パネルの交換

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの46回目。
(写真は54次隊のときのもの)

ラングホブデ雪鳥沢の2日目の朝を迎えた。
この日の作業は二手に分かれることになった。


私は、小高い山の上にあるGPS測地点の
太陽光パネルの補修作業に加わった。
前次隊の報告では、ここのパネルが2枚破損しているとのことだった。
そこで日本から全く同じパネルを持ち込み、
ここまで担ぎ上げてきたのだ。


近くで見ると、こんな場所までダメージを受けていた。
この写真は、基台となっている骨組みの部分だ。
普通、単管はこんなふうにはならないだろう。
強風と低温のためこんな姿になってしまっている。
南極の自然の猛威を思い知らされた。


反対側に回ってみると、また驚いた。
固定されているジャッキがくにゃっと曲がっていたのだ。
GPSの設備なので、障害物の少ない場所に設置するのはわかるが、
それでも、風や雪をさえぎるものがなく
ダイレクトに影響を受けてしまうのは困りもの。


さっそく私たちは、半日の予定で修理に取りかかった。
取り替えるパネルは2枚。
まずは、パネルを1枚ずつ慎重に基台から取り外していく。
新しいパネルを基台に取り付ける前には、枠にシリコンを流し込んでおく。
ここまでは、ほぼ予定通り順調に作業が進んだ。

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定時交信

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの45回目。
(写真は54次隊のときのもの)

野外観測の長い1日が終わり、
観測小屋で最後の業務を行う。


一日最後の業務とは、定時交信だ。
昭和基地と野外観測ポイントとは、
この無線だけで結ばれているといっても過言ではない。
この時間には必ず全員が無線機の周りに集まって人員確認が行われる。
その日の作業の進捗状況や明日の天気予報なども伝え合う。

「こちら雪鳥沢。○名全員元気です。」
「予定の作業は順調に進み、明日は○○に取りかかる予定。」
「こちら昭和基地。明日の天気は○○、風速は○○の見込み」
「風が収まる○時頃にヘリを飛ばします。」
交信が終わると、しっかり充電しておくことも忘れない。
それが完了したら、発電機をとめる。
すると、一気に静寂がおしよせてくる。
聞こえてくるのは、もはや自然の音しかない。


そんな中、それぞれ就寝の準備にとりかかる。
これは観測小屋の中だが、
着替えも、野帳の記録も、パソコン仕事も
すべてこのベッドの上だけがプライベートスペース。
疲れた体を伸ばすこともままならない。

隊員の半分はこの小屋で、
残りの半分の隊員は外のテントで眠る。
外のテントと言っても
太陽の日があたってさえいれば
温室のようにほのかに暖かく感じることもある。
シュラフにくるまって目を閉じると
あっという間に朝だ。

だれかが水をくんで
まずお湯を沸かし始めると
それが合図となって
みんながテントから集まってくる。”… 続きを読む...

沢登り

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの44回目。
(写真は54次隊のときのもの)

夕食を終えたあと、
沢伝いに、軽く山登りをすることになった。


ここは「雪鳥沢」という地名だけあって、
小屋の周囲に幾筋かの沢がある。
そのうちのひとつがここ。
上流の水源は、厚く積み重なった氷河だろう。
水は限りなく澄み切っていて、
それが目の前の氷の海に注がれる。


沢を登り切ると、そこには意外が光景が待っていた。
ある程度の大きさと深さのある池だ。
その奥には、水が滝のように落ちている場所があり、
まだこの先があるようだったが、
このまま直進することはできなかった。
しかたがないので、迂回して先を目指すことにした。


と、そのとき、
池の底に何やらあやしい影がある、と一人の隊員が指さした。
みんながその周りに集まってきた。
水は限りなく澄んでいるけれど、
風のため水面が波立っていて、
すぐにはそれが何なのかわからない。


持参していたビデオカメラは防水仕様だったので
それを水の中に沈めて映像をとることを試みた。
そこに映った映像がこれ。
アザラシの死骸だ。
まだ子供らしい。
なぜかここに迷い込んで、海に帰れなくなってしまったのだろう。

水温は2℃前後と低温で、しかも、
分解者となる微生物もほとんど存在しないため、
死んでも腐敗することなくこの姿を保っている。
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南極バーベキュー

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの43回目。
(写真は54次隊のときのもの)

調査をしていると、
あっという間に一日が過ぎていく。


とは言っても、夜がくるわけではない。
太陽はゆっくりと水平線に向かっていくが、
沈んでしまうことはない。
この写真はおよそ20時ころだったろうか。
日が沈まないので
ずっと気分がハイな感じがしたものだ


