一文の個性

国語の「生きものはつながりの中に」。
今日はその4段落目。
4段落目にはちょうど10の文がある。
その10の文は、どれも個性があって、
それぞれに、
重要な役割を担っていたり、
他の文を際立たせる名脇役を演じていたりしていておもしろい。

今日の授業が終わる数十分後には、
そんなことを一人一人が味わうことができたらいいなと思って授業を始めた。

だから、
いつものはじまりの音読も、
一文ごとの、いわゆる○(丸)読み。
短い一文を、一人が個性たっぷりに読む。
10の文があるから、10人の個性で読む。

音読を終え、
いよいよ10の文の10の個性に迫る。
「読んでくれた10人の友達は、みんな個性たっぷりの友達ですから、
 読んでくれた10の文も、それぞれに違って聞こえたね」
なんていいながら、
最初の発問は
「誰の文が、10の文の中のリーダーだろうか」だった。
(「どの文が」ではこの場の空気に合わないんだなあ)

すると、すぐに
「最後の文!」
「最後の文がなんだか偉そう!」
「〜です、と言い切っている」
「自信たっぷりな感じがします」
「この前の授業で各段落のタイトルを考えたけど、
 その時の4段落のタイトルとも同じだ」
と意見が出る。

そこに、
「でも、副リーダーもいるよ」の声。
その声の意味をもう少し詳しく聞いてみる。
「副リーダーは、7番目の文。」
「『つまり』って書いてあるから、まとめているみたい」
と発言が続く。
さらに
「誰と誰とをまとめているの?」と聞いてみると
「5かな、4かな」
「1から6までかな」
「1は肉のこと。。。」
「2はタンパク質のこと。。。」
「3は〜」
とそれぞれの文の個性を見つけていくみんな。

それなら8と9には個性はないのか?
そんなはずはない!
とばかりに、
今度は、8文と9文の役割を必死に見いだそうとしていった。
「8と9は1〜6と反対の例を出している」
「反対だから、逆に1〜6が大事だってことがわかる気がする」

4段落目の10の文。
それらは、それぞれに、役割をもった文であり、
一文たりとも、無駄なものなどないということを
子供たちは導き出していた。

クラスの40人も、また然り。
生きる、ということもまた然り。

連絡
宿題  :パワーアップ(理科)
     算数教科書の問題
     確認テストの直し(国、算、社、理)金曜日まで
持ち物 :天候にかかわらず木曜日課(ランドセル)
     天候にかかわらず弁当
     運動会の持ち物(体操服、はちまき、プログラム、タオル、水筒 等)
お知らせ:運動会が延期の場合のみ電話連絡あり(6:30頃までに)

     

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