第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの8回目。
(写真は54次隊のときのもの)
フリーマントルでの積み込み物資の中で、
前述のヘリコプターはちょっと特別だが、
食料関係もかなりの量を積み込む。
野菜や果物や牛乳など、
3度の食事にかかわるもの。
ジュースやお菓子やビールなど
3度の食事ほどではないが、ある意味重要?なもの。
それらを、隊員総出で一つ一つ積み込んで行く。
個人消費の食材は、各自の船室に運び込む。
その作戦は、原始的だが、バケツリレーだ。
隊員たちが長い列を作り、
読み上げられた部屋番号の前まで
一つ一つ手渡しで流し込んで行くのだ。
安全第一の観測隊では、
こういう作業時は、
ヘルメット着用、皮手袋着用、が常。
そういえば、55次隊のヘルメットの色は何色なんだろう?
53次隊はオレンジ、
54次隊はグリーンだったけれど。
さあ、いよいよ明日、
55次隊のみなさんは成田を発つ。
ここにバーチャル同行シリーズをしたためながら、
ずっと応援していきたい。
そして、昭和基地に降り立ったなら、
54次隊の越冬隊のみなさんに、よろしく!!”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの7回目。
(写真は54次隊のときのもの)
55次隊の砕氷航行は
かなり困難な道のりとなるだろう、
そう予想されている。
我ら54次隊のときも、
南極周辺の定着氷の映像などの情報から、
昭和基地への接岸は厳しいかもしれない、
そう予想されていた。
実際、54次は厚い氷に阻まれ、2年連続の「接岸断念」となった。
しかし、いつも最悪の状態を想定しておくのが南極観測隊。
接岸不能は、ある意味、想定内だったとも言える。
ただひとつ、これは想定外だったと言えることがある。
それは、接岸不能になるほど氷が厚くてガチガチなのなら、
最後は、氷上輸送で物資を昭和基地まで運ぶことができる、という想定だ。
20〜30km離れた場所からの氷上輸送ならば、過去に実績もある。
ところが、だ。
54次隊では、昭和基地から約30kmの地点で厚い氷に阻まれたのに、
昭和基地に近い海氷では氷が溶けてゆるみはじめているというのだ。
昭和基地で越冬していた53次隊の隊員たちが
昭和基地側から安全なルートを模索してくれていたが、
雪上車を走らせるには危険な状態だった。
(54次隊 昭和基地周辺の状況 水色に見えるのが溶け始めたパドル部分)
つまり、
昭和基地への接岸が不可能な上に、
氷上輸送もできない、という「想定外」の状況になってしまったのだ。
南極観測に必要な燃料や物資を運び込むには、
もはや、ヘリコプターによる空輸という手段しかなかった。
今回の55次隊で、
しらせに搭載されるヘリのサイズがややアップされたのには、
そうした背景があるのだろうと思う。
地球の果ての極域観測だからこそ、
55次隊も、
最悪のケースを想定して行動している。”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの6回目。
(写真は54次隊のときのもの)
フリーマントルから先は、
しばらく文明社会とお別れ。
隊員たちは、
南極に行くまでに「やり残してきたこと」を
少しでも減らしておこうと最後のあがきをする。
街には、
買いそびれた小物を調達する隊員がいたり、
今のうちにおいしいデザートやコーヒーなどを味わっておこうという隊員がいたり、
生野菜やフレッシュなフルーツを意識して食べるようにしている隊員がいたり、
インターネットに接続してできるだけ”普段通り”の生活を楽しもうとする隊員がいたり。
「しらせ」の乗組員たちや輸送担当の隊員たちともなると、
それはかなり切実である。
物資の積み込みが、架橋を迎えているのである。
たとえば、南極観測に力を発揮するヘリコプターの搭載。
54次隊の場合は、
日本から搭載してきた大型ヘリ1機(CH101)の他に
2機の小型ヘリがここで積み込まれたのだが、
これら合計3機のヘリは、
昭和基地での人員輸送や物資輸送にフル回転の活躍だった。
55次隊の場合は、
日本から搭載していく大型ヘリ1機の他に
1機の小型ヘリと1機の中型ヘリがここで積み込まれるようだ。
輸送能力はアップされている。