しかし、無理は禁物。
時計をみて夕食の時間になると
みんな作業を一度中断し、食事をとって鋭気を養った。
食事係をかって出てくれたチームリーダーが
みんなを無線で呼び集める。
その合図で、方々に観測に出かけていた隊員たちが集まってくる。


この日の食卓は、観測小屋の外で囲んだ。
天候がよく無風で、陽があたっているところはぽかぽかするほど。
そのせいか、みんなの意見が一致して、
せまい小屋の中ではなく、外で夕食をとることになったのだ。
南極でバーベキューというのは意外だった。

ただ、後にも先にも、こんなことができたのはこの日限り。
夜でも陽が沈まないといっても、
ひとたび日陰に入ったり、風が吹いたりすると
体感温度は一気に下がる。
油断は禁物、要注意なのだ。
あのとびっきりの夕食タイムは、
南極経験豊富なチームリーダーの判断があったからこそ、
と今になって思う。
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雪鳥沢の足下に

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの42回目。
(写真は54次隊のときのもの)

ラングホブデ雪鳥沢での調査は、
すぐに始まった。


まずは、地面を這うようにして生きている蘚苔類の調査。
周囲の地形のようすがわかる地図を片手に歩き始めた。
周りの地形と地図を見比べながら位置を確認して進む。
視界はどこまでもさえぎる物がないのだが、
視線は、足下を凝視。
わずかに生えているコケを見逃さないためだ。


あった、あった。
地面や石に吸い付くようにして、そこをすみかにしていた。
この類いは、薄暗い湿っぽい所を好むものだとばかり思っていたが、
どうも太陽の光は好みらしい。
その分、紫外線をカットするしくみを
もっているに違いない。


しばらくして遠くの方に目をやると、
山の上で作業をしている別の隊員たちがいた。
野外では、観測小屋を中心にして
あちこちそれぞれの観測や作業に向かうのだ。
単独行動はあり得ず、必ず、チームを組んで行動する。
互いに無線を携帯し、いつでも連絡がとれるようにしておくのがきまり。

通常は、
「そろそろ食事にしようか」とか
「○○に使えそうな道具をもってる?」とか
そんな会話が交わされる。”… 続きを読む...

雪鳥沢小屋

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの41回目。
(写真は54次隊のときのもの)


ラングホブデ雪鳥沢に
隊員たちや物資が次々と到着。
2機の観測隊ヘリが、
およそ20分間隔でピストン輸送を繰り返す。
朝7:30頃にこの日の一便が飛んでから、
全ての荷物が運び終わるのが11:00頃。


ラングホブデには、
こんな露岩が広がっていた。
植物の姿はどこにも見当たらない。
生命力を寄せ付けない南極の自然の厳しさ感じる。
もちろん人の営みによる人工の建造物など視界にない。
こんな光景が、何百年、何千年と続いてきたのだ。


唯一あるのが、ここ雪鳥沢小屋。
中はこんな風になっている。
3人くらいでちょうど、5人も入れば窮屈なくらいのスペースだが、
慣れてしまえば快適でもある。
前々次隊が使っていた日用品がそれなりにあって、必要かつ最低限の生活はできた。


物資の搬入を終え、
雪鳥沢小屋に食料などを補充したら、
こんどは、自分たちの食事の時間。
廃材を利用してテーブルを作り、
基地で作ってもってきたお弁当を広げた。
この日はとても天気がよく風も穏やか。

見渡す限り自然しかないこんな中にいると、
地球ができたばかりの時代に
ぽつんとやってきたかのような錯覚を覚える。
そんな中、
お弁当のおかずを箸でつまむというごく日常的なことが、
かえって非日常的なこの状況を強烈に自覚させた。

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野外観測へ出発

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの40回目。
(写真は54次隊のときのもの)

55次隊は、接岸を果たしたしらせから物資を受け取り、
ますます活気づいているに違いない。


一方、54次隊のときの私は
今日1月5日から、2泊3日の野外観測に出発していた。
移動手段は、観測隊ヘリコプター。
基本的に5人乗りだが、人員は1〜2人で、
あとは観測機材やテント、食料などを積み込む。
荷物と荷物の隙間に人が乗る、といった方が正しい。


行き先は、ラングホブデ雪鳥沢。
ここには、日本隊の観測小屋がある。
上空からとらえたそれは
なんともちっぽけで、
南極大陸の雄大さとむき出しの地球の姿が
よけいに印象づけられたのを思い出す。


ここには、こんな看板が立てられている。
「南極特別保護地区」
南極にも立ち入りが制限されている場所があった。
南極はふつう、生物にとっては生きにくい場所だが、
この地域には比較的豊かな環境がそろっている。
雪鳥沢は、奇跡的な場所だ。

岩肌を巣にして雪鳥という鳥が住み、
そのフンが栄養源となってコケなどが生える。
生物を専門とする隊員にとっては
魅力と不思議がいっぱいの場所だ。

次回からは、昭和基地から離れた
ラングホブデの魅力を。

“… 続きを読む...

