じゃがいもは大きい方がいい?

今日の献立はカレー。
カレーと言えばじゃがいも。
みんな「大好き!」と言っていた。
大きなじゃがいもが入っていたら、
とっても幸せ。。。と言った様子である。

理科の時間。
「いも」と板書すると、たちまち
「さといも!」「さつまいも!」「じゃがいも!」という声が返ってきた。

この鋭い反応に、正直、驚いた。
なぜなら、このいもたち、
水栽培をしたらよくわかると思うのだが、
その様が、まさに3者3様だからである。
同じ「いも」でも、似ているようで違うのだ。
ここには、「子供が問題をもつ」ということのヒントがある。

教室でのみんなの反応に、
そんな担任の心が見透かされたような気がした。
気をとりなおして、
いよいよ、たねいもを一人一個ずつ配布する。

みんな競って「大きいの!」と叫ぶ。
だって、デンプンがいっぱいある方が、元気に発芽すると思う。
種子の発芽では、種子の中の養分を使うと学習したよ。
子供たちは、かつての学習の経験を語った。

そのうち、「やっぱり小さいの!」という声。
小さい方が無駄がない。
大きい方だと芽がいっぱいありすぎて、デンプンの力が分散してしまうのではないか。

すると今度は、大きい、小さいではなくて「芽が少ない方」という意見が出る。
少ない芽に栄養が集中するから、より大きくなるはずだ、
というのである。

それに対して、「やっぱり芽は多い方がいい」という立場も表れる。
生きものは子孫を残すのに必死。たくさん芽を出して、その中からより強い芽を育てた方がいい。
その意見に、
ソラマメとインゲンマメで発芽の条件を確かめ合った学習や
メダカやヘチマが子孫を残そうとする姿に触れた学習のことが思い出された。

カレーのじゃがいもは大きいほど好まれるが、
自分で育てるたねいもとなると、
そういうわけにはいかないようなのである。

ものごとをいろんな角度で考えることはよくあること。
「じゃがいも」にだって、
おいしくいただくという視点で考えるか、
大きく育てるという科学の視点で考えるか、というのがある。

授業の中の「じゃがいも議論」の真っ最中に、
奇しくもある子がこう言った。
「大きいとか、小さいとか、芽の数とか言ってるけど、
 結局、最終目標を決めないと。
 じゃがいもをたくさん収穫したいのか、
 それとも、
 じゃがいもを元気に大きく育てたいのか。
 それによって、自分の意見も変わるんだけど」

連絡
宿題  :パワーアップ(国語) 新しい計画表を配りましたので、ご確認ください。
     宿題ノート(算数)
持ち物 :月曜セット
お知らせ:高学年集会あり