もう一つの観測隊の姿

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの65回目。
(写真は54次隊のときのもの)

第54次越冬隊と
第55次夏隊は、
2月10日までに全員がしらせに戻ったようだ。
今後は、約40日の航海を経て、
オーストラリアまで戻ってくることになる。


一人、また一人と昭和基地を離れていく隊員。
課された使命と抱いたロマンを胸に秘め、
がむしゃらに過ごした日々。
ヘリポートでは、そんな毎日を
互いにたたえ合う姿が
あちこちに見られた。


ふと目をやると、ずっと向こうから
このいでたちでこちらに向かって歩いてくる隊員がいた。
54次隊最年長となる越冬隊員だ。
彼は、ともに汗を流す若いチームメンバーたちへの
リスペクトを常に忘れない方だったが、
この最後のお別れの日も、やはりそうだった。

いつの間に準備をしていたのか、
背中から長いのぼりをはためかせ
さっそうと歩いてくるではないか。
その全身に最高の敬意が表れていた。


また、設営系の隊員たちのお別れの仕方もさすがだった。
いつもの青い愛車のトラックを何台も連ねて
ヘリポートにやってきたのである。
もはやそこに、どんな言葉も必要なかった。
それだけで、言いたいことはすべてわかったような気がした。
しらせに戻るまでの間には、そんなもう一つの観測隊の姿がある。

おそらく、今頃は
しらせの中にも、
昭和基地の中にも、
何かぽっかりと穴の開いたような
そんな残像があるのではないだろうか。”… 続きを読む...

越冬交代

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの64回目。
(写真は54次隊のときのもの)

去る2月1日、
第54次越冬隊と第55次越冬隊は、
昭和基地の管理運営を交代した。

我ら54次隊の越冬隊員のみなさん、
本当にお疲れ様でした。
まだ、残務はあると思いますが、
とりあえず大任を終えられ
ほっとしておられることでしょう。


思えば1年前の2月1日。。。。。
天気は快晴で、昭和基地前の19広場では、
越冬交代セレモニーの準備が着々と進められていた。
1年以上も苦楽をともにしてきた53次隊の越冬隊員のみなさんにとっては
万感迫るものがあったに違いない。


準備が整うと、53次、54次の越冬隊員たちが互いに向かい合って整列する。
私たち夏隊はその周囲で儀式を見守る。
厳粛な空気の中、それぞれの越冬隊長がご挨拶をされた後、
場所を入れ替えて越冬交代が宣言。
この時の両越冬隊長の振る舞いがとても印象的。

まず、53次の越冬隊長は、
隊員一人一人にプレゼントを手渡していた。
どうやらそれは隊員の特徴や性格を全て知り尽くした隊長ならではのもので、
その隊員にぴったりくるようなものだったようだ。
プレゼントが受け渡されるたびに、
53次越冬隊員たちから笑いやうなづきが聞こえてきたのはそのせいだろう。
しかも、なんと手作り。
芸術的なセンスと巧みな技能を兼ね備えておられた。

次に、54次の越冬隊長は、
隊員一人一人の氏名を心を込めて呼名した。
なんと、名字も名前もフルネームで、
もちろん、メモなどいっさい見ずに、
すらすらと呼び上げたのである。
はじめのうちは、みんな静かに聞いていたが、
20名をこえた辺りから、周囲にどよめきが聞こえ始めた。
(もしかして、隊長、下の名前までみんな覚えてるのか)
みんながそのことに気づき始めたのだ。
最後の1名が呼ばれると、大きな拍手が巻き起こった。

私は、隊長の大きな愛を感じずにはいられなかった。
そして、この家族のような越冬隊員たちを
うらやましく思った。


その後は、しばらく歓談が続く。
53次の越冬隊員たちは
やはり安堵の表情に満ちていた。
54次の越冬隊員たちは
こんなときでも引き継ぎのことで頭がいっぱいのようだった。


しばらくすると、さっそくしらせに帰艦する越冬隊員たちの見送りが始まった。
今回は54次越冬隊員たちが見送られる番だ。
今頃は、すでにヘリでしらせに戻っておられることだろう。
2月1日から順にフライトし、
今日、2月8日までにはほとんどの隊員が昭和基地を離れるらしい。

55次隊の越冬隊のみなさん、
昭和基地をよろしくお願いします。”… 続きを読む...

