カマキリの産卵

教室前では、生き物コーナーが
自然発生的に広がっている。

ザリガニ、バッタ、コオロギ、カブトムシの幼虫、フナ、メダカ。。。
最近では、カマキリも大きくなってきているようで、
登校中や中庭で出会った大きなカマキリが、
このコーナーに運び込まれることも多くなった。

先日、9月21日に、
はやくもカマキリの産卵が確認された。
たしか、昨年のカマキリの産卵の初確認は
10月10頃だったから、
20日間ほど早い。
その昨年の卵たちは、
冬の間理科室で過ごした。
そして今年の春になって、
無数の子どもたちが飛び出してきた。
その日は、教室は大騒ぎになったのを思い出す。

あれから1年。

またカマキリが産卵を始めた。
生態系のサイクルは、
まるで正確な時を刻む時計のようだ。
きっと春には、
また元気なカマキリたちが飛び出してくるのだろう。

そう思っていると、
今日、その生き物コーナーで大スクープがあった。
カマキリがちょうど産卵を始めたのである。
発見者は、いつも休み時間毎に
観察したりお世話をしたりしている仲間たちだった。
この大スクープを
やや興奮気味に担任に伝えにきてくれたのだった。
見ると、
産卵はまだ始まったばかりらしく、
泡状の白い固まりはまだ小さい。

しばらくして、(授業を終えて)
再び、数名の子と様子を見に行く。
カマキリは、まだそこでじっとしていた。
泡状の固まりはやや大きくなっていた。
ながめながら、
子どもたちは写真を撮っている。
「産卵にはどのくらいの時間がかかるのか」
「産卵が終わったらカマキリはどうなるのか」
「自然界での産卵だったら敵から身を守れるのか」
などという疑問も次々とわいてくる。
そのうち、
通りすがりの子どもたちも
何事かと集まって、
即席昆虫観察会となった。

担任自身、このような場面に遭遇したのは初めて。
子どもたちのおかげで
わくわくする気持ちをたっぷりと味わわせてもらえた。

帰宅して、ふと、この日のことを思い出した。
そして、こんな思いが頭をよぎった。

テストにはよくこんなのがよく出題される。
(例)この写真はカマキリの産卵の様子です。季節はいつ?(秋)
   カマキリはどんな姿で越冬するか?(卵) など
きっとこの子たちは、
こんな問題を軽々と解いてしまうのだろうな。
いや、こんな体験をしていない子だって正解できないわけじゃない。
場合によってはこの子たちの方が間違えてしまうかもしれない。
だとしたら、
そんなことをテストで問うことに、一体、どんな意味があるのだろう。

おそらく、この出題の意図は、
自然への興味関心をもつこと、
季節との関連で昆虫の生活をとらえること、
などといったものだろう。

もちろん、
それを「知識」として知っている事は、それ自体大事なことではある。
それならそれで、
「知識」として問う(知っておく)べきことは
もっと別にあるような気がする。
(いつごろ、どこにいけばカマキリの卵は見つけられるか とか)
その「知識」があれば、
その後の豊かな自然体験につながるからである。

もしも、本当に、テストで
自然への興味関心をもつこと、
季節との関連で昆虫の生活をとらえること、
などといったことを問いたいのであれば、
例えば、
カマキリの産卵にはどのくらいの時間がかかるか、とか、
去年の産卵は10月15日だったが、今年はいつごろと考えられるか、とか
まさしく、
あの即席昆虫観察会に集まって、そこで語り合っていた内容のようなことが
問われるべきではないか、
と思ったりもした。

いずれにしても、
自然への興味関心態度などは、
どんなに出題の形式を工夫したとしても、
テストで問うものとは異質なものである、ということか。
これが、とりあえず、この日の結論。

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