これにはある事情があるようだ。
“… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの5回目。
(写真は54次隊のときのもの)
隊員たちは、しらせに寝泊まりしながら
ここフリーマントルで数日を過ごすことになる。
しらせが停泊している港の正面には、
小さな鉄道の駅があって、
そこが、大都市パースからの終着駅ともなっている。
その周辺は、いかにも終着駅のある街らしい佇まいで、
小さな広場があったり、
細い路地におしゃれなカフェが開いていたり、
心地よい海風が通り過ぎるハーバーがあったりする。
地図がなくても、小1時間も歩けば、
だいたい様子がわかってくるサイズのようだ。
しばらく、気分のおもむくままに
そぞろ歩きでもしたくなりそうなところなのだが、
しらせが出航してしまうと
パソコンでネットができなくなってしまうことから、
隊員たちの多くは、
まずはインターネットが使える場所を見つけるために
そそくさと街に出ていく。
家族に最後の連絡をとったり、
日本の同僚に仕事の続きを依頼したり。
それらを終えた隊員たちは、
もうしばらく、こんなふうに夕涼みをしてから、
しらせの中の寝床にもぐりこむ。
これから南極へ向かう隊員たちの
一人一人の心をそっと休ませてくれる
こんなフリーマントルの街は、
だから、南極への最終寄港地に
なっているのかもしれない。”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの4回目。
(写真は54次隊のときのもの)
パース空港に降り立つと、
そこは、気温28度の初夏の様相だった。
隊員たちは、すぐに迎えのバス2台に乗り込む。
54次隊の場合は、
越冬隊員で1台、夏隊員(同行者含む)で1台、に別れて乗車。
バスは、「しらせ」が係留されているフリーマントルへ向かう。
このフリーマントルという街は、
実に穏やかで静かな港町。
そこに、突然、「しらせ」の勇姿が目の前に現れるのだが、
その時ばかりは、それはそれは、心が躍った。
第55次の隊員たちも
成田を発ってから、その翌日には、
もう、この「しらせ」の住人となるのだ。”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせて
一年前の南極観測活動と比べて味わう
バーチャル同行シリーズの3回目。
(以下は54次隊のときの写真)
1週間後、55次隊は日本を出発する。
空路、シドニーを経てパースへ向かう。
パースでは、
南極へ向かう砕氷船「しらせ」がまっているのだ。
かつては、
観測隊員も東京から「しらせ」に乗り込み、
赤道を越えて、オーストラリアに立ち寄り、
そこで物資を搬入して、南極大陸へ向かっていたようだが、
途中、
復路のみ空路を利用することになった後、
現在は、
往路も復路も、オーストラリアまでは空路を利用している。
写真は、昨年のこの時、飛行機の窓から見えた景色。
地平線の彼方を眺めながら、
わずか十数時間のフライトで地球を飛び越えて行けるなんて、
地球はちっちゃく、文明の力はすごいなあなんて思っていた。
だが、その一方で、
オーストラリアから南極大陸までは、
世界最高水準の砕氷能力をもつ「しらせ」ですら40日以上もかかるなんて、
地球にはまだまだ未知の世界があって、人の力なんて及びもしない、なんて思ったりもしていた。
あの日、窓の外の遥かかなたに
まだ見ぬ南極大陸への思いを重ねたが、
これから南極に向かう55次隊の精鋭たちの心には、
どんな思いや決意が去来してくるのだろうか。”… 続きを読む...
第55次隊の南極観測活動に合わせて
一年前の南極観測活動と比べて味わう
バーチャル同行シリーズの2回目。
(以下は54次隊のときの写真)
チェックインを済ませた後は、
この一室に入り、お見送りの皆様にご挨拶。
54次の隊長は、観測行動中一貫して
「安全第一」「自然には逆らわず、その中で最高の成果を」
と語り続けられたが、
この時のお話も確か、そうだったと記憶している。
数々の観測隊経験に裏付けられた
誰にもわかりやすく、かつ、説得力のある言葉。
いつしか、54次隊のみんなは、
隊長と会うたびにこのフレーズを連想するようになっていた。
55次隊の隊員には、今頃、
どんな言葉が刻まれているのだろうか。… 続きを読む...
