊のときのもの)


優雅に釣りを楽しんでいる、
というわけではない。
これは、何かを釣らなければならない、
という強迫観念を感じながらの
ひとつの「調査」のようなものだった。
余暇としての釣りは、また別にある。


ここは、宿舎の排水が濾過されて流れて出てくるところ。
水のサンプルはこの大型の保冷庫に集められ、
ある程度浄化されていることを常に自己管理する。
食料と一緒にサンプルでも何でも保存してしまうところが
なんとも観測隊らしい。”… 続きを読む...

管理棟の夜

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの73回目。
(写真は54次隊のときのもの)

昭和基地の管理棟の夜。
みんなが寝静まったあとのサロンで
書棚の中の過去の記録新聞を読んだ。


各隊では、南極昭和基地での生活を
独自の新聞にまとめている。
新聞の届かない南極だが、
この新聞はほぼ毎日欠かさず書き留められる。
そこには、隊員たちの苦労や喜びや寂しさや楽しみが
豊富な知識とたくさんのユーモアを織り交ぜながら綴ってある。

おそらく、担当者が日替わりでかわっているので、
それぞれの紙面には個性があふれていて、
その魅力は、ページをめくる手がとまらなくなるほど。

読んでいる内に、何年も前の観測隊の中に
タイムスリップしたかのような錯覚に浸るのも好きだった。
時折、ページの中に写真がのっていて、
その写真がまさに今自分が座っているこのあたりだったりすると、
ボルテージがまた高くなるのだ。

歴史は一日、一日の積み重ね。
今日もまた、新しい一ページが書き加えられていることだろう。

54次隊の新聞は、54だから「ゴシップ新聞」。
55次隊の新聞は、どんな名前に決まったのかな?”… 続きを読む...

隊長室

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの72回目。
(写真は54次隊のときのもの)


こちらが昭和基地の隊長室。
ちょっと露出がうまくいっていないが、
なんとなく威厳の漂う空気感は伝わるだろうか。
なんだか、学校の校長室でしかられる?
子供のような気分になってしまう。


こちらは、昭和基地の心臓部と言えるかもしれない。
日々の生活で出るゴミや汚水を処理するところがここ。
この膨大な量の管理を行う専門隊員はたった一人。
一日も休むことなく稼働させていくという責任は大きい。
みんなでサポートをしながら行う。”… 続きを読む...

一足早い慰霊祭

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの71回目。
(写真は54次隊のときのもの)


昭和基地の中心、
19広場をちょっと下った所に、
福島ケルンが建立されている。
観測隊の歴史の中で唯一の遭難事故で
尊い命が奪われたのだが、
このケルンはその教訓を忘れまいという
強い決意の表れでもある。


毎年、越冬隊はその越冬成立の節目で
安全祈願を兼ねて慰霊祭を行うのが常。
しかし、私は夏隊だったため
慰霊祭には参加できないとがわかっていた。
それでも、こんな自分が南極の地で
何かできることはないだろうかと思ったとき
その一つは、南極観測にかけた先輩隊員の供養だと思った。


私は、リュックの隅に衣と袈裟と
経本とおりんと香炉とろうそくの入ったかばんを
そっとしのばせて持って行った。
実家はお寺だったので、携帯に便利なものを出発前に準備した。
越冬隊長からは、「隊としては後日、別に行うつもりだが、
君が個人的な思いでする分には何の問題もない」
との返答をいただいた。

その日は折しも、ブリザードが近づいてくると予報されていた。
私は、天候が荒れる前の昼食時に、
休憩をとっている隊員たちに声をかけ、
慰霊祭を行うことにした。

ケルンの前には、数名の隊員たちが集まった。
私の読経はとても上手とはいえないが、
それでも滞りなく
しめやかに慰霊祭を執り行うことができた。
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昭和基地の農協

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの70回目。
(写真は54次隊のときのもの)

しらせが順調な航海に戻れそうなので
話題を再び昭和基地に戻してみたい。


南極の自然界では緑の葉っぱが育つ、
ということはあり得ない。
だから、この新鮮な野菜は、昭和基地ではとても貴重品だ。
水や温度や栄養などの条件を整えて
ここまで手塩にかけて育ててきたものだ。


畑はこのようになっている。
ここは、「農協」と呼ばれている部屋の中。
お世話に取り組んできた隊員は
少しずつ根を伸ばし、小さな葉をつけ、茎を太らせていく日々を
どんな思いで見つめてきたのだろうか。


やがて小さな芽たちは、この大きさになる。
収穫した手の重みは、
その人にしかわからないのかもしれない。
ちょうど、ソチオリンピックの選手が
メダルを手にした時のように。

昭和基地の食卓にならんだ野菜たちは
みんなから羨望のまなざしを受ける。
野菜がきらいだ、
などといっているものたちはどこにもいない。”… 続きを読む...

