こんな思い出

国語「手と心で読む」のつづき

脇役である担任の挑戦とは、こうだった。

資料「手と心で読む」の2段落目はたった一行である。
この一行で、授業を作ってみた。
その一行とはこうだ。

「点字について、わたしには、こんな思い出があります。」

担任はみんなに、「こんな思い出」とはどんな思い出だろう、と問うた。
この解は、多様に存在する。
例えば、
十九さいのとき、急に目を悪くして入院した、という思い出。
もう回復は望めないと分かった、という思い出。
点字を覚える気になれなかった、という思い出。
新聞の見出しくらいは読んでいた、という思い出。
心のふるさとを失うように思えた、という思い出。
そんなわたしに、点字を覚えるように働きかけたのは母だった、という思い出。
「いっしょに勉強してみようよ。」と言われた思い出。
それは北原白秋の詩だった、という思い出。
かじかむ指をあたためあたため読んだ、という思い出。
ようやく一編の詩を読んだ、という思い出。
自分で自由に使える文字をもつことが、どんなに楽しいか、という思い出。
それがどんなに大切であるか、という思い出。
読む速さも、練習とともにどんどんました、という思い出。
点字の図書館から次々に本を借りて読んだ、という思い出。
読みたい本がまだ点字になっていないのが、もどかしく感じられた、という思い出。

子どもたちは、すぐに勢いよく反応した。
「3段落にあるよ。」
「4段落にもあるよ。」
「7段落にもあるよ。」
視点は、3段落から7段落まで一気に広がった。

「悲しい思い出だ」
「楽しい思い出もある」
思い出の類型も始まった。

まず、悲しい思い出として出てきた意見はこうだった。
十九さいのとき、急に目を悪くして入院したことは悲しい思い出だ。
もう回復は望めないと分かったときも悲しかっただろう。
心のふるさとを失うように思えたくらい悲しかった。など。
とりわけ、「心のふるさとを失う」ということにみんなの意見が集中した。
そこには、
もう戻れない悲しさ。。。
これまでの思い出も全部なくなってしまう悲しさ。。。
目の見えない別の世界にいってしまう悲しさ。。。
などがあるという意見があった。
子どもたちは、筆者の大島さんの心情や立場と一体化して、その表現を読み深めていた。

次に、楽しい思い出だという意見が出てきた。
普通、目が見えなくなるという状況は、
どう考えても悲しさにあふれている。
「楽しい」ということ自体、矛盾に満ちている。
その一見矛盾するようなことを矛盾でなくそうとして、
子どもたちは思考を活性化させていった。
出てきた意見はこうだった。
自分で自由に使える文字をもつことが、どんなに楽しいか、と実際に書いてある。
それがどんなに大切であるか、ということを初めて知っている。
読む速さも、練習とともにどんどんましていった喜びがある。
読みたい本がまだ点字になっていないのが、もどかしく感じられたくらいだった。など。
中には、この「もどかしく」と言葉の解釈に立ち止まった子がいた。
「辞書で調べると『もどかしく』というのはイライラするとあった。
 この場合のイライラは、いいイライラだ。」というのである。
小さな一言の叙述に立ち止まったり、
言葉のもつニュアンスを感じ取ったりして、
言語感覚が研ぎすまされていくのが伝わってきた。

ここで、
2段落にある「思い出」という言葉には、
「悲しい思い出」と「楽しい思い出」が両方混在している、
ということがみんなの手によって導きだされていったのである。

そうだとしたら、いったい、
どこで「悲しい思い出」が「楽しい思い出」に変わったのか?
新たな問いが生まれるところである。
授業に「深まり」というのがあるとすれば、
それは実はここからなのだろう。

そこから子どもたちの思考は、思い出の変わり目に向けられていった。
子どもたちの意見はこうだった。
母が、点字を覚えるように働きかけてくれたから変わったのではないか。
母に、「いっしょに勉強してみようよ。」と言われて気持ちが変わってきたのではないか。
北原白秋さんの詩と出会ったときではないか。
大島さんが、かじかむ指をあたためあたため読んだ、というところに変化がわかるのではないか。
ようやく一編の詩を読んだときの達成感が、気持ちの変化を生んだのではないか。
とりわけ、圧巻だったのは、
ここに新たな比較検討の視点を子どもたちが引き出したことだった。
つまり、
変化の契機は「母親の存在」なのか「自分自身の達成感」なのか
という葛藤である。

この葛藤は、大人である私たちにとっても悩ましい部分ではなかろうか。
授業をしながら、私まで思わず真剣に考えてしまった。

この壁にも子どもたちは全力で力を注いできた。
母が「自分の手で打ってきた点字」だったからこそ心が動いたのではないか、とか、
大島さんが「ようやく一編の詩を」読むことができたからこそ楽しくなったのではないか、などと
それぞれの考えの根拠を語ったのである。
途中、
4段落の頭に「そんなわたしに」とあるから、そこから気分が変わった感じがする、
と音読を交えて語る子もいた。
その意見に、
みんなも音読で追体験してみたが、確かに、その部分ではそんな感じがするのである。

資料「手と心で読む」の2段落目の、
「点字について、わたしには、こんな思い出があります。」
というたった一行から始まった授業。
この日の学習をこうまとめた子がいた。
「(思い出というのは)絶望が希望へと変わった、ということだと思う」”