失敗学

前回の理科では、
「植物が酸素を出すっていうのは本当か」
という問題について考えた。

「酸素を出すことは知ってはいるけど。。。」
「そう言えば、酸素を出しているのを見たことはない」
「酸素を出していることをこの目で確かめたい」

そこで考えられた実験は
Nくん実験「水中の水草にビーカーを逆さまにしてカバーしてつかまえる」
Tくん実験「ビニル袋をかぶせて気体検知管で調べる」
A•IくんI実験「ケースにふたをし、酸素がたまった頃、線香の火を近づける」
それぞれ、確かめたい方法を考え、選んだ。

線香実験は、ものの燃え方で試した方法だし、
この実験は、何よりきれいなことが魅力だ、
とその方法に期待を寄せる発言もあった。

そうして半日、日光に当てた後、いよいよ実験に臨んだ。

ところが、
気体検知管の数値は、21%→21.5%と微妙に変化しただけだったし、
線香の火は、一瞬明るくなったか、あるいは、ほとんど変化が見られなかった。

今日の理科の授業は、その「失敗」からスタート。

「気体検知管では、酸素の量の増加だけでなくて、
 二酸化炭素の減少で調べてみればよかったよ」

「線香の火でなく、マッチの炎なら変化が見られるかな」

「もっと長い時間光を当ててみないといけなかったんだ」
「そうか、じゃ、今度はライトを使って夜の間も照らそうよ」
「それに、いろんな角度から当たるようにすればいい」

「酸素がたまるスペースが狭かったんじゃないかな。」
「そうか、水量を減らして、気体がたまるスペースをもっと広くすればいいんだね」
「それなら、いっそのこと、水草でなくて、土の植物にすればいい」

こんな輝く意見が、矢継ぎ早に飛び出してきた。
過去の既習実験を総動員したり、
別の角度から考え直してみたりする、
このような思いつきというか、
一瞬の思考回路のしくみというものは、
複雑きわまりない。
担任がその一つ一つの考えを板書していくのを、
誰もまっていてはくれない勢いである。

「失敗」は、次への原動力となるという。
「ひらめき」は、日頃のたゆみない修養の産物だという。

やっぱり「失敗」から得るものは計り知れない(=数値にできない)ほど大きく
「失敗」をきっかけに発動されるものが学ぶ力(=学力)である。

この週末は、「失敗学」の本でも読むとするか。

連絡
宿題  :パワーアップ
     算数プリント
持ち物 :
連絡  :忘れ物がありませんように。

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