ありがとう

一口に「喜び」といってもそれは様々だということを
今日の道徳の時間に学んだ。

今日の題材「おいしかったよ」のあらすじはこう。

ある日、とおるの家でピンポーンとチャイムが鳴る。
インターホンごしに「どちらさまですか?」と尋ねるとおる。
お母さんがドアをあけると、
となりのおばあちゃんがホットケーキを作って届けてくれた。
そこで、おばあちゃんがお母さんにこう言う。
「それにしても『どちらさまですか』なんていえて大きくなったわね。」
とおるは、てれて、顔を赤くする。

次の日、とおるはおばあちゃんに合って軽くあいさつを交わす。
「おばあちゃん、こんにちは。」
ところが、うっかりホットケーキのお礼を言うのを忘れてしまっていた。

その次の日、とおるはまたおばあちゃんに会う。
そして、こんな会話を交わす。
「おはようございます。
 ホットケーキ、とてもおいしかったです。
 ありがとうございました。」
「そう、それはうれしいことを言ってくれるね。」
そう言われて、とおるはうれしくなった。

とおるの「喜び」は何だったのか。
子どもたちは、次々と考えを広め、
そして深めていった。

まず、出て来たのは、「大好きなホットケーキをもらった喜び」だった。
すかさず、「『どちらさまですか』と言えて褒められた喜び」もあるという発言。
しかも、「家族ではなく、近所の人から言われたらよけい喜びが大きい。」と続く。
また、「自分では当たり前のことだったのに、それを褒めてもらえたのだからもっと喜んだ」とも。
こうして、「自分の喜び」とはどんなものか、考えを深めた子どもたちだった。

すると、「喜んだのは『とおる』だけではない」という視点変換の発言が飛び出す。
「とおるが喜んでくれて、おばあちゃんも『喜び』を感じたはず」だというのである。
「とおるがわざわざ『おいしかったです』『ありがとうございました』と言ってくれた」からである。
さらに、それだけではなく、
「とおるの成長ぶりに、おばあちゃんは『喜び』を感じたのだ」という発言へと続く。
こうして、「自分の喜び」から「もう一人の喜び」へと、考えを広げていく子どもたちだった。

こうなると、2の1の子どもたちの発言はもう止まらない。
「付け足しです。」
「お母さんも『喜び』を感じたのだと思います。忙しいときにとおるがインターホンに出てくれたからです。」
「わかった、ひらめいた。」
「ということは、とおるも、おばあちゃんも、お母さんも、みんな『喜び』なんだ。」
誰かが、そうまとめた。
黒板には「成長の喜び」という名の輪がいくつも描かれていた。

実は、今日は朝から、2の1の教室には、
「ありがとう」「おいしかったよ」
などという声がこだまし合った一日だった。
子ども達の心温まる言葉に潤された。

誕生日というのはずっとお祝いされる日だと思っていたが、
いつの頃からか、
誕生日というのは周囲の人に感謝する日だと思い始めた。
今日も、その思いをあらたにする。
「みんな、ありがとう。」