パンジーエリア

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの62回目。
(写真は54次隊のときのもの)

今頃はきっと、
第54次越冬隊のみなさんの活動、および、
第55次夏隊のみなさんの活動の集大成となるものが、
昭和基地のあちこちで見られることだろう。

このバーチャル同行シリーズも
そろそろ終盤だ。

バーチャル同行では今、
野外観測から昭和基地に戻ってきているところ。
もう少し、昭和基地での活動をみていきたい。


こちらは1000本のアンテナを立てるという
pnasy計画が繰り広げられている一帯。
完成したエリアから順次運用を開始しデータを取り始めている。
ここまで作り上げるのに、約3年の月日がかかっている。
ほぼ人力で築きあげられたとは思えないほどの精巧さと美しさだ。


第54次隊でこのpansy計画の中心を担ったのはこのメンバー。
みんな、ちょっとお疲れの様子がにじむ表情だ。
それもそのはず。
来る日も来る日も、このエリアに通い詰め、
冷たい風に1日中吹き付けられながら作業をするのだ。


エリアに到着すると、
それぞれ持ち場に散っていく。
今日は○○エリア、明日は○○エリアと区切りながら進めていくのだが、
もともとのエリアの広さに比べて人員は最小限で行っているので
一人あたりの守備範囲はかなりのものとなる。

もちろん、その作業内容も多岐にわたる。”… 続きを読む...

南極授業

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの61回目。
(写真は54次隊のときのもの)

2月に入った。
第54次越冬隊のみなさんは
昭和基地での長い越冬生活に別れを告げ
少しずつしらせに帰還しているころだと思う。

何はともあれ、
みなさまの任務の完遂と、
無事に大役を果たされたことに
大きな敬意の念が沸いてくる。

ただ、南極授業は
ここからが本番を迎える時期でもある。


授業はその日、その時だけで創り上げられるわけではない。
まず、当然のことだが、授業者は授業を練り上げる。
これは孤独な作業である。
自分と向き合い、
子供の思考と向き合い、
そして、南極そのものと向き合う。
そうして、素材が教材になる瞬間が訪れるのを待つ。


自分の中に授業が描かれると、
今度はそれを、授業クルーの仲間たちと共有する。
綿密な打ち合わせによって、
授業の意図や流れや雰囲気みたいなものを
互いに理解していくのである。
それぞれの持ち場では
確認作業のリハーサルが何度も繰り返される。


リハーサルは、予定されている時間のほかに
こうして夕食後に自主的に集まって行われることもある。
光の当たり具合やモニターの視認性などをチェックし、
不具合があれば、いろんなアイデアで解決を試みる。
授業クルーは、ここに集まっているメンバーの他に、
屋内にもスタジオクルーがいて、そちらも
カメラワークやスイッチングの確認に余念がない。

一つの授業は、
膨大な時間の積み重ねと
数多くのメンバーのあくなき向上心の
総体の上になりたっているのだが、
そういう中で授業を創り上げることができる幸せを
私はここでかみしめていた。”… 続きを読む...

石の庭園

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの60回目。
(写真は54次隊のときのもの)

スカルブスネスの露岩帯を
私たちはまるで砂漠の中にいるかのように
何時間も歩き続けた。


視界をさえぎる物は何もないので、
広大が土地がいっぺんに目に映る。
そのせいで距離感がかなり麻痺してしまうのか、
遠近感がつかめなくなるような錯覚を私たちは何度も味わった。
近くに見えても、本当はかなり遠くのものだったりするのだ。
そんな中、私たちはとても不思議な光景に出くわした。


あるピークを登り切ったその先にあったのは、
それまでの坂道からは想像もつかないような
平坦な地形だった。
しかも、あちこちに大きな岩がごろごろしている。
いつか宇宙人がここにやってきて、
わざと並べていったとしか思えないような不自然な光景だった。

いつからか、ここを南極観測隊員は「石の庭園」と呼んでいるのだと、
その時、教えてもらった。
南極は、ほんとうに不思議で魅力的なところだ。
“… 続きを読む...