ミラーの数だけハートがある

インフルエンザの影響も一段落したところで
生活科「バスにのって、市電にのって」の学習のまとめをする。

あの1日は、
歩道を歩く、バスを待つ、バスに乗る、
市役所を見学する、
市電の電停まで歩く、市電を待つ、市電に乗る、
美術館まで歩く、美術館を見学する、
学校まで歩く。。。。
と盛りだくさんの1日だった。

そんな中で、授業の入り口としたものは、
バスに乗っているとき、としてみた。
最初の発問はセオリー通り
「運転手さんはどこを見て運転したいただろうか?」
この投げかけから、
子ども達は以下のように勢いよく発言し始めた。

子:はい!はい!はい!
子:バックミラーに映った景色!
子:ワイパーでふいた窓の外!
子:バス停で待っている人!
子:雪が積もった道!
子:バスの中のお客さん!

すでにわかるのように
このバスの中のお客さんという発言は
それまでの発言とはちょっと異質である。
それまでの「バスの外や周囲」の視点が、
この発言で「バスの中」の視点へと転換しているのだ。

子ども達もその変化を見逃さなかった。
ここから、発言はさらに活性化していく。

T:え?運転手さんは、バスの中も見ているの?
子:そうだよ!みんなは安全かなあ〜って見てるはず。
子:付け足し!もう、席に着いたかな〜って見てるはず。
子:付け足し!お年寄りの人がいないかな〜って見てるはず。
子:障害のある人や病気の人も。。。
子:注意もしてくれるんだよ。

そして、ここからみんなは授業の核心にせまっていく。
つまり、運転手さんの立場で思考していたものが、
自分ごととして考えを作り上げていったのである。

T:そうか、運転手さんはなんでもよ〜く見ているんだね。
子:だからバスにはたくさんミラーがついているんだよ。
子:バスの中を見るミラー、右を見るミラー、左を見るミラー。。。
子:そうか!ミラーの数だけ気をつけることがあるんだ!
子:それに、気をつけるのは、運転手さんだけではないよ。
子:ぼくたちもみんな気をつけなければいけないんだよ。
子:そうだよ、そうだよ。だって、みんなのバスなんだもん。
子:ミラーの数だけ、ハートがいっぱい!

こうして、授業の出口が
みんなの手によって作り出された。
新たな概念を手に入れることができた
充実感のようなものが
教室の中に漂っていた。

生活科というより道徳?
という声も聞こえてきそうだが、
そもそも生活科で大切にされている思いや願いというものは、
何でもよいわけではない。
そもそも生活科の主体となっている活動というものだって、
何でもよいわけではない。
その行動の根底にある道徳的価値を見極め、
そのことに子ども自身が気付いていけることを目指しているはず。
生活科も道徳も、もっというと、総合も。
  
もちろん、この1時間くらいですぐに、
自立への基礎や生きる力として、
今後の自分に反映されていくとは思っていはいない。
どんな授業も失敗しながらでも地道に積み重ねていくしかない。”