南極授業が授業であるために39
昭和基地周辺に点在する
この「迷子石」という素材を教材化するためには、
故郷富山の常願寺川に残る「大転石」が必要となった。
そこで、南極に行くまでにもう一度、
常願寺川の上流から下流まで歩いてみたくなった。
すると、
ある矛盾が浮かび上がってきた。
川幅が狭く
流速は速く
石は大きく
ごつごつしている。
川幅が広くなり
流量が増え
石はやや大きく
丸みをおびてくる。
川幅がさらに広がり
流量も深さも増し
石は細かく
丸い粒となる。
このように上流、中流、下流と、
その様子がどんどん変化していくのがよくわかる。
小学校理科では、
上流の石はごつごつしていて大きく、
下流(河口付近)の石は丸くて小さい、
と習う。
ある矛盾、というのはここだ。
昭和基地では、
その沿岸の波打ち際に(実際は凍っているので波打たないが)、
こんな大きな岩が
あちこちに見ることができるのだ。
小学校理科では、
下流(河口付近)の石は丸くて小さい、と習うのに、である。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために38
迷子石は、
実に興味深い素材だ。
ただ、
それだけでは教材にならない。
迷子石の教材化のためには、
「もう一手間」が必要だ。
例えば、「比較の場」を意図的につくること。
この写真は、
昭和基地内最大の「迷子石」。
以前に紹介したPANSYアンテナ群の中で
まるで「迷子」なってしまったかのように
おそらく何十年、何百年もの間、ここでたたずんでいる。
この写真は、
故郷富山に実在する「大転石」。
暴れ川の異名をもつ常願寺川沿いに
ある日
突如として現れて以来、
今も自然の猛威を
私たちに無言で語りかけている。
この両者を比べるてみると
子どもの心は動き出す。
富山と南極はこんなに離れているのに、
なぜ、同じような石があるのだろうか、と。
異なるものなのに、共通性を見いだそうとするのだ。
また、比べてみることで
子どもの心はその反対に動くこともある。
富山の大転石は常願寺川の災害で「置き去り」にされたはずなのに、
昭和基地の「迷子石」の近くには、そんな大きな河川はないよ、と。
同じようなもののの中に、異質性を見いだそうとするのだ。
ただ、この比較物は何でもよいわけではない。
子どもを揺り動かす比較物の力を知るがゆえに
その比較物を何にするか腐心するのが
授業者。
その比較物が特になくても
何とかしてしまえるのが、
説明者?解説者?”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために35
当たり前のことだが、
風車を風上に向けるとよく回る。
その向きがちょっとずれていると、
とたんによく回らなくなる。
そんなときは、
少しずつ向きを調節して、
一番よく回るところを見つけようとする。
そんなことを繰り返しているうちに、
あることに気づかされる。
風車が一番よく回る所は、
つまり、風が吹いてくる方向は、
いつも、ほとんど同じなのだ。
その風が吹いてくる先に目をやってみる。
すると
そこには南極大陸が広がっていた。
南極大陸から吹き下ろされてくる冷たい空気が
こちら昭和基地に流れ込んできているのだ。
いつも、いつも。
ある自然の法則にしたがって。
「風の通り道」というのがあるとすれば、
それはここなんだ、と感じた。
その風のことを
「カタバ風」
というのだが、
そんなことはどうでもいい。
「カタバ風」という言葉をまず知ることよりも
「そのことを(今、感じたそれを)カタバ風という」ってことの方が
大切なこと。
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南極授業が授業であるために34
この「屋外理科実験室」からは
昭和基地が一望できる。
基地を取り巻くリュツォフォルム湾が白く凍りつき、
太陽の日差しを跳ね返してキラキラ光っているのが見える。
地球の南の果てには、
こんな光景が待っていた。
この高台に登ってくるまでには、
慣れれば10分程度。
リュックに実験道具をつめてここまでやってきて、
そこで万が一、忘れ物に気づいたとしても、
なんとか取りに帰ろうと思える距離感。
軽い運動で体が温まってきているので、
実験中も寒さをさほど感じない。
むしろ、
朝になると常に吹いている南極特有の風が
心地よく感じる日さえある。
ここで、ミニ風力発電機を組み立ててみて
おもしろいことに気づく。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために33
光電池で発電した電気で走るおもちゃの電車。
しかも、
南極の太陽で発電した電気で、である。
風力で発電した電気で走るおもちゃの電車。
しかも、
南極の風で発電した電気で、である。
なんだかよくわからないけれど、
こんなどうでもよいようなことにわくわくすることが
実験、なんだと思う。
さっそく、
昭和基地の太陽に
手作りした光電池&コンデンサー蓄電装置を向けてみる。
季節は白夜の夏。
太陽は真夜中も沈まない。
地平線ぎりぎりのところを移動していく。
太陽に向けた太陽光パネルがほぼ直立していることからも
それがわかるだろう。
この真夜中の太陽で、
本当に電気が作れるのか。
作れるとしたら、どのくらいなのか。
ストップウオッチとテスターと
野帳とボールペンと
道具一式と温かい飲み物を持って
自分だけの屋外理科室に行くのが日課だった。
毎日、寝る時間が惜しいと思えるくらい、
この時間が楽しくて仕方がなかった。“… 続きを読む...
南極授業が授業であるために30
「昭和基地には太陽光パネルがある、
南極には太陽が全く昇らない季節があるのに。」
この矛盾を矛盾でなくそうとして、
子どもたちは動き出す。
例えば。。。
「きっと、太陽があるうちに、
いっぱい電気をつくっておいて
昭和基地のどこかにためておくのかもしれない」
という仮説を抱き始める、とか。
このことを、
子どもの側からもう少し詳しく見てみると
次のようなことが言える。
電気についての学習は小学3年生からで、
まめ電球をつけるとか、
モーターを回すとか、
主に消費に関する活動をする。
また、小学4年生では、
太陽光パネルを扱いながら、
そこで、発電という活動を体験する。
そんな子どもたちが、こんどは
電気をためる、
という新たな概念をもちこんでくるのだ。
そこに、今回は、
コンデンサーを登場させてみることとする。
こうして、
子どもの思考にあった
手作り教材のスケッチを描いて行く。
南極授業が
れっきとした授業となるために。
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