ケルルンクック

ケルルンクック
ケルルンクック
で有名な草野心平さんの詩「春の歌」

ほっ まぶしいな
ほっ うれしいな

などというリズミカルで軽快なことばには、
春の訪れを謳歌する姿が
生き生きと描かれている。

子どもたちも、
これらのことばに触れて、
「やっと春がきたからうれしいんだ」
「広い世界に出てきて伸び伸びしている」
「あたたかいなあ〜といい気分になっている」
などと読みを進めた。

「ケルルンクック」というカエルの言葉を訳したら
いったいどんな言葉になるのだろう?
そんな担任の問いかけに、
「温かい水だな」
「いいにおいの風だな」
「一年前を思い出したよ」
「なつかしいな」
などという意見が相次いだ。

子どもたちの読みは、ほぼ出来上がった。

ここで、
草野心平さんのもう一つの詩「秋の夜の会話」を提示した。
その中には、次のような言葉が出てくる。

「虫がないてるね。 ああ虫がないてるね。」
「もうすぐ土の中だね。 土の中はいやだね。」
「痩せたね。 君もずいぶん痩せたね。」
「どこがこんなに切ないんだろうね。 腹だろうかね。」 
「腹とったら死ぬだろうね。 死にたかあないね。」
「さむいね。 ああ虫がないてるね。」

先ほどまでの、楽しげな明るい詩と一変して、
子どもたちは、カエルたちの越冬のつらさを目の当たりにする。

「先生、こわい。。。」
「なんだか、切ないね。。。」
「さっきの詩が明るかったのに、この詩は急に暗くなったよ」
「死にたくない!」
「おなかがすいた!」
「また生きて会いたいね、と言い合っている」
「土の中はいやだ!だからと言って、
 このまま土の中に入らないと雪で死んでしまう。
 まるで最終決断を迫られているみたい」

その時、再び、子どもたちは「春の歌」に戻ってきた。

「ほっ というのは、生きていてよかったの ほっ だと思う」
「風はつるつる というのは、生きている風 という意味だ」
「一年、一年、大事に生きようと思っている」
「二人で、また会えたね、と確かめ合っている」

ケルルンクック
ケルルンクック
で有名な草野心平さんの詩「春の歌」
ほっ まぶしいな
ほっ うれしいな
などというリズミカルで軽快なことばには、
春の訪れを謳歌する姿が
生き生きと描かれている。
こうした「春」をまちわびる気持ちが生まれるのは、
それだけ、寒い冬に暗い土の中で耐えたからこそであろう。
きっと、私たちもそうだろう。

子どもたちの思考は、
この二つめの詩によって、再び活性化し、
読みをさらに深めていった。

実は、
この国語の授業の発想は、
本校の前研究主任が実践したものである。
そのときの鮮烈な印象が忘れられず、
4年生を担任した今年、
その通りにとまではいかないまでも、
子どもたちと取り組んでみようと思ったのである。
二つめの詩に触れてから、
再び最初の詩に戻って読みを深めていく子どもたちの姿に
素直に感動した。