友情のボールは必要か

友情のボールは必要か

これがこの日の学級会の話題になった。

ことの発端は、
近頃、クラスにある2つの緑ボールと黄色ボールの
取り合いが生じていることにあった。

これまでは、
なんとなく男子用、女子用とわかれていたり、
なんとなくドッチ用、野球用とわかれていたりして、
暗黙の了解が得られていた。

それが最近、
ドッチと野球の両方にボールが使われて、
一部の子たちが使えないというようないさかいが
いくつか発生していた。

事情はなかなか複雑だった。
ドッチにも野球にも男女が交じって参加していることもあり、
「ドッチには女子用のを使っているつもり」
「野球には男子用のを使っているつもり」
「だったら、女子だけでドッチをしたいときは、
 どのボールを使ったらいいの?」
などその境界線が曖昧になっていたのだ。
どちらの言い分にも、それなりの理由があった。

そこで、ついに話し合いとなったのである。

はじめは、ことの事実をあきらかにしていく。
もちろん、双方の考え方が比較できるようにしていく。
すると、どちらにも言い分があって合意点が見つからなくなる。
そういうことは、クラスではよくある。

ここで
「だったら、もう一つボールを買ってけんかをなくせばいい」
「友情のボール、ということだね」
という案が提案された。
なんとかしたいという願いが生んだ折衷案、解決案だった。

確かに、もう一つボールがあれば、
みんなが円満に解決できる。
けんかを避けたいという思いが、その案には込められていた。

ここからが、4の1のすごいところである。

「でも、友情のボールはいらないと思います」
「きっと、そのボールの取り合いがまた始まると思います」
「みんなで解決することの方が大事だと思います」
「ゆずりあえばすむことがあるかもしれません」

ボールの取り合いやけんかはしたくない、という4の1。
だけど、よけいな「友情のボール」は必要ない、という4の1。

とてもすてきな仲間たちが共に生活する4の1だと思う。