ほっぺたが落ちた

今日、みんなのほっぺたが、落ちた。

それもむりはない。
つきたての、
ぽちゃぽちゃの、
モチモチの木の餅を
口いっぱいにほおばったのだから。

ご存知の通り、
3年生の国語の教科書には
「モチモチの木」というお話が載っている。
そこには、次のような叙述がある。

「モチモチの木ってのはな、豆太がつけた名前だ」
「でっかいでっかい木だ。」
「秋になると」
「茶色いぴかぴか光った実を」
「いっぱいふり落としてくれる」
「その実を、じさまが、木うすでついて」
「石うすでひいてこなにする」
「こなにしたやつをもちにこね上げて」
「ふかして食べると」
「ほっぺたが落っこちるほどうまいんだ」

今朝、
とある方から思いがけず届けられたモチモチの木の餅。
子どもたちにそのことを伝えると、
学級のボルテージは一気に急上昇。
担任は、その勢いに便乗し(?)
すぐに、教科書とノートを取り出させ(?)
先の叙述をみんなで確認した。

さて、いよいよ
ほっぺたが落っこちる瞬間がやってきた。

T「本当に食べる?ほっぺが落っこちるのに。。。」
子「いいから、早くほしいよ〜」
子「早くほっぺを落っことしたいよお〜」
T「では、いただきましょう」
子「うわあ、おいしい〜」
子「こんなの初めて食べた〜」
あちこちで笑顔が満開になった。

しばらくして、みんなに感想を聞いてみた。
それがまた、いい。
「豆太がうらやましい」
「豆太の気持ちがわかるような気がする」
「自分でも作ってみたい」
「この時代にタイムスリップしたい」
「物語の中に入った感じがする」

「先生、この方のおうちに行ってみたい」
「じゃ、6年の修学旅行で行くってのはどう?」
「トチの実をくれたら、呉羽山で僕が育てておくよ」
(え?30年間育ててくれるの?)
「それじゃ、同窓会はトチモチパーティーだね」
わあ〜、やったあ〜

こうして今日、みんなのほっぺたが落っこちたのだが、
いつかまた、数年後、
みんなでほっぺを落っことしあえたらいいなあと思った。

ここには書ききれない話のいきさつはまだある。
今日の宿題で「トチモチの話をする」ってことになっているので、
続きはまたそこで。…
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伝説の青いバット

先日の体育のティーボールの試合中に、
A君の青いバットが折れた。
バッターはB君だった。
会場は一瞬騒然としたが、
B君は予期せぬできごとに涙が溢れ、あやまり、
A君は「いいよ、いいよ」と温かくそれを受け入れた。
それが数日前のこと。

担任は、そのことについて
なんとかしなければと思ってはいたが、
具体的にどうしたらよいかと、
この2日間考えあぐねていた。

思い切って今日、話題に挙げた。
その45分の場は、担任にとって
おそらく忘れられないものとなるような気がしている。

=最初は、その状況や心情の理解へと向かった=
わざとじゃなかったと思う。
だれのせいでもないんだよ。
それだけB君には力があったんだ。
それに、その時、確か黄団は負けていた。だから余計に力が入ったんだ。
そうだ、黄団のために犠牲になってくれたんだ。

=すると、次の発言からA君やA君のバットへと視点が向いた=
でも、それだけじゃない。
A君の青バットはみんなに人気のバットだったよね。
それだけ何回も何回もティーにぶつかってきたはず。
そのダメージが重なっていたところにB君が当てただけじゃないかな。
(そういえばぼくのバットにも傷がある。。。)
(あっ、ここに亀裂がある。。。)
(と、教室のバットを引っぱり出して点検しはじめる)
そうか、A君の青バットが5ヶ月で折れたのはかわいそうだけど、
5ヶ月ももっただけでもすごいことなのかも。
A君の青バットは働きすぎだったんだよ。

=ここから、自分たちの生き様と重なって行く=
A君の青バットは自分の役目を果たせたんだ。悔いはないよ。
役に立てば立つほど体がすりへっていくって、まるで人間みたい。。。
しまっておいて使われないより打って折れた方がバットにとっては幸せだよ。
もう、休ませてあげたい。。。
おばあちゃんが言っていた。おじいちゃんはいつも畑に出て、学校の先生もしていて
忙しくて、休ませてあげたいけど、おじいちゃんはうれしそうだったって。

=すると、今度はみんなが前向きに歩み出そうとしていく=
ね、折れた青バット、地面に埋めてあげようよ。
みんなのためにがんばってくれたのだから。
どうにかしてリサイクルできないかな。
無理だよ、一度折れたものは弱くなってるから。
写真に撮って飾っておいたらどうかな。
それがいい。そして来年の終わりにクラスのアルバムを作って、そこに載せるの。
よし、バットに一人一人のコメントを書こうよ。
シールに書いて貼るという方法はどう?
まだある。。。。

みんなのアイデアは尽きなかった。
最後に、担任はA君とB君に今の気持ちを確かめた。

B君は、いろんな思いがこみ上げ、また目が真っ赤になった。
一言も声にならなかったが、思いはわかった。

A君は、「青バットに『今までありがとう』と言いたい」と言った。
そして、「B君、元気出してよ」とつぶやいた。

その二人を見た仲間が、こう言った。
「そうだよ、B君が悲しそうにしていると、A君だって悲しいと思うよ」
「大切なことを青バットは教えてくれたと思う」
担任はなぜだか目頭が熱くなった。

=授業後=
まだ気持ちが高ぶっている子たちは
教卓にどっと集まってきた。
そして、”青バットの今後のプランについて
あれこれと語っていった。

野球が大好きなある男の子は、自らこんなことを提案してくれた。
「みんながバットの芯に上手に当てられるように
 ぼくのバットにスポンジを巻いてマークをつけてくるよ。」

また、ある女の子は、こんなことを告白した。
「先生、実は前に、給食を食べていて
 突然箸が折れたことがあって。。。
 それは自分のせいだとずっと思ってた。。。
 だけど、今日のみんなの話を聞いて、
 そういうことだったのかもしれないなって思えて、
 ちょっと気持ちが楽になった感じがして、
 うれしかった。。。」…
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どっちが大きな角?

