本当の親切

先週、
道徳で「親切」の徳目を扱った。

家族のおばあちゃんは体が不自由で、
そんなおばあちゃんには
ふたを開けてあげたり、
できないことを手伝ってあげたりできる自分。

ところが、
街で見かけた目の不自由な方に、
声をかけるべきかどうか迷ってしまった。。。

そんな題材に、
みんなが真剣に向き合った。

中心発問は、
「なぜ、ためらったのか、
 うちのおばあちゃんならできるのに」とした。

子どもたちの道徳的価値観は
みるみるうちに高まっていった。
それが手に取るように、
ひしひしと伝わる。
4の1の集団のもつ力だ。

子どもたちの意見はこうだった。

知らない人だから
「やめて」と言われるかもしれないから
回りの人に変に思われるかもしれないから
その人の大変さがわからなかったから
勇気がでなかったから
緊張していたから
何をしてよいかわからなかったから

こんな様相が、次の発言から
より高みへと向かい始める。

「本当は何かしたい!という気持ちだったと思う。」

そうだね、でも、それが迷惑になるってこともあるよね。
それくらいできるって思われるかもしれない。
自分は親切だと思ってしても、それが余計なお世話になるかも。
本当の親切って、わからなくなってきた。
手を引いてあげるのも親切?、何もしないのも親切?

ここまでくると、授業者自身も本気で考え込んでしまう。

でも、やっぱり真心がこもっていれば、それば親切だと思う。
まず、相手の気持ちを聞いてみたらいいと思う。「手伝いましょうか」って。
相手が困っていることを想像してみてもいいかもしれない。
みんなが幸せになれるのが親切だと思う。

それぞれに、
なんとか自分なりの「親切観」を創り上げようとしているのがわかった。
そのとき、こんな発言も。

そういうこと、たしか空手の先生も言っていたよ。
えっと何だったかなあ。
「情けは人のためならず」
そうそう。

ねえ、それどういう意味?
「親切をしたら、その人のためにはならない」ってこと?
いや、
「親切は、その人のためでなく、自分のため」ってこと。

本当の親切とは?
をめぐって、
子どもたちの道徳的価値観は
みるみるうちに高まっていった。
それが手に取るように、
ひしひしと伝わる。
これは、4の1の集団のもつ力だと思う。
決して一人ではたどりつけない空気が
授業という空間では成立することがあるのである。

これは、学者さん方には
永遠に理解できないことの一つだろうと思う。

さて、本当の親切。。。か。。。

自分だったら、
どう考え、
どう判断して
どう行動できるだろうか。