冬の研究会

本校の冬の研究会を行った。
3年理科「じしゃく」の学習である。

本時は、単元の中の4次、つまりほぼ最後の方。
棒磁石についた針1が針2を引き付け、
さらに
その針1を棒磁石から離しても針2が付いたまま、
という磁化の事象について学習する時間。

この日は、2つの想定をもって臨んだ。

1つは、指導案通り、
磁化という認識が多い(まだ針のNやSまでは意識していない)
そんな子どもたちに、
針にも磁性(N,S)があるのではないか、という視点が入った
ところで焦点化し、
それなら、針1はN極、S極、N−S極なの?などについて
それぞれの考えを議論したところで
実際に針1の磁性を確かめる実験へ。

2つめは、
磁化という認識が多い(まだ針のNやSまでは意識していない)
そんな子どもたちに、
針にも磁性(N,S)があるのではないか、という視点が入った
ところで焦点化し、
それなら、針1はN極、S極、N−S極なの?などについて
それぞれの考えを議論したところで
さらに、
「Nだけ、Sだけという磁石はあるの?」
というもう一段ほり下げたところで思考を揺さぶり、
それを、ゴム棒磁石で実験、実感、納得して理解したところで
当初の問題「針1の磁性」について確かめる実験へ。

本時では、
N極説が出たところで
子どもたちはすぐに(8分後に)
「確かめればいい」、「確かめる方法もわかる」
と動き出した。

1つ目の想定からはかなり早いが、
この動きにのって
指導案通り、針1の磁性を確かめる実験へと
入っていくのが賢明だった。

N極説しか出ていないが、それを確かめる実験をする中で
「N極がありそうだが
 反発したり、引き合ったりもしているぞ」
「どうも、NだけでなくSもあるようだ」
と気付いていく展開があったろうと思う。
子どもの意識の流れからみても
3年生という発達段階を鑑みても
そうだと思えて仕方がない。

しかし、授業者はそうしなかった。
N極説が出たところで
「確かめればいい」、「確かめる方法もわかる」
と動き出した子どもたちに
授業をしながら
(子どもの思考ってそうなんだ)と妙に納得していた。

そこで、気持ちを切り替え、
今度は、想定2でいったらどうなるか、
ということが気になり始めた。

そして、そこで実験に入らず、
さらに、議論を深めていく方向に舵をとった。

通常、棒磁石を半分に切って磁性を確かめる場面は、
ここでは扱わない。
磁石に付く物を調べている最中に、
棒磁石の端にはたくさんクリップが付くのに、
真ん中には付かないよ。
真ん中にはNやSがないのかもしれないよ。
などという考えを確かめる実験として扱われるのがほとんど。
(ただし、このことはかなり本質的なことでありながら
 教科書には出ていないことなので
 これすら扱わないことも多い。)

今回、想定2を展開してみて思ったことは以下。

磁化した針の磁性を考える局面で、
棒磁石のN極に付いていたのだから針1はN極だろう、
いや、Nだけの磁石なんてありえない!
でも、○○君の折れた棒磁石はどうなの?
半分にして確かめてみたい!
という場面を子どもとともに創造できる。

ただし、
この「半分実験」は子どもにとってかなり興味深い。
様々な発見や驚きがある。
「先生、すごいことが。。。。」
「え〜なんで?あり得ない!」
こんな声が教室に飛び交った。
さらに、
どんどんこまかく刻んでいく子どもたち。
いつかはN極だけになると思ったという子どもたち。
ところが、
どこにもN極だけの磁石はできなかった。
こんな驚きと矛盾に満ちた世界から、
再び、
針1の磁性はどうなのか?と言う問題に戻ってくるのは
たやすいことではなかった。

もちろん、
やっぱり針1にはNとSがまざっている、
針1がN極だけということはありえない、
とつぶやく子どももいる。
それを
学級として大きな波にしていかなければならない
それには、
60分という時間は、
あまりにも短かった。

ビデオを2回振り返って見た。
意見を受け止めて位置づける言葉の甘さ、
とりわけ、
まざっているけれども、磁性(N、S)はあるという
微妙で本質的な子どもの思いをくみ取れる言葉を
鍛えなければならないと改めて自覚した。