一日の濃度

一日に濃度があるとすれば、
例えば今日は何%という値を示すのだろうか。

1限目は、体操服に着替えて運動会の練習をし、
2限目は、算数の新しい単元「筆算」に入り、
3限目は、6年生の理科で「唾液の消化実験」をし、
4限目は、4年生の理科で「自作空気でっぽう」に取り組み。。。
という具合。

もちろん、その間には、
低学年遊び場でのトラブルの話に立ち会ったり、
小さなすりきずの具合を看たり、
落とし物を一緒に捜したり、
心ない言葉や行動に対して個別に指導したり、
クラス全体として考えるべきことを静かに振り返ったり、
身の回りの整理整頓を呼びかけたり。。。
数えるときりがない。

学校というところは、いわゆる”オベンキョウ”をするところ
と思いがちだが、
その周辺に巻き起こっているすべてのことが、
学校本来の姿といえる。
学校とは、そういうところである。

そういう子ども社会の中で、
互いに思いやったり、
他者の痛みを感じ取ったり、
真剣に取り組んだあとの喜びを味わったり、
学ぶことの楽しさを身につけたり、
人の役に立って働くことの尊さを知ったりしていく。

そういえば、
4限目の他学級での実験を終えて、
やや遅れて教室に戻ると、
2の1では、
みんなが力を合わせて給食の準備を進めていてくれた。
その姿に、確かにみんなの成長を感じた。
そんな給食時に、
みんなでタケノコを食した。
後片付けのこともあるので、
あまり時間はなかったが、
心躍るひとときとなった。

このタケノコは、
クラスの友達が父親と掘ったといっておすそわけしてくれたものだった。

旬のものは旬のうちにいただくのが一番、ということで、
いただいた日の夜、日付がかわるころ、
さっそくあくを抜いて一晩おくことにして就寝。
今日の朝、いつもより少し早起きして
簡単に調理してみんなの口に届けた。
そのときのみんなの歓声は、
今でも耳に焼き付いている。

「すごくおいしい〜」
「これは世界一の味だ〜」
「ん〜。。。。(言葉にならない)」

旬のものを旬のうちにいただく、ということは、
そのものがもつもっとも大きな
エネルギーというか、
生命力というか、
そういうものをそのまま吸収させてもらっているということなのだろう。

一日に濃度があるとすれば、
例えば今日は何%という値を示すのだろうか。