N小学校でのふるさと学習

先日、N小学校での取り組みに学んできました。
春に引き続き、2回目の訪問をさせていただきました。
御校は、ふるさとに潜在するさまざま「もの、人、こと」を
見事に教材化して、子どもの学びへとつないでいるところが圧巻です。

地元のお祭り、花火、特産品はもとより、
来県者数のデータや校章、民話までもが、
各教科等の学びを深める教材として磨き上げられています。
(校長先生自らも、自然素材や歴史財産をどんどん掘り起こされる
 教材研究の達人でいらっしゃいます。)

この日、中心的に提案されたのは第6学年の授業でした。
地元で古くから栽培されてきたカリンの加工品を扱っていました。
その加工品作りに携わる人々の思いに触れる、
というのが本時の山場です。

考えさせられたのは、この「携わる人々の思い」とは何か、です。

普通ならきっとこう考えるところでしょう。
「カリンを広めたい、有名にしたい」

しかし、指導案のどこにもそういうことは書いてありません。
「地域を思う気持ち」とか「カリンに寄せる思い」という文字があるのみです。

実は、カリンはすぐには食べられるものではありません。
手間暇かけてはじめて食べられるようになるのです。

授業者の先生は、こう子どもたちに投げかけておられました。
「どうしてカリンの加工品を使った製品をわざわざ作っているの?」
子ども達はそう問われてふと立ち止まり、
すかさず想像を駆り立てます。

「伝えたかったから」
「知ってもらうため」
「苦手な人でも子どもでも食べられるように」

やがて、カリンの加工品作りに携わるお二人の方から直接お話を聞く時間になりました。

お一人目の方はこのようなことを最後におっしゃいました。
「手間もかかりますが、地元にいっぱいうわっています。年々おじいちゃん、
おばあちゃんと作る人が減っています。子ども達が作ることはすごくいいことです。
おばあちゃんと一緒に作るなどして地元を大切にしていってほしいです。」

お二人目の方は最後にこのようなことをおっしゃいました。
「私の工場では23年前にカリンの加工品を作ったのが初めてでした。実は私の娘の名前も
カリン。ちょうど今23歳。(え〜!)進学で都会に出ていたが、その子も今は、
大好きな故郷に戻ってきています。カリンは大きくなっても思い出してくれる
そんな存在です。」

単に、有名にしたい、広めたい、というのとはまた違う
カリンへの思いがひしひしと伝わってきました。

このような思いに直接触れた子ども達が、
ふるさとを大事に思わないわけがないと思いました。

今は簡単にネットで情報が手に入る時代にあって、
直接、本当のことは何かを知ろうとするという学びは
ますます重要になると思います。
学力向上偏重の中、あえて時間がかかるこのような学びを
学校全体で、地域全体で実行していることが
教育のもう一つのあり方として尊いものと感じました。