算数の時間。
角の大きさの学習中。

前時には、
「角の大きさは辺と辺の開き具合」と学習済み。
本時は、
「角アと角イはどっちが大きいか?」を考える1時間。

ちなみに、
角アは、短い辺と辺の間にできた角で、
角イは、長い辺と辺の間にできた角で、
その開き具合が同じものを比較物として提示した。
つまり、こんな感じ。
角ア  角イ /
  /    /
  ー    ーーー

子どもたちは、さすがだった。
すぐに、「同じ大きさだよ」と正しい答えを言い出した。

T「ホント?
  角アは、幅がたったのこれだけなのに、
  角イは、幅がこ〜んなに離れているよ」
という担任のおとぼけにも動じず、
子「先生、測っている所が違うよ!
  理科でも、『同じようにして測らないとだめ!』
  だったでしょ。それは測る場所が違ってる!」
子「うん、そうそう。」
子どもたちは、
理科の観察、実験の技能を、
こんなところにも波及させてきた。

さすがなのは、さらにこれから。
角アと角イが同じ大きさということを次のように論じていくのである。

子「だって、角アの辺を伸ばしていけば、角イになるよ」
子「まだある。角イの辺を短くすれば、角アになるよ」
子「ノートだからできないけど、重ねたらぴったり重なるはず」

子どもたちの頭の中では、
ただの2つのくちばしのような図(線)が、
伸びたり、縮んだり、重なり合ったりしながら、
実に自由にイメージされているようなのである。

イメージの世界ができあがったときに教師がすることは一つ。

さっそく、色方眼紙の小切れを配り、実際に試してみることにした。
角ア、角イをそれぞれ切り取って、重ね合わせる。
できた〜!
ぴったり〜!
本当だ。。。三角形の大きさは違っても、角の大きさは同じだ!
3つ目も作っていいですか?
茶色とピンクをくださ〜い。
青色と赤色をくださ〜い。

授業後半の15分は、
今は、図工の時間ですか?
と言われそうな算数の時間となった。

授業の終わりの黒板には、
「角の大きさは辺の長さに関係ない」
という言葉が赤で記されていた。
だが、おそらく、
そのsentenceが大事なのではないのだろう。
子どもたちにとって、
一人一人の脳裏に
「角の大きさは辺の長さに関係ない」
というexperienceが記されることの方が意味がある。

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珍プレー

体育は、縄跳びからティーボールへ。
現在、その練習リーグを始めているところ。

2学期のキックベースといい、このティーボールといい、
野球型のゲームは、案外そのルールが難しい。
子どもが、それら新たな知識やルールを身に付けていくには、
座学で理解していくというわけにはいかない。

それには、まず、
これまでの経験を当てはめてみることが効果的。
この点については、
2学期にみんなが夢中になった「3の1キックベース大会」が
よりよい共通の既習「経験」となっている。

それともう一つ、
繰り返し為すことによって学ぶことが効果的。
この点については、
新しいことにも前向きに取り組もうとする「やる気」が
この上ない原動力となっている。

さて、
そんな「経験」と「やる気」に支えられているティーボールだが、
今日は、こんな2つの珍プレーがあった。

1つ目は、マウンド上にある白コーンポストに打球が命中!
打者をアウトにする際、
打球を捕って、
1塁ベースか、白コーンポストにタッチする、のだが、
打球が、偶然、そのまま白コーンポストに命中したのだ。
子どもたちは、アウトだ!ヒットだ!などと言った。
こんな珍プレーは初めてのことなので、それも無理はなかった。

2つ目は、高い体育館の天井に打球が命中!
子どもたちは、アウトだ!ヒットだ!などと言った。
こんな珍プレーは初めてのことなので、それも無理はなかった。

どちらのケースも、意見は分かれ、白熱したが、
みんなの顔には笑いがあった。
その場を明るく受け流し、
みんなで新たなルールを創り上げていこうという空気があった。

そこで、この珍プレーについての話し合いとなった。
ただのアウト!セーフ!の議論でないところがまた、よかった。
例えば、こう。

アウト派の主張
白コーンポストにタッチでアウトなのだから、
打球は、自分からアウトになりにいったようなもの。

ヒット派の主張
もともと、打球が飛んだ方向はフェアエリア内だからヒット。

ファール派の主張
バッター側は、
白コーンポストを狙ったわけではないから、
むしろ被害者。
守備側も、
捕れるボールが、コーンに当たってコロコロ転がって捕れなかったのだから
やっぱり被害者。

などなどの意見が出てきて、
そして、
互いの立場を理解し合って、
そうして、
「白コーンはファール」
という新ルールができあがった。

同様に、
「天井はホームラン」
という新ルールもできた。

今日の2つの珍プレーは、
「経験」だけでは解決できない問題があるということを浮き彫りにすると同時に、
「やる気」さえあれば、どんなことでも前向きに笑顔で解決できることを
私たちに教えてくれた。

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