草むしりの教育的意義

ちょっと固いタイトルだが、
ここ十数年、
心の片隅で感じ考えてきたことの
ひとつの答えが、
今日、見えたような気がした。

「草むしり」

私たちと同世代、もしくは、それ以上の方々には
おそらく鮮明な記憶としてあると思われる校庭の草むしり。
梅雨前のちょうど雑草が出始める頃や、
夏休み直前にぐんぐん雑草が伸び始める頃や、
秋の大運動会前の地域行事がある頃などに、
学年あるいは全校一斉で行われた草むしり。

当時、クラスの多くの仲間たちが、
この時間内にここだけではつるっつるにするぞと意気込み、
周囲半径2m以内はだれも寄せ付けないで一人の世界に入り、
終了時間が近づくまで誰も時間の流れに気付かないほど集中して、
その単純作業にひたすら没頭した草むしり。

当時のそのような学校教育活動をたっぷり経験された諸先輩たちは、
今や、いろんな分野でリーダー的に活躍しておられる。

このようなことの教育的意義は、
誰もが感じているはずだが、
誰もあまり語らない。
それよりも、
今風の学力論争を声高に叫び、
「成果」を上げることに汲々としている。

今日、3の1の子供たちは
大粒の汗を額から流して
「草むしり」に没頭した。
その勢いたるや、
過去の記憶にある当時の仲間たちの姿か、
それ以上のものがあった。

その姿は、
「成果」をあげるという企業的発想で、
「ねらい」に直結していくような効率性をよしとする大人たちが、
ごもっともな教育論をあちこちから提唱する風潮の中で、
類を見ない輝きを放っていた。
勝手に学力低下という烙印を押されまいとして
「ぼくたちは、こんなにできるんだよ」と言わんばかりに。

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