解説者と授業者の違い

南極授業が授業であるために7

その原因はいくつか考えられたが、
その中でも最大の原因の一つは
このコンテンツの中には「矛盾」が存在しないことだろう。

私は、
「こつこつ研究データを積み重ねることの大切さ」とか
「継続は力なり」とかというメッセージを
大上段に構えて子どもたちにストレートに発信しただけだったのだ。

普通、「よい授業」といわれる授業では、
そのねらいに達するまでの過程のどこかに、
必ず矛盾というのが潜んでいるのである。

おそらく「解説者」と「授業者」との違いがあるとすれば、
この矛盾の洞察があるかないか、だろう。

「授業者」は、
よい素材が見つかったら、
今度は、
その中に潜む矛盾を可能な限り洞察し、
子どもの心を揺り動かすように仕組み直す作業をしているのである。

そんな、
授業者としての手腕がしっかりと発揮されていれば、
「ゾンデ放球」という
これ以上ないすてきな「素材」が
「教材」になり得なかったことはないのである。

反省しきりである。

前の記事

授業のプロとして

次の記事

予定不調和