3つの偶然
南極授業が授業であるために16
この「素材」が「教材」になったのは
まさに偶然に偶然が重なってのことだった。
まず、1つ目の偶然は、
その「アザラシのミイラの発見」だった。
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この日は、しらせで同室だったH隊員を含め数名で行動していた。
そのH隊員がふとつぶやいた。
「あれえ、これ、なんですかねえ。。。」
それはとても落ち着いた口調だったので、
それが、ほぼ完璧な状態のミイラだと認識するまでには、
少し時間がかかった。
2つ目の偶然は、
そのアザラシのミイラが、
眠るように真上を向いて横たわっていたことだ。
その背後には、
何千年、何万年もの間に積み重なった氷河の壁がそびえている。
私たちがいるこの空間だけ
まるで時間が止まっているようだった。
3つ目の偶然は、
日本を発つ前に、
ある博物館で開催されていたツタンカーメン展を
私は訪れていたことだった。
そのせいだろうか。
何千年、何万年と積もった氷河の前で、
眠るように横たわるその様は
まるでツタンカーメンの棺のように
私には見えたてきたのである。
そう思ったとたん、
「アザラシのミイラ」から、
何やら得体の知れない荘厳さが伝わってきたのである。
この瞬間、
これは「教材」へと昇華した。
私は、自然解説員ナチュラリストではない。
また、ミニ研究者やミニ博士でもない。
一介の教員として、
自分の目で見て、
自分なりに感じたことを、
自分の言葉で、
子供たちと向き合わなければならない。
ここ南極ではずっとそう思ってきた。”
