南極授業が授業であるために48
さらに、次の2枚はこれ。
左は、緑の森林。
日本には豊かな緑がある。
そこに、多くの生命が宿り、
複雑で多様な生態系が形成されている。
緑の葉が茂って、風に揺れ、
色とりどりの花が咲いて、実をつける。
そんな日常に、何の疑問も抱かなかった。
右は、南極の氷の大地。
そこに立ちはだかる南極の氷の壁。
低温と乾燥のため
緑は存在することができない。
わずかに存在する蘚苔類たちも
年間数mmしか成長できないそうだ。
数センチ育つのに何十年、何百年という歳月を要するものもある。
地球の自然の豊かさと厳しさ。
この2枚が、同じ地球上のものだとは、
いまでもなかなか思えない。“… 続きを読む...
南極授業が授業であるために47
次の2枚はこれ。
左は、滝のように流れる常願寺川である。
富山には、標高3000mの立山から、
深海1000mの富山湾まで実に豊かな自然の姿がある。
富山湾には、日本海に生息する魚類の半分以上がいると言われるが、
それは、多くの河川が森からの栄養を海底に送りこんでいるためだと考えられている。
右は、スカーレンの氷瀑である。
まさに、氷の滝である。
私たちが野外で活動したスカーレン大池横のカブースには
すぐ目の前に、この光景が迫ってくる。
この氷の動きは年間に数メートル程度だと思われ、
私たちの目にはただ止まっているようにしか見えないが、
南極の、何千年、何万年という時のスケールを考えると、
それはやはり、「氷瀑」の名にふさわしい荒々しい流れで
湾に注ぎ込んでいることに他ならないのである。
スカーレンの野営地に降り立った瞬間、
これは、
常願寺川の急峻な流れそのものだ、と私は感じた。
“… 続きを読む...
南極授業が授業であるために46
故郷の自然の魅力を
再発見させられるという体験は
南極滞在中に数回訪れた。
たとえば、この2枚の写真。
左は、立山称名滝。
称名滝は、立山連峰を源流とする滝で、
弥陀が原から称名川まで流れ落ちる
その落差350Mという
日本で一番大きな滝である。
右は、ラングホブデの雪鳥沢の様子。
ラングホブデでの野外活動の際、
そこを流れる沢伝いに山を登った。
この沢の水は、
氷河の溶け水だと思われるが、
それが、
一気にラングホブデの湾に注ぎ込んでいるのだ。
あの日、
立山の雪解け水が滝を流れ落ちて
やがて、富山湾に注ぎ込むという故郷の光景が、
ラングホブデに立つ私の目に
確かに浮かんでいた。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために46
南極のことを伝えるために
「南極授業」をするわけではない、
ということは
9月のある日のここで書いた通り。
では、なんのための「南極授業」なのか。
この2枚の写真を並べて見てみる。
左側は、わが故郷富山の立山を映すみくりが池。
右側は、南極にそびえるシェッゲという断崖を映すスカルブスネスの海。
どちらも、鏡のような水面に映った姿がとても美しい。
風がおさまり、波が静まった一瞬だけ、
このような光景を見せてくれるのだ。
この「逆さシェッゲ」を南極で見たとき、
私の脳裏には、
故郷立山のみくりが池が
はっきりと浮かんで見えたのだった。
そして、
故郷の自然の魅力を
再発見させられていた。
なんのための「南極授業」なのか。
その問いの答えのひとつが見つかったような気がした。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために45
「しらせ」が厚い氷で動けない。。。?
地球温暖化なのに。。。?
そのわけとして考えられる予想の3つめ。
予想3 南極大陸の氷が流れてきたからかな
以下、この予想について考えてみたい。
海氷が氷で覆われているのは、
南極大陸の氷がどんどん流れ出てきたからかもしれない。
その予想については、
実際の衛星写真からわかる部分がある。
また、
ときどき、
「南極の氷が全部とけて流れ出したら、
日本は沈没するのか!?」
などという話題をあちこちで耳にするので、
子ども達には、なんとなくそんなイメージもある。
では、
本当に南極の氷は、このままとけ続けるのだろうか。
それは、目下、研究中であるから、
正確なことはまだ誰にもわからない。
ただ、
たとえ、現在、南極の氷がとけていたとしても、
南極の氷がなくなってしまうまでとけ続けるか、
というと必ずしもそうではないようだ。
とけて流れ出した南極大陸の氷は
海に張り出していき、
棚氷や氷山となって海面を埋め尽くしていく。
やがて、海面は
空から見ると真っ白な板のようなものになる。
すると
鏡が日光を反射した
(黒い紙が日光を吸収した)
あの小学4年の実験のように、
太陽の光は海面で反射され、
海水は暖まることができなくなる。
海水温は再び下がりはじめ、
南極の気温は下がり、
南極大陸の氷の流れ出しは、
そのうち止まってしまう、というのだ。
もちろん、これは仮説の一つに過ぎない。
この仮説を確かめるために、
南極観測隊は、
氷河の流速をGPSで測定したり、
氷を大陸の接点部分まで掘り下げたりして調査している。
その答えは1年や2年で出るものではない。
10年、50年、いや、100年先になるかもしれない。
それでも、
こつこつとデータを積み重ねていくことをやめないのである。
南極授業を通して、
日々の理科の授業への取り組みに
よい影響が出ることがあるとすれば
幸いなことである。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために44
「しらせ」が厚い氷で動けない。。。?
