シンプルさ

南極授業が授業であるために12

南極昭和基地での観測、設営活動は、
通常の状況とは異なり、
一筋縄でいかないことが多い。

それだけに、隊員は全力を尽くす。
全力を注いでいるところには、
いつもドラマが生まれる。
夏の甲子園、オリンピック、などがそうであるように。

今回、JARE54においても、
忘れがたいドラマがたくさんあった。
そのひとつを取り上げたコンテンツが
「JARE54-世界初!無人航空機気体サンプリング 」

これは、昭和基地周辺の上空から
気体サンプルを回収するのに
なんと「無人の模型航空機」を利用しようという試み。

授業者の実感としては、
おそらくこのコンテンツを取り上げていた時間帯の
子供の反応が集中していたのではないと感じている。

では、なぜこのコンテンツが「教材」となり得たか。

一つ目は、
「ラジコンのような航空機」が子どもたちにとってとても魅力的な存在であり、
同時にそれが、
「なぜ、南極で模型飛行機なの?」
という予定不調和を起こしていたことだと考える。
このシンプルさが
授業では大事なのである。”… 続きを読む...

問いが生まれる

南極授業が授業であるために11

われわれ同行教員が「南極授業」で本質とすべきことは、
むしろ、
「学ぶことや生きることの意味」のようなものではないだろうか。

「1000本もあるのに、1本1本手作業で立てていく姿」や
「過酷な状況下であるのに、目的を達成するためには努力を惜しまない姿」そのものが
授業の教材となるのである。

子ども達がその教材に直面した時、
「なぜ、そうまでしてするのか」
「人を突き動かすものは一体何なのか」
という問いが生まれる。

問いが生まれれば、そこに
子どもは類推を働かせ、
やがて思考を組み替え、
新たな推論を展開し、
これまでになかった概念を一人一人の中に形成していく。

そういうことは、
子どもの主体的な学びを大切にしてきた
先輩教員たちの日々の授業研究の中で
すでに明らかになってきていること。

だから、その流れを受け継ぐ一人の授業者としては、
たとえ「南極授業」が
限りなく一方通行に近い状況下で行うものであっても、
そこに少しでも主体的な学びが成立するよう、
ぎりぎりまであきらめないで
挑戦し続けなければならなかったのである。

そうして出来上がったこのコンテンツは、
今も時々、
子ども達とのミニ南極授業に登場するのだが、
比較的好評である。

そういう子ども達の姿を見るにつけ、
先輩教員に実践によって明らかにされてきた授業の本質は、
今も昔も変わらないのだと痛感させられるのである。

授業は、
その本質をとらえてさえいれば、
子ども達を引きつけて離さない。”… 続きを読む...

本質は何か

南極授業が授業であるために10
 
もうひとつ、
「教材化」をはかる上で留意していることがある。
それは、いつのときも
「本質の見極め」である。

例えば、教材として
昭和基地における「PANSY計画」
を取り上げると決めたら、
その本質は何かを見極めることが大切。

たしかに、
昭和基地で行われているPANSY計画には、
「1000本ものアンテナを立てる」
「南極では世界初の試みである」などなど、
その話題性やインパクトの強さは相当なものがある。

それだけに、ついつい
十分な子ども理解や教材分析がなされないまま
授業の中に取り上げてしまいがち。
しかし、南極授業が授業であるためには、
それだけでは不十分であることは
すでにここまで述べてきた通り。

では、今回のPANSY計画を中心に据えたコンテンツの
本質は何か。

おそらくそれは、
PANSYとは、南極昭和基地大型大気レーダー(PANSYレーダー)のことで、
Program of the Antarctic Syowa MST/IS radar、の略で、
完成すれば南極最大の大型大気レーダーとなって、
これによってブリザードをもたらす極域低気圧のことや、
オゾンホールにも関係する対流圏界面などの研究が進み、
現在は、対流圏と成層圏の空気交換の様子がわかってきており、
将来的には、気候予測の精度向上などが期待されている。。。
などということではないだろう。

こういった側面は、
観測隊の研究者が行う「南極教室」に
譲りたい、いや、譲るべきだと思う。
そもそも、
われわれが「南極授業」で扱うには不可能な領域なのだ。
“… 続きを読む...

