ごんぎつね3場面

昨日の授業参観で
する「予定」だった国語「ごんぎつね」の授業を
1日遅れで、今日、行う。
これが、60分にもおよぶ授業というドラマになった。

ごんぎつねは、言わずと知れた
4年生の題材の中でも屈指の名作。

独りぼっちがゆえにいたずらばかりしてしまうごんが、
ある日、兵十にしていたずらをしてしまう。
同じ頃、兵十のお母さんの葬列に出くわしたごんは、
自分のいたずらのせいで、
兵十のおかあさんに大好きなウナギを食べさせることができずに
死なせてしまった、と思い込む。
そのつぐないをしようと、イワシやくりや松茸を
そっと兵十の家に運ぶ。
そうとは知らない兵十は、
くりを運び込んだごんを火縄銃で撃ってしまう。
そこで初めて、
兵十は、くりや松茸を運んでくれたのはごんだったことを知り、
ごんは、そのことに気付いた兵十にこくりとうなづく。
それまでずっとすれ違いの多かった二人が、
最後の局面でようやく分かり合える、という、
悲しいお話なのか、
心が通じ合えてよかったというお話なのか、
考えさせられることの多いお話。

そんな6場面からなるお話の、
今日は3場面。
イワシを投げ入れたり、
くりや松茸を裏口に置いていったりする姿が印象的な部分。

授業前の構想はこうだった。

まず、イワシを投げ入れたときのごんの気持ちを考える。
.まず一ついいことをした。
.見つからなくてよかった。
.これでつぐないができた。
.もっとつぐなわないとだめだ。

次に、くりや松茸をどこに置いたのか予想する。
.気付かれないように、裏口から離れた場所。
.自分だとわかってほしいから、裏口の近くではないか。

ここで、ある矛盾が浮かび上がってくる。
さっきまでは、「見つからないように」というごんだったのに、
いつの間にか、「気付いてほしい」というごんになっているのだ。
子どもたちは、知らず知らずのうちにその矛盾に直面していく。
そこが、子どもの思考を揺さぶっていく。
もちろん、
揺さぶられれば何でもいいのではない。
その揺さぶりの向こう側に、
この題材のもつ本質(国語なら主題か)が
見え隠れしていることが肝要。
「見つかりたくない」でも「気付いてほしい」
このことは、
先述した「心の通じ合い」に迫る部分であると考えられるのである。

と、ここまでが担任の勝手な構想だった。

実際に、授業が始まった。
まず、イワシを投げ入れたときのごんの気持ち。
子どもたちは、
.まず一ついいことをした。
.見つからなくてよかった。
.これでつぐないができた。
.もっとつぐなわないとだめだ。
などと、叙述をもとに考えていった。
とりわけ、
「まず」と書いてあるから、
これからもっとつぐなわないといけない、
と思っていると思う、
など、たった二文字にこだわって
自分の考えを作り上げていく子どもたちの姿が
印象的だった。

担任としては、ここから
「くりや松茸をどこに置いたのだろうか」と発問する予定だった。
ところが、
子どもたちの思考は、その想定を越えていったのだ。
「最初は、見つからなくて「安心」だったけど、
 兵十が本当に幸せに暮らしているか「心配」になっていた」
「『おれと同じひとりぼっちの兵十か』だから
 お母さんを亡くして一人になった気持ちがよくわかっている」
「自分がしたんだよ、と気付いてほしくなっている」
と、どんどんと読みを進めていくのである。

担任が準備していた発問は、もはや、必要なかった。
(ましてや、
 兵十の家の裏口のとびらが動いて、
 その奥に兵十がちらっと見えるようになる
 小細工した挿絵の出番などはなかった。
 せっかくだから、一応、出してはみたものの。)

そんなことより、子どもたちは、さらにどんどんと読みを深めていく。
「6場面にはね、ごんは、家の中まで入っているんだよ」と子。
「ほんとうだ、とびらの中に入ってる。」
「それだけ、つぐないの気持ちをわかってほしくなったのかな。」
「自分は撃たれることより、
 わかってほしい気持ちの方が強くなったんだ」

最後には、
「『気付かれたくない』『気付いてほしい』という複雑な気持ちだ」
という意見が飛び出した。
時間は、60分になろうとしていた。
そこで、ごんの気持ちメーターを一人一人が書いて、授業を終えた。

子どもたちの思考は、
どこで、どうつながっているのか、本当に不思議で魅力的。
たった二文字の言葉にこだわって考えていたかと思うと、
突然、3場面から6場面まで一気に飛躍して直感が働いていくのだから。