骨太

台風が接近する中の授業参観では、
国語の授業の様子を見ていただいた。
主役である一人一人の子どもたちが、
持てる力を発揮してより肯定感を味わったり、
これまで気づかなかったような仲間の考えに心を揺さぶられたり、
自分の考えを謙虚に見直してより深みへと進んで行ったりすることが
できただろうか。
授業の主役になる、ということは、
目立つとか、ヒーロー(ヒロイン)になる、ということでなく、
学習の主体者になる、ということである。
一人一人にとって学びのある時間になることを担任としては願っている。

さて、脇役である担任は、
この日、何を考えていたか。
(以下、脇役の考えだから独り言のようなもの)

この日の題材(資料)は「目と心で読む」。
ジャンルで言えば「説明文」だろう。
単元全体としては、「調べて発表しよう〜伝え合う〜」という教材である。
この授業をするにあたり、
ここ数日の間考えていたことは、
一言で言うと、
この題材(資料)を物語的に展開できないか、ということである。

ここ数年、
国語の教科書の内容にはある変化が見られているのはご存知の通り。
物語文が減り、
その分、
「調べて発表する」とか「伝え合う活動をする」とか「○○記者になって取材する」とか
などといったものが増えてきているのである。

このような学習は、
学級活動はもとより、異学年との交流や、地域への発信や、ボランティア活動など多彩に展開でき、
ひいては国語の力を実践的に高める事ができる、と言われている。
総合的な学習の時間とタイアップすることで、その効果もより高まる、らしい。

そんなよいところが強調されている単元なのに、
なぜ、わざわざこれを「物語的に展開」しようと思ったか。

その第一の理由は、
国語の一題材を、
国語的かつ総合的に展開するには、
自分はまだまだ力不足であるということである。
こんな自分が、
いわゆる ”総合的な国語 を展開をしたら、
子ども一人一人を主役にできるわけがない、のである。
まあ、発表会ぐらいなら、できると思うが。

もう一つの理由は、
ここで資料として扱われている「手と心で読む」という文章が、
とても素晴らしく、読み応えがあり、考えどころがあり、
子どもたちにとって、
これから成長してく中で、
この文章を読み深めたという経験が、
きっと意味をもってくるだろうと思われたからである。
言ってみれば、
4年生「ごんぎつね」(新美南吉)
5年生「大造じいさんとガン」(椋鳩十)
6年生「やまなし」(宮沢賢治)
など、一生忘れがたい名作たちに共通するものに近いものを
そこに感じたということなのかもしれない。

かつては、
これらに匹敵する物語教材があと1つか2つくらいはあったように感じる。
そういう教科書で、
かつての大先輩の先生方は、
骨太の国語の授業をしてきたに違いないのである。
それらが、他の教材にとってかわった今、
骨太の国語の授業を
どう具現化していくか。

脇役である担任は、
この日、
そのことに挑戦してみたかったのである。

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