概念は教えられない

南極授業が授業であるために23

南極授業が授業であるためには
南極そのものから、
南極でないものに向かって、
今回の場合なら、
「富山」という価値に向かって、
変化を遂げていく瞬間が要となる。

そこには第1次観測隊が建設した倉庫の存在があり、
それが今も現存していることを目の前で示す昭和基地からの生中継があり、
それを建設した「佐伯隊員」が目の前のステージ上から自分たちに語りかけてくれているという現実があり、
それらが今、世代を越えて、1万5千kmの距離を越えて、ひとつになっているというわくわく感があった。

これらがうずまいた時間帯を境に、
子ども達の中には
それまでになかった
また新たな概念が形成されていったのではないかと想像する。


新たな概念の形成は、
何かを教えるというスタンスだけでは決してできないことだと思っている。
なぜなら、
概念というのは、
知識のように人から与えられるようなものではなく、
自分でそう感じ得ることでしか得られないものだから。

そうして得られるものがあるからこそ
学ぶことというのは、
そもそも楽しいことなのである。”

南極

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