タブレット端末その後

タブレット端末を使った授業のその後。

あれからほぼ毎日、
手をかえ、
品を変え、
失敗を繰り返している。
いつか、
よりよい授業作りのために
真にタブレット端末が活躍するよう
そのヒントを手探りしている。

沸騰実験の様子を
動画で録画しておき、
そのときの新鮮な発見やつぶやきを
後日、結果を話し合う場で再登場させる試み。
単調になりがちな
各班の結果の発表が、
臨場感たっぷりの場になった。
沸騰するまでの過程で、
「小さな泡が出てきた」
「上の方に水滴がついてきた」
「大きな泡がいくつも出てきた」などという気づきがあったが
その変化の過程を
互いに共有しやすくなった。

ただし、
「小さな泡」「上の方の水滴」「大きな泡」
というつぶやきに立ち止まれなければ、
あるいは、
それら宝石のようなつぶやきを生かせなければ、
タブレット端末の映像があっても
何の役目も果たすことができない。

受粉の学習の事前に、
花に集まる虫たちを録画しておき、
後で
受粉のしくみにせまる局面で再生する試み。
ぎざぎざした花粉が、
虫たちによって運ばれるということは、
イメージにたよりがちだった場面だったが、
実際に花に集まる虫たちの様子と重ねることで、
花と虫たちの意外な関係を知ることにつながった。
「えっと、あれはたしか、オナモミだっけ」という発言があると、
すぐにweb上にあるオナモミの映像を取り上げることで、
「あ〜、たしかにオナモミと花粉はにているね」となった。

ただし、
「オナモミだっけ」
というつぶやきの意味するところを迷わず取り上げなければ、
あるいは、
生活体験を想起して目の前の事象を意味づけるという行為の素晴らしさを感じなければ、
タブレット端末の機能が優秀でも
何の役目も果たすことができない。

タブレット端末という最先端のものを授業で使おうとすればするほど、
子どもの発言の輝きをできる限り聞き逃さないという
授業者として極めてベーシックな姿勢を
もっとしっかりと身につけなければならないと感じてしまう。