地球温暖化なのに。。。?
そのわけとして考えられる予想の2つめ。
予想1 海水の温度が下がったからかな
以下、この予想について考えてみたい。
海氷が厚くなることと、
海水の温度が下がることは、
容易に結びつく。
子どもの思考の
予定調和の範囲内だ。
しかし、
海水の温度を語るときに
同様に大切になることがある。
それは、
海水の濃さだ。
海水は、凍るときには
真水の部分だけが凍る。
したがって、
凍って濃さをました海水は、
南極付近ではどんどん沈み込むのである。
南極付近で沈み込んだ海水は、
赤道付近などで上昇するなど、
長い年月をかけて
地球を循環している。
この海洋大循環のスパンは
1000年〜2000年というから壮大なスケールだ。
でも、この循環のおかげで
地球の環境のバランスがとれているのかもしれない。
もしも、
南極での海水の沈み込みが弱まったとしたら、
どこかで海水が上昇することも弱まり、
冷えた海水によって高まる気温をセーブしていた働きも弱くなる。
この循環自体が弱まることは、
地球環境に急激な変化をもたらすことになるのだ。
実は、この水の密度変化による循環は、
やはり、
小学4年生の理科の内容なのである。
それを「対流」という。
どの教科書にも
そう書いてあるだろう。
教科書に書いてあることを
ただ覚えたり、教えたり、学んだりすることは
つまらない。
ものごとの本質を獲得していくところに
学ぶ喜びがあるのだ。
南極授業を通して、
日々の理科の授業への取り組みに
よい影響が出ることがあるとすれば
幸いなことである。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために43
「しらせ」が厚い氷で動けない。。。?
地球温暖化なのに。。。?
そのわけとして考えられる予想の1つめ。
予想1 雪がたくさん降ったからかな
以下、この予想について考えてみたい。
温暖化が進むことによって、
むしろ、
降雪量が増える、
という、一見矛盾しているようなことは、
実は、
科学の世界では肯定される。
そのことは、
小学4年生の理科の内容で
ある程度説明できるのだ。
温暖化で気温が上昇すると
水面からの蒸発が多くなる。
水面から蒸発した水蒸気は
やがて雲になる。
雲は移動して
雨や雪を降らせる。
大量に蒸発すればするほど、
雨や雪は大量に降る、
というわけだ。
小学4年生の理科では
ものごとの本質をしっかりと学ぶことができる。
だから、やりかた次第では、
そこに、理科の楽しさや魅力を
いっぱい込めることもできるのだ。
お湯と水を上ざらてんびんにのせて釣り合わせる。
しばらくほおっておくと、
みるみるうちに傾き始める。
お湯から水蒸気が出ていって軽くなるのだ。
お湯を暖めれば暖めるほど、その量は増える。
温暖化が進めば進むほど、雪は大量に降る。
南極授業を通して、
日々の理科の授業への取り組みに
よい影響が出ることがあるとすれば
幸いなことである。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために41
私たち54次隊をのせた「しらせ」は
南極の厚い氷に阻まれて
昭和基地への接岸を断念せざるを得なかった。
昭和基地まで、
あと20数キロまできたところで
「しらせ」は砕氷航行をやめ、
そこからヘリで昭和基地入りした。
もちろん、
1000トン以上の物資や燃料も、
ヘリによるピストン輸送にならざるを得なかった。
このような状況の厳しさは
衛星写真の映像をはじめとする
さまざまな情報から、
ある程度予想されていたとはいえ、
接岸断念の決定には大きな衝撃をうけた。
それ以後の
輸送担当隊員たちの苦労は
言うまでもない。
このニュース、
よく考えてみると、
「おや?」「あれ?」「なぜ?」
と思った人もいるのではないだろうか。
厚い氷に阻まれて。。。?
これだけ地球温暖化だと叫ばれているのに。。。?
またもや、矛盾にでくわしてしまうのである。
「接岸断念のニュース」。
こんどはこれが「授業」になると思った。
“… 続きを読む...
南極授業が授業であるために40
授業には、矛盾が必要であると、以前に書いた。
理由は、
その矛盾を矛盾でなくそうとして
子ども自らが動き出すからである。
学ぶことは、本来、楽しいことなんである。
それが、いつのまにか、
学ぶとは、誰かより速くできるようになること、だとか
学ぶとは、誰かよりもっとよい点数をとれるようになること、などのように
なってしまった。
おっと話はそれてしまった。
授業者としては、素材に矛盾を見いだしたら、
こんどは、
その矛盾の先にあるものは何かを
しっかりと見極めておかなければならない。
それこそが、
子どもが新たに獲得するものだからである。
子どもにとっての学びがいというのは、そこにある。
それはきっと「流れる水の働き」とは違う働きなのか。
そうか、南極には流れる水や川はない。
けれども、氷はある。
もしも、その氷が
南極では川のように動いているとしたら。。。
そこから、子どもの心は
壮大なロマンの旅に出ていく。
その過程で、
いつか、だれかが、
その氷の川のことを「氷河」と名付けたことを知る。
「迷子石」の教材化によって
知識とロマンが
子ども達にもたらされる。”… 続きを読む...