地球の果て

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの69回目。
(写真は54次隊のときのもの)

無事、しらせが座礁から離脱したとのこと。
さらに、乗組員には異常なしということなので、
なおのこと安心。

しらせが南極大陸付近で座礁したということは、
今後の新たな上陸地点を模索していたらしいと想像できるけれど、
実際に我々が見た大陸と海との境界はこうだった。


もう、ここから先は一歩も立ち入れさせない、
といわんばかりの氷の壁だ。
あまり近づきすぎると、壁にぶち当たって危険だろうし、
たとえ近づけたとしても、
その上に這い上がることなど到底無理。
時折、青白く光が、その異様さを際立たせていた。


その氷の壁が、
ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと
ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと
果てしなく続いているのである。
地球を南へ、南へと行ったその先には、
まさに「地球の果て」があったのだ。

地球は丸い、というのは
本当なのだろうか。

今回のしらせ座礁のニュースから
多くの人が、地球の果ての光景について
様々な想像を描いたに違いない。

写真は、今回、しらせが座礁したところから
もう少し東に進んだ
アメリー棚氷とよばれる所。

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しらせ座礁のニュース

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの68回目。
(写真は54次隊のときのもの)

前回、「しらせは無事、定着氷域を脱したようだ。」
と書いたばかりだったが、
その後、突然の「しらせ座礁」のニュース。
幸い、座礁からの離脱に成功したようなので、
ひとまずは、安心した。
みんなもきっと元気だと思う。

では、一旦定着氷を脱したしらせに
いったい、何が起こったのか。

しらせは、満載時の喫水の深さ(水面から下の部分)が
10mほどもあるという。
他の船に比べて多く水面下に沈んでいるので
座礁の危険性はそれだけ高いと言えそうだ。
東北の震災時に、救助に向かおうとするしらせを
受け入れることができる港が限られていた、
というのもうなづける。

それにしても、
そんな浅い場所になぜ近づいていたのか、
という疑問は残る。

座礁したのはロシアのマラジョージナヤ基地沖だという。
地図で調べてみると、
昭和基地のすぐ近くだった。

きっと、今後の研究や観測のために
そちらからの上陸方法を模索していたのかもしれない。
燃料などを昭和基地に運んだあとならば、
喫水の深さも少しは浅くなっているだろうから、
うまくいけばぎりぎりまで接岸できるという見通しがあったのだろう。

しかし、その辺りの情報は、
やはり未開の地、南極だけあって、
わからないことだらけだ。

だが、わからないことだらけの中でも、
持っている能力を最大限に発揮して果敢に挑戦し、
目標達成に向けて、
何年かかってでも、
一つ一つハードルをクリヤーしていくのが観測隊。

今回の座礁も、
観測隊らしいファーストアタックだったのかも。…
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不便なくらいがちょうどいい

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの67回目。
(写真は54次隊のときのもの)

第54次越冬隊と第55次夏隊をのせたしらせは、
無事、定着氷域を脱したようだ。
今、現在、隊員たちがしらせに乗って進んでいるということは、
インターネットを使える状況にないということである。
あるのは、ほそぼそとしたメール回線のみ。
頻繁に更新されていた夏隊員たちのサイトは
しばらくお休みしているはず。

その分を少しでも補う、というわけではないが、
もう少し、昭和基地での行動をバーチャル同行していきたい。


前回は、昭和基地の管理棟の個室を訪れたが、
こちらは、昭和基地の第一夏宿の部屋。
部屋といっても、4つのベッドが上下左右に並んでいるだけで
扉があるわけではない。
個人的に使用できるのはもっぱら
自分が寝転がることができるベッドスペース。


その上にパソコンを広げて仕事をしたり、
足下には身の回りのものを詰め込んだバックをおいておいたり、
横には上着を掛けたりしておくのだ。
コンセントの数にも限りがあるので、
配線を工夫して、それなりに使いやすくしながら過ごす。
この狭さは、私にとってはとても快適な空間だった。

というのも、すぐ隣のベッドの隊員は、
私がよく同行させてもらっていたチームのリーダーで
いわば南極のベテラン隊員だったのだ。
わからないことは聞けばだいたいすぐに応えてもらえたし、
落ち着いた物腰はそれだけで安心感を与えてくれた。
この狭い空間が好きだったのは、
おそらくそのおかげだと思っている。


洗濯物は、こうしてかけておくと
一晩ですっかり乾いてしまう。
節水のため、原則、洗濯機は4日分ためてから使用し、
その他は、すべてお風呂場で手洗いする、という毎日。
昭和基地での生活は、地球の環境を考える生活。
不便なくらいがちょうどいい、ということに、ここで気づいた。

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個室

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの66回目。
(写真は54次隊のときのもの)

第54次越冬隊と第55次夏隊をのせたしらせは、
順調に北上していることと思う。

バーチャル同行としては、
ここから帰路のしらせの様子を記していくところなのだが、
第54次越冬隊と第55次隊が過ごした昭和基地のことについて
もう少し、バーチャル同行してみたい。


越冬隊が1年以上も過ごした昭和基地には、
一人一室分の個室がある。
と言っても、ベッドとデスクと棚とクローゼットが
備え付けられている以外、余計なスペースはない。
ただ、夏期間の同宿状態からみれば
多少プライベートが確保される点は大きい。


この家具の配置は、各部屋で微妙に違いがある。
また、1階の住人になるか2階の住人になるか、
そのあたりも好みがあるのかもしれない。
まあ、もともと狭い研究室で寝泊まりしたり、
1年の多くを自分のフィールドとする野外で過ごしたり、
強い風や雨や日差しの中で長時間行動したり、
土やほこりや汗にまみれたり、
そんなことをもろともしない
面々ばかりなんだけれども。

私は越冬隊ではなかったから、
この管理棟にいられたのはほんのわずか。
ただ、昭和基地の管理棟の中にいるだけで、
いつも私は、観測隊の歴史と先人の思いを
感じることができるようなそんな気がしていた。
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