授業のプロとして

南極授業が授業であるために6

一方、コンテンツを作成するはしたが
最終的には「教材」となり得なかったものもある。

その一つが、例えば
「JARE54-ゾンデ放球」というコンテンツ。
私が昭和基地入りしてから、
まず最初に取材を行ったのがこれだった。

ゾンデの放球は、
地球の気象観測に欠かせない事業。
我が国の南極観測が始まって以来
ずっと継続されてきている。

大きな風船のようなものを膨らませ、
そこにラジオゾンデという
小さな観測機器を取り付けて30km上空へ飛ばし、
様々な気象データを集積しているのである。

気象隊員たちは、
昼夜通して観測小屋に在駐し
午前2時と午後2時の1日2回、放球する。
真夜中でも、どんなに風が強くても、である。

わたしは、このコンテンツの中に、
実際に隊員がゾンデを膨らませて放球するまでの過程や、
慎重かつ慣れた手つきや、
気象観測を継続してきた想いを
そこに投影したつもりだった。

もっというならば、
このような隊員たちの地道な努力と、
それを何十年も継続しながらこつこつとデータを積み重ねてきたことが、
「オゾンホールの発見」という
南極3大発見につながったのだ、
というメッセージ性をこめたつもりだった。


数日後、南極授業が実施された。
このコンテンツを含む場面は、
実際の授業ではどうだったろうか。

授業者としての直感的な感想は、
「子供の心をつかむまでには至らなかった」
である。

すぐに、その原因を自分なりに考察した。”… 続きを読む...

JARE54-「しらせ」ラミングの教材性

南極授業が授業であるために5

この手のコンテンツは、
一般的には説明的になりがちになる。
めずらしい映像ではあるけれど
子供の心に響くことに欠けることが多くなるのだ。

私がこのコンテンツを
南極授業の中で取り上げるには、
まずは、このハードルをクリヤーしなければならなかった。

まずは、砕氷航行「ラミング」を毎日のように繰り返す
しらせの姿に正対することからはじめた。

しらせの周囲には援護もない。
途中で故障するわけにもいかない。
どんな困難も乗り越えて行かなければならないのだ。

かと思うと、
しらせはあっさりと後戻りをすることもある。
夜には停船して状況を見定めるときもある。

今回はここに、
「しらせ」の生き様を見たような気がした。
すなわち、
「困難にぶち当たったときは、一度は後戻りもするけれど、
 決して、あきらめたわけではない。
 体制を整えてまた挑戦する」という姿だ。

しらせと正対しているうちに
しらせがなんともいとおしくなってきた。
同時に、
しらせという「素材」が「教材」になった、
とその時、思えた。

かつて、授業の先輩から、
「授業には授業者の意図や意思が込められることが大切だ」と教わったが、
それが、「素材」と「教材」の違いの一つだと思う。

もしも、私が、しらせと正対していなかったら、
このコンテンツは、単なる「素材」のままで
子供にとっての「教材」にはなり得なかったはずだと思うのである。”… 続きを読む...

南極授業のコンテンツ

南極授業が授業であるために4

南極授業に向けて、
授業の素材には事欠かない。
見るもの、聞くものすべてが
刺激的で感動的だ。

南極授業では
以下のようなコンテンツを準備した。
その主なリストは以下。

1,JARE54-出発式
2,JARE54-フリーマントルにて
3,JARE54-「しらせ」艦内生活
4,JARE54-「しらせ」停船観測
5,JARE54-「しらせ」ラミング
6,JARE54-白夜のペンギン
7,JARE54-南極の太陽
8,JARE54-ゾンデ放球
9,JARE54-PANSY計画
10,JARE54-昭和基地エコ生活
11,JARE54-昭和基地の石は語る
12,JARE54-ブリザード並みの強風
13,JARE54-基地内遠足
14,JARE54-芦くら寺五人衆
15,JARE54-元旦フライト
16,JARE54-気球気体サンプリング
17,JARE54-世界初!無人航空機気体サンプリング
18,JARE54-ラングホブデ 雪鳥沢にて
19,JARE54-スカルブスネス きざはし浜にて
20,JARE54-スカーレン スカーレン大池にて
21,JARE54-ラングホブデ 袋浦にて
22,JARE54-S17氷の大地
23,JARE54-立山と南極
24,JARE54-南極ミニ実験集
25,JARE54-南極の音楽
その他

ただ、
「素材があること」

「教材になること」
とは別ものである。

このことは授業者なら
誰もが実感しているところだろう。
今回の南極授業の実践を通して
それをあらためて痛感した。”… 続きを読む...