底力

学校や学級と言うところは、
子どもたちの舞台だから、
日々、いろんなことが起こる。

そんなことがあると、
ときに、
子どもたちの底力を目の当たりにすることがある。

今日、給食の配膳中に、
お皿がいくつもひっくり返った。
担任の指導に、
もっといい方法がなかったか、
前もって心得ておけなかったものか、
と反省しきりである。
まさに、
失敗だらけ、粗だらけだった。

しかし、
そこで担任は、4の1の子どもたちの
底力を目の当たりにすることになる。

ひっくり返った食材を見て、
数人の子たちが飛んで来た。
そして、素手でそれらをかき集めた。

そこに、私も、ぼくも、と集まってくる友達。
差し出したふきんを次々に手にとって
すみずみまできれいに拭いた。

扉や窓に飛び散ったところも、
よく気が付いて拭き取っていた。
溝に入ったのも、壁のネジをゆるめて
ずらして拭き取った。

食材でびしょびしょになった本人は、
みんなに「だいじょうぶか」と声をかけられたが、
気丈にも何事もなかったかのように振る舞った。

そんな姿をよけいに愛しく思った仲間たちが、
汚れたズックを入れるための袋を差し出し、
履き替えた靴下を水道で洗い始めた。

給食が足りなくなった器を見て、
「私のを取ってください」
「ぼくの、全部取ってもいいです」
「よし、今、他の教室に行って聞いてくる」
と善意の行動が織り重なった。

午後からの体育では、
水洗いして履けなくなった内履きズックの代わりに使って、と
試合に出ていない子が自分のズックを差し出した、
と聞いた。

学校や学級と言うところは、
子どもたちの舞台だから、
日々、いろんなことが起こる。

そのたびに担任は反省しなければならない。

だが、そんなことがあると、
ときに、
子どもたちの底力を目の当たりにすることがある。
それは、
4の1の子どもたちが、
担任のあずかりしらないところで
しっかりと育んでいただいて、
学校へ送り出されている、ということを痛感するときでもある。