比較物を練るのが授業者
南極授業が授業であるために38
迷子石は、
実に興味深い素材だ。
ただ、
それだけでは教材にならない。
迷子石の教材化のためには、
「もう一手間」が必要だ。
例えば、「比較の場」を意図的につくること。
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この写真は、
昭和基地内最大の「迷子石」。
以前に紹介したPANSYアンテナ群の中で
まるで「迷子」なってしまったかのように
おそらく何十年、何百年もの間、ここでたたずんでいる。
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この写真は、
故郷富山に実在する「大転石」。
暴れ川の異名をもつ常願寺川沿いに
ある日
突如として現れて以来、
今も自然の猛威を
私たちに無言で語りかけている。
この両者を比べるてみると
子どもの心は動き出す。
富山と南極はこんなに離れているのに、
なぜ、同じような石があるのだろうか、と。
異なるものなのに、共通性を見いだそうとするのだ。
また、比べてみることで
子どもの心はその反対に動くこともある。
富山の大転石は常願寺川の災害で「置き去り」にされたはずなのに、
昭和基地の「迷子石」の近くには、そんな大きな河川はないよ、と。
同じようなもののの中に、異質性を見いだそうとするのだ。
ただ、この比較物は何でもよいわけではない。
子どもを揺り動かす比較物の力を知るがゆえに
その比較物を何にするか腐心するのが
授業者。
その比較物が特になくても
何とかしてしまえるのが、
説明者?解説者?”
