やぶ・へび

今日の漢字の時間。
例によって、
家族の人もきっとあいまいだろう、という問題を出題しておく。

1問目
専門の専の、6画目はどこ?

2問目
星座の座の、8画目はどこ?

漢字はさすがに書けると思うが、
書き順となるとあやしくなると思うなあ、
と、そこまで話したところで
こんなつぶやきが。

子「家族への問題、と言っても、
  本当に家族に問題を出した人なんているう?」
子(し〜ん)
T「え?いないの?
  ああそうか、やぶ・へび になるかも知れないと思ってるんじゃない?」
子「やぶ・へび?」
子「やぶのへびに手をかまれる。。。だっけ?」
子「そうそう、そんな問題を出したら、
  『そんなこと言ってないで、勉強は終わったの?』
  とか言われそう」
子「それに、もしも分からなかったら、その反動で、
  『勉強しなければならないのは、あなたの方!』
  とか言われるかもしれないし」

まあ、「やぶ・へび」の使い方としては
大方、合ってたみたい。
ただし、
「やぶ・へび」は
「やぶをつついてへびをだす」
(よけいなことをして、よけいまずいことになるの意)

今晩、「やぶ・へび」になっていなければいいが。

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ダンゴムシ

梅雨空のもと、
15分程度のダンゴムシ散策。

ダンゴムシが枯れ葉を
分解していく様子を観察することは
教科書にも載っている。

今日は、その局面は、
おおよそ次のように訪れた。

これまで子供たちは、
植物がでんぷんを作りだし、
それが成長に使われたり、
子いもに貯蔵されたりすることを学んできた。
(この過程については先日の研究授業で公開済み)
だとしたら、動物はどうなのか?
子供たちは、
肉を食べる、野菜(植物)を食べる、などと
具体的な動物の名前を挙げていく。

そのうちに
「ウシは枯れ草も食べるよ」の発言。
「枯れ草ならミミズやダンゴムシも食べるよ」と続く。
「何で枯れ葉を食べるんだろう?」と素朴な疑問がわき上がってくる。
「枯れ葉にも栄養があるのかなあ?」と話題が核心に迫っていく。
「枯れ葉にヨウ素反応はあるのか?」と確かめる見通しも出てくる。
「枯れ葉を食べるのなら緑の葉も食べるのか?」と疑問は疑問を生み、
ナゾは深まるばかりだった。
自分に問いが生まれていった。
確かめたくてならない動機が出来上がる。

そこで
梅雨空のもと、
15分間のダンゴムシ散策。

あっという間に10匹以上みつけてケースに入れる子、
落ち葉の下や石の影にいることを教えてあげている子、
さわれない子の代わりにつかまえてあげている子、
つかまえてもらって、うれしそうにそっと指を伸ばす子。。。

午後、
このダンゴムシたちと、もう少しなかよしになることに。
ダンゴムシを迷路に入れたときに示すという、
あの不思議な習性を再現する実験である。
知ってる!という子は何人かいたが、
試したことがある!という子は一人もいなかった。
子供たちは喜んで
この目で実際の動きを焼き付けたり、
イメージと事実との間を往復したり、
思っていたのとちょっと違っていたと感じたり、
道幅を変え、角度を変え、明るさを変えて試行錯誤したりしていた。
どこかで聞いたが、
「脳も喜ぶ」のだそうだ。

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活用

全国学力調査の
いわゆるB問題。
おおざっぱに言ってしまえば
活用の能力を問うというもの。

この活用。
一見、
応用的で、
総合的で、
生活や暮らしに根ざした、
まさに生きる力に見える。
だが、その実、
かなり基礎的で、
基本的な理解こそが土台になっていていることは
誰の目にも明白。
(かつて、大単元的、総合的に学習を計画し、
 痛い目にあった経験のある私のような者は、
 特にそのことを痛感しているはず)

だが、そこからが
このところどうもあやしい。
とりわけ、子供の学習の初期段階を
(あるいは、基礎的・基本的な内容を学習していく場面を)
どのようにおこなっているか、である。

その基礎的・基本的内容をしっかりと学習の中核にすえ
問題解決的に獲得できるようにしていたのは
熟練の先輩教師たち。
教材研究と深い子供理解から
子供が異質なものと出会う瞬間を作りだした。
子供のもつ素朴概念や先行経験とのずれを生かし、
そのずれが、ある時ふっとつながる感覚を大切にした。
知識は単なる記憶でなく、
それまでにないもの学びを創り出す喜びにもなっていた。
このような
異質なものから別の価値が生まれるこの様相に、
「活用」ということの本体があるのではないか。
かつては、それを「感性」とか「創造性」などという言葉で求めていたし、
それを今風に言えば「活用」となるのだろう、
というのが、現時点での個人的な結論。

そんなかつての、「感性」とか「創造性」などという
とてつもなく大きな命題に
果たして我々は答えを出し、
その成果を継承し得ているのだろうか。
今、
「活用」という言葉に変わっていくことに、
「活用」を大上段に掲げていくことに、
まだまだ過去に学ばなければならない自分は、
いささか気がひける。

これからの10年間、
この「活用」という言葉は
授業実践のキーワードの一つとなるに違いない。
その言葉に踊らされることなく、
本質を見極めた着実な問題解決的な学習の中で
異質なものと異質なものが混成されていく
「プチ活用」の場面をよりいっそう具体化し
子供たちと心揺さぶられる授業を創り上げていかなければならないと
自らのふんどしをしめなおしたところ。

また再び、
新たな時代の波というものと
古きよきものとの格闘が始まる
そんな予感。

これから授業が変わるんです、とか、
新しい○○メソッドです、とか言うけれど、
本当にそうなのだろうか。

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宿題  :パワーアップ(理科)
     算数ドリル
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連絡  :明日から4年生はグリーンスクール。
     時間割の変更があるので今一度確認を。…
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調理実習

食に関することが続く6の1。
食べるということは、
人の心を
自然と和やかにさせてくれる。

どの子の顔にも
笑顔、笑顔、笑顔。
お腹が満たされると言うことは
幸せなことであり、
心も満たされると言うことなのかもしれない。

その「食」が、
自分の思いを寄せたものであればなおさらのこと。
他者の思いが込められたものであればなおさらのこと。
互いに心を通わせあったものであればなおさらのこと。

話は変わるが、
今朝一番に、
「うちのカブトムシが成虫になったので、
 学校のもそろそろかと思って、
 ゼリーを持ってきました。
 最近は、暑い日もあるし。」
と駆け込んできた。

(昨年の秋にカブトムシの幼虫を提供してくれたことをきっかけに、
 カブトムシマンションを作って飼育・観察し、
 春になってからは、
 さらに大きなカブトムシ小屋に移設して飼育を継続。
 その子が、いつも季節の節目、節目に
 こうして気にかけてくれている。
 その責任感には頭が下がる)

そのことを、
夕刻になって、ふと思い出し、
カブトムシ小屋へ行ってみた。
当たりを見回すが、
まだ成虫の姿は確認できなかった。
ただ、
観察用の透明ケースに入れた幼虫は、
しっかりと茶褐色の蛹に変態していた。
いつ出てきてもいいように、
彼からもらったゼリーを2つ、
小屋の中に置いてくる。

食べることで、身も心も満たされるのは、
カブトムシにとっても同じこと。

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宿題  :パワーアップ(理科)
     算数問題(今回は2問あり)
持ち物 :サンダル(プール清掃のため)
     必要に応じてタオル
お知らせ:大学の先生と学生さんとの算数の授業あり…
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