黒板の電子化

黒板はどこまで電子化できるか。

好む、好まないにかかわらず、
この命題に少しはたちむかっていく時代が来た。

今日の算数「面積」の学習は、
あえて、
これまで慣れ親しんできたチョークを手放し、
大型テレビモニターとパソコンというスタイルで授業。

ある一つの図形の面積を求めるにも、
補助線で分割して、あとで足して求積する方法や、
大きな長方形から、欠損部分を差し引いて求積する方法や、
共通部分に目をつけて、ある部分を切り取って他の部分に結合させ、
より単純な長方形に変形させて求積する方法などがある。
そんな多様な考え方を引き出し、育んでいくことが
この単元のねらいの一つでもある。

ICTの分野を生かせば、
図形の変形や、移動、補助線のイメージなどが
視覚的に見えやすくなるだろうと思われた。

では、実際の授業ではどうだったか。

子どもたちは、
「なんだか未来の授業みたい」
「好きな色に変えられておもしろい」
「意見を言うと、自分の名前を出してもらえるのがうれしい」
「でも、もしかして、ぼくらは実験だいになってるのかな?」
などと第一印象を語っていた。

やがて、授業が進んでいくと、
「そこに線を引いて分けるとね。。。」
「ぼくはこっちに線を引いて分けたよ。。。」
「その形をそのまま右にスライドさせたらね。。。」
とテレビの画面を指差しながら
新しい発想を見つけることを楽しんだり、
自分の考えを説明したりしていく姿が現れてきた。

こうして、求積に対する理解も深まっていった、ようだった。
これは、黒板の電子化のひとつの効果、のようだった。

こうして、今日は、2時間の試みを終えた。
終えてみて、印象に残っている姿がある。
それは、
友達の発言だけでは???だった姿が、
その発言に合わせるように画面の図形を操作することで、
「は〜ん、そういうことか。」
「わかった、わかった。いいねえ、それ。」
「ぼくも、そういうこと、考えとった。」
「それとよく似たやり方があるよ。」
「もっと簡単にできるよ。」
「それなら、こっちをこうしてもできるよ。」
などとつながっていく姿である。
そんな瞬間があちこちであったのである。

これは、まさに、「対話する子ども」の姿である。
互いのよさを知り、
自らを謙虚に振り返り、
不完全性を自覚し、
それまでになかった新たな価値あるものを生み出す「対話する子ども」。

今日の授業の主人公は、
やはり、子どもたち一人一人だったのだ。
ICTを活用した授業は、
今後、さらに盛んになっていくことだろうが、
その授業の中では、
「対話する子ども」がその前提として育っていなければならない。

もしも、そうでなかったならば、
電子化された黒板による授業は、
とたんに、
首尾よく指導内容を教えるための授業になりさがってしまうのである。

板書については、
これまで多くの格言が残されてきた。
「子どもの思考を助けるものこそが生きた板書である」
「よりよい板書の仕方、それは教師の永遠の課題」
「黒板は、子どもに開放しよう」
「文字は楷書で丁寧に、作図はものさしを使って」
「書く内容、書く大きさ、書く速さ、書く色、書く間、すべてに意味あり」
「たかが板書、されど板書」

まだ電子化に慣れない担任の今日の授業は、
子どもの思考を助ける授業だったというよりは、
むしろ、
互いに対話しながら考えを深めていこうとする力を備えた
子どもたちに助けられた授業だったと言える。

以下、メモ。
▲教室のカーテンを閉めないと画面が反射して見づらい。
▲結果、どことなくうすぐらい教室での授業になってしまう。
▲子どもの発言、発想のテンポとややずれる。
▲子どもの反応を注視できない。
▲45分も画面を見ていると子どもの目が疲れる。

○子ども自身が画面の前で説明することが上手になる。
○考えを動的に表現できる。
○考えを動的に理解できる。
○イメージや感覚に響くものがある。
○過去の授業の記録をすぐに呼び出せる。
○既習事項の掲示物の代わりに表示しておく。

*従来の黒板、電子化された黒板を使い分ける。
*具体物の操作、抽象化された図等を使い分ける。
*教科や単元の特性に応じて使い分ける。
*動画等のコンテンツを挿入するなど変化をつける。
*板書をプリントアウトして児童に配布する。
*あらかじめ練習問題、ドリルなどの仕込みをして時間を短縮する。