空気の力

閉じ込めた空気は、
おし縮めると元に戻ろうとする。
そこに、子どもは空気の力を感じる。

この単元の学習にあたり、まずは、
自作のペットボトルロケットを飛ばす、
という活動に取り組んだ。
子どもたちには「今日は、ひとつキケンな実験を。。。」
と言ったつもりだが、
空気が創り出す大きな力に、
みんなは、あっという間に魅かれていった。

はじめのうちは、
知らないうちに空気が抜けていたり、
思わず手を離してしまったりしていたが、
ゴム栓を押さえる手の案配に要領を得てくると、
子どもたちのロケットは、
次々と勢いよく飛び出して行った。

その数日後、
教室では、飛んで行くロケットについて話し合っていた。
「空気の力で飛んだのだよ」
「だんだん閉じ込められて行って、限界になると、ボーンって(限界説)」
「満員電車で、人が人を押して、押し出すって感じ(満員電車説)」
そんなイメージを、図を書きながらみんなで話していた。
その時、こんな発言がつながった。
「そうだよ、空気には力があるよ。
 だって、3年生の風車の勉強の時、風くんから力くんが生まれたよ」
「あの時は、何百グラムものおもりを持ち上げたね」

子どもは、(いや、大人でも)
ある問題について考える時、
そのほとんどは、これまでの体験や経験や既習事項をもとに考える。
似たようなことはなかったか。
あの時と同じようなことがあるのではないか。
そのような推察が、
それを確かめる実験によってより確かになる。
さらに、
どのくらい縮むのか、
どのくらい力が出るのか、
などとより定性的、定量的に科学的な思考が進むと考えられる。

だとすれば、
一人一人の中に、
よりよい経験や体験や既習事項が蓄積されてきている事が大切なこととなる。
その、よりよい体験や経験や既習事項とは何か。
それは、おそらく、
押し付けられた経験ではなく、
負の報酬をともなった体験ではなく、
教え込まれた既習事項ではないだろう。

「やってみたい」「おもしろそう」という感情を伴った経験や、
達成や解決や克服といった喜びの伴う体験や、
自ら進んで獲得した知識や技能といった既習事項こそが、
後にある問題に直面した時に、
ふと想起されてくる財産となるに違いない。

そういう財産を日々積み重ねられるようにしたいものだ。