もうすぐ、
第55次日本南極地域観測隊が日本を発つ。
みなさんの
ご安全と大きな成果を心からご祈念申し上げます。
今後は、隊員の方々から、
インターネットを介して
様々な情報がリアルタイムで寄せられると思う。
これからの約4ヶ月間、
ちょうど一年前の南極観測隊の活動と比べながら、
それらを楽しんでいきたいと思う。
(以下は54次隊のときの写真)
第55次隊は、11月22日に空港に集結。
それまでの訓練や打ち合わせでチームワークを高めてきた面々は
ここで久々に再開することになる。
この時ばかりは、みんなおそろいの「正装」姿だ。
54次隊の場合は、黒のジャケットにベージュのキャップ。
どちらにも、隊のマークがプリントされている。
遠目には、なんだかペンギンのようにも見えたものだ。
今年の隊は、どんな「正装」なのだろう。
隊のマークも気になるところだ。
空港は、すでにクリスマスモードになっていて、
家族や、同僚たちと別れを惜しむ姿があちこちで見られる。
“… 続きを読む...
南極授業が授業であるために50
(最終回)
今回の2枚で
シリーズ「南極授業が授業であるために」を
最終回としたい。
かなり個人的なことで恐縮だが、
かなり「個人的」な思いが
授業作りには大切だと思っている。
子どもとともにこんな授業を創り上げていきたい、
そう願い続けているところに、
教材はふと姿を現してくれるものなのだ。
セレンディピティの不思議な力は確かにあると思う。
それは、かなり「個人的」な思いのなせるわざである。
例えば、この2枚、
左が、我が故郷富山の河川、常願寺川に見られる大転石で、
右が、南極の露岩地帯にぽつんと置き去りにされた迷子石だ。
個人的に、ずっと見ていても飽きることがない。
だれかにとっては
ただ目の前を静かに通り過ぎていくものでも、
自分には、そこから授業が見えてくるのだ。
大多数の人の目に止まるかどうかなんて、
あまり関係ない。
授業づくりも、
最初から「大多数」のことなど考えなくてよいのではないか。
目の前の、
誰か一人のための授業があっていい、
たった一度だけの、
二度とできないような授業があっていい、と思うのだ。
近頃は、
「誰でもできる〜〜型授業上達法」のようなものがもてはやされている。
「再現性」のある授業事例こそが世の中のニーズ、と言わんばかりだ。
そんな授業で、子どもたちが本当に学ぶ喜びを味わえるのなら、
それでもよいのかもしれない。
ただ、往年の魅力的な授業には、
マニュアルには決して載らないようなノウハウがある。
マニュアルを越えた、
極上のサービスが
「お•も•て•な•し」と呼ばれるように、
授業にだって、
目の前の子どもたちにあうような
授業者の教育観を全身に込めたような
そんな精一杯の「おもてなし授業」があっていい。
南極授業が授業であるために。”… 続きを読む...
南極授業が授業であるために49
今回の2枚はこれ。
左は、立山の地形。
右は、南極の露岩地帯に見られる地形。
どちらも、氷河が形作ったものだ。
川の流れが周囲の地面を
浸食し、運搬し、堆積させるように、
氷の流れも同じように、
大地の上を動くときに、
そこを浸食しながらつき進んでいく。
そうしてできあがったこれらの地形には、
気の遠くなるような歳月を感じる。
地球46億年の歴史を1年カレンダーにたとえると、
人類が登場したのは、
12月31日のおよそ20時頃になる、
というのは有名な話。
同様に、
恐竜が絶滅したのは、
およそ12月26日頃となる、
いうのもよく聞く話。
これを昭和基地周辺の大地にあてはめてみる。
昭和基地周辺の岩石は約5億年前のものと考えられているので、
5÷46=0.1086956….倍… 続きを読む...