小5理科「物の溶け方」の改訂部分

 今回は、第5学年「物の溶け方」に関する次のような記述について、富山大学附属小の鼎先生の実践を参考に、自分なりにちょっと試してみました。その記述とは、「水溶液の中では、溶けている物が均一に広がることにも触れること。」(文科省2017 新学習指導要領(平成29年告示))という改訂部分です。例えば、ミョウバンの析出の様子はこうです。

ミョウバンの析出 2階建て式(参考:富大附属小 鼎先生)


 右は教科書でもよく見かける実験結果。溶けていたものが水溶液の下の方に出てきています。一方、左は通常あまり見かけない実験結果だと思います。容器は中間付近で一階と二階に分けられていて、それぞれの階で析出が確認できます。「水溶液の中では、溶けている物が均一に広がっていた」ことを想起させるような教材として試作してみました(参考:鼎先生の授業 2016 富大附属小)。この階を三階、四階にするとより「広がり」が実感できるでしょう。

 これまでの普段の授業では「溶ける」=「目に見えない」、「濾紙を通過する」、「沈殿しない」、「重さは保存されている」ことについては体験的かつ実感を伴って学べるような工夫をする一方で、「均一に広がっている」、「透き通っている」という点についてはあまり深入りしませんでした。というか、深入りできなかった理由があったのです。今回の改訂では、この一部にメスが入ったことになります。

 では、その理由とは何か。同様の問題意識をもった調査研究(源田、甲斐 2009 他)や、授業実践(鼎先生 2016富大附属小)がありますのでそれらが参考になると思います。私なりに整理すると、深入りできなかった主な理由は以下となります。

  • 教える側の「拡散」、「均一性」、「透明性」に対する理解が十分ではない。

     例えば、身近にある牛乳や墨汁などは、「拡散」して「均一」だが「透き通っていない」という中間的な状態で存在する。「溶ける、溶けない」の中間(コロイド)はここでは範囲外であると判断した。

  • 「拡散」→「均一」に至る過程を観察できる適切な教材が存在しない。

 そこで私も教材をこしらえてみたのが冒頭の写真だったわけです。この教材を用いれば、確かに「水溶液の中では、溶けている物が均一に広がっていることにも触れること。」が可能となります。

析出観察器の作成工程

 しかし、個人的には、そもそも「均一に広がっている」という点に深入りできなかった理由は、もう一つあるような気がしています。それは、以下です。

  • 「均一に拡散して存在していること」が気になっていくような局面が子どもの追究過程に位置付いていない。

 子どもが「水溶液中では下の部分の方が濃い」、「溶かした物は水溶液の中で沈んでいる」という素朴概念をもつということは多くの授業者が経験的に知っていることです。生活経験に強く左右された素朴概念なのでそれを払拭するのは難しいようです。ただ、これは決して誤った概念ではないでしょう。溶ける物でも放置しておくだけではすぐに均一にならない場合もありますし、導入でよく用いられるシュリーレン現象も一見すると下に落ち込んでいくように見えるからです。学びの過程の中では、むしろ、この素朴概念を大切にします。子どもが(大人でも?)もつこの「下の方にたまっているのでは?」という考えを基盤にすると、例えば、溶けた物が下の方に本当にあるのか?、あるとすればそれはどのくらいなのか?、上側と下側の量の違いはどのくらいか?、ひょっとすると壁側が最も多いのではないか?など一人一人の内面の異同が表面化してきます。そこに主体的で対話的な局面が生まれます。やがて「だったら確かめてみよう!」と子どもたちは動き出し深い理解に向かうはずです。

 授業者自身が水溶液に対する理解を深めたり、説明しやすい教材を作ったりすることで正しい「知識」を教えることはできるかもしれません。しかし、子どもが素朴概念を更新するには、「均一に拡散して存在していること」が気になっていくような局面を授業の中で子どもと一緒に創り上げることがやはり欠かせないことだと思うのです。

 「水溶液の中では、溶けている物が均一に広がることにも触れること。」という一文は、「『概念』は『知識』のように教えることができないと自覚する覚悟をもつこと。」と言っているように私には読み取れるのです。

 ところで、次の次の学習指導要領改訂では「『均一』に『広がっている』ことだけでなく、『透明性』や『コロイド』についても扱うこと」となるのでしょうか?均一に広がっていることを腑に落ちて納得した子どもは、「だったら、牛乳はどうなの?均一だよ」、「墨汁はなぜ水溶液と言わないの?」と思考するものなのではないかと思うのですが。