電気の利用

今回の学習指導要領の改訂に伴い、
6年生では「電気の利用」という学習が始まる。
6年生で学習している「電流の働き(電磁石など)」は5年生に移行する。

従来の「電流の働き(電磁石など)」の学習で、
電気を通した導線の回りには磁力が生じることを学ぶ。
(電磁石は巻き数を増やせば増やすほど強くなる、とか、
 電磁石は電流が強くなればなるほど強くなる、などといった
 電磁石の性質を学ぶものと勘違いされている節があるが、
 本単元の本質的な部分は、
 電気を通した導線の回りには磁力が生じることにあり、
 電磁石は、そのはたらきによってできる現象のひとつととらえたい。)

さて、そのことが既習になっている子供にとって、
6年生の「電気の利用」で学ぶことは何なのだろうか。
一つは、電気は発電できること、
一つは、電気は蓄電できること、
一つは、電気は消費されること(光や熱などにエネルギー変換されながら)
すなわち、
「エネルギー保存」という物質観・エネルギー観の原則を体得するところに
本単元の本質を見ることができると思うのである。
それが、指導要領実施前の現時点で先行実施してみての
感想ならびに提案である。

今回は、ゼネコンや発光ダイオードやコンデンサを主教材にして取り組んでみた。
発電側は、ゼネコンや光電池
蓄電側は、コンデンサ
消費側は、豆電球や発光ダイオード、モーターなどである。
まず、およそA4版の板を基盤とした。
そこに6つの端子をとりつけた。
中央の3カ所には、発光ダイオードやコンデンサなどの電子部品を
自由に取り付けたり、はずしたり、つなぎなおしたりできるような教具を作ってみた。
かつて、自分が小学校高学年か中学生だった頃、
電子ブロックを基盤の上に並べていろんな回路をつくることができる
「おもちゃ」があったが、それをモチーフにした。
難しいことはわからなかったが、夢中になって、回路を作ったり壊したりした記憶がある。

実際に子供たちに教具が手渡ると、
やはり、その基板に夢中に向き合った。
授業者の発問や授業の仕組み方には問題が山積みだが、
子供たちの追究心には改めて驚いた。
発電を止めてもまだLEDが光っていることに矛盾を感じ目を丸くした瞬間。
1つのLEDが不安定に光るのに対して、
コンデンサを介したもう一方は安定して光ることを発見した観察力。
偶然、2つのLEDが点滅するように光る回路を見つけ出した時の心の動き。
その回路は一体どうなっているのだろうかと、配線をたどって確かめた指先。
赤の配線(プラス)と黒の配線(マイナス)を入れ替えたらどうなるのかな?という好奇心。
だったら、こうしたらきっとこっちも光るはず、という仮説と見通し。
もっと大きなコンデンサだったらもっと長く光るはず、という期待感の高まり。

子供たちの操作活動は、とどまることを知らなかった。

近年、「遊び」も大事な学習だ、と言われている。
私も、もちろん大筋ではそれに大賛成。
しかし、だからといって
学校の、授業という営みの中で、
何でも遊びの要素を取り入れて
夢中にさえさせておけば、そこには必ず「気付き」があるというのには
いささか疑問を感じている。

この一連の学習の中で
こどもたちが夢中になったのも、
言ってみれば「基盤遊び?」かもしれない。
しかし、そこには、単なる遊びとは明らかに一線を画す何かがあった、
「本質に触れる」遊びとでも言うべきか。
そう感じるのは、ちと、手前味噌か。

この本質となる部分をどこにおくかは、
それぞれの授業者に委ねられることが多い。
これからの多様な実践的研究事例によって、
妥当性と信頼性のあるそれを見極めていかなければならない。
(少なくとも、
 発光ダイオードとコンデンサをつないで、
 ゼネコンを回すと電気が発電され、
 発電された電気がコンデンサに蓄電されたり、
 LEDを光らせたりする、
 などというだけの学習にならないように)

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