矛盾の先にあるもの

南極授業が授業であるために40

授業には、矛盾が必要であると、以前に書いた。
理由は、
その矛盾を矛盾でなくそうとして
子ども自らが動き出すからである。

学ぶことは、本来、楽しいことなんである。

それが、いつのまにか、
学ぶとは、誰かより速くできるようになること、だとか
学ぶとは、誰かよりもっとよい点数をとれるようになること、などのように
なってしまった。

おっと話はそれてしまった。

授業者としては、素材に矛盾を見いだしたら、
こんどは、
その矛盾の先にあるものは何かを
しっかりと見極めておかなければならない。
それこそが、
子どもが新たに獲得するものだからである。
子どもにとっての学びがいというのは、そこにある。


ではなぜ、昭和基地周辺では、
河口付近に大きな石があるのか。

それはきっと「流れる水の働き」とは違う働きなのか。
そうか、南極には流れる水や川はない。
けれども、氷はある。

もしも、その氷が
南極では川のように動いているとしたら。。。

そこから、子どもの心は
壮大なロマンの旅に出ていく。
その過程で、
いつか、だれかが、
その氷の川のことを「氷河」と名付けたことを知る。

「迷子石」の教材化によって
知識とロマンが
子ども達にもたらされる。”

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