昭和基地接岸

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの39回目。
(写真は54次隊のときのもの)

第55次日本南極地域観測隊を乗せてきたしらせが、
1月4日に、無事、昭和基地への接岸を果たしたようだ。
53次、54次と連続で接岸断念を余儀なくされていただけに、
52次隊ぶりの接岸となる。

接岸といっても、昭和基地には港があるわけでもなければ、
桟橋があるわけでもない。
基地のある東オングル島の沖合数100mのところまできて
そこで停泊するということ。
それでも、接岸することの意味は大きい。

そこから氷上にルートを工作して輸送ができるのだ。
雪上車の時速はおよそ10km/hだから時間はかかるが、
日本から運んだものを確実に届けることができる。
燃料は、専用のホースをつないで
基地に流し込むことも、今年はおそらくできるだろう。


この写真は、54次隊のときのもの。
接岸できなかったときはこうなる。
しらせの周囲、数十kmにわたって氷が埋め尽くしているのがわかる。
12fコンテナと呼ばれる容器に入れてきた
大きな資材は運び込むことをあきらめたし、
リキッド燃料もドラム缶に入れて数本ずつ空輸で運ばれたてきた。

それだけに、55次隊のしらせ接岸のニュースは、
基地で作業を待つ隊員たちに
大きな希望をもたらしたに違いない。

昭和基地では、これから
ますます忙しくなることだろう。
夕食後も、夜を徹して作業が進められる日もあるかもしれない。
きっと、新たな観測や設営が着々と進むに違いない。
白夜の下の南極に
また目が離せなくなってきた。
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芦倉五人衆

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの38回目。
(写真は54次隊のときのもの)

54次隊の1月3日、
私は、昭和基地内でぜひこの目で確かめたい
と思っていたその場所にいた。


それが、この建物「旧娯楽棟」。
昭和基地内で最も古い建造物。
第一次南極地域観測隊が、
ここに基地建設を決めたとき、
この棟をはじめ、4棟を建設した。
そのうちの1棟が今も現存しているのは奇跡に近い。


第一次観測隊にとっては、
南極の気象環境はどれほど過酷なのか、
上陸可能な場所はどんな場所なのか、情報はほぼなかったろう。
そんな中で、生活の基盤となる棟の建設は
最優先課題の一つだったに違いない。


中には、このようなバーカウンターがあり、
いつ作られたのか、メニューの看板もあった。
長く孤独な昭和基地での生活には、
あるいは、安全な作業を継続していくためには、
このような癒やしの空間も必要だったのだろう。


53次隊越冬隊員の方に見学を依頼するとすぐに快い返事。
おまけに、
53次隊員が実際にこの場所を活用した際の
記録画像まで届けてくれたのだが、
その写真がこれ。
53次隊の日=5月3日=に
この場所を使ってみようということになったという。

私が、昭和基地内でぜひこの目で確かめたい
と思っていたそのわけは、
この第一次観測隊に
我がふるさと富山から5名の隊員が参加していたことにある。
彼らは「芦倉五人衆」と呼ばれていた。
立山を舞台に活躍する山岳ガイドさんたちが中心だった。

昭和基地で研究を始めるということは、
つまり、そこで生活をしていくということでもある。
過酷な環境下の中で生きる術をもつ立山山岳ガイドは、
その中で屈強な精神力と絶妙なチームワークを発揮したという。
それは、故郷の誇りでもある。
富山の教員のとして南極に向かう私には、
この財産を、富山の少年たちに伝える責任があるのではないかと思えた。

どの隊員も、それぞれに思いがあって南極に来ている。
今も越冬を続ける54次隊のみなさんや、
忙しい夏観測、夏作業に汗を流す55次隊のみなさんの
秘められた決意はいかばかりか。
50年以上も続く南極観測には、
熱く、純粋な思いがつながっている。

この中で目を閉じると、当時の光景が浮かんできそうだった。”… 続きを読む...

幸先のよい新年の門出

第55次隊の南極観測活動に合わせた
バーチャル同行シリーズの37回目。
(写真は54次隊のときのもの)

昭和基地では、1月2日は
すでに通常業務になっていることだろう。

54次隊のときは、ちょうどこの日、
デルタアンテナの建設という
大きなプロジェクトが完成した日。
デルタアンテナの設置作業が始まったころの様子については、
前回(2013年12月26日付)にここでも書いた。


あの時はまだ、このアンテナを支えるための
支柱を建てていただけだったのだが、
それが、完成するとこうなる。
高さは40Mにもなり、
昭和基地のどこからでも見える。
このアンテナが運用されると、どんなことが見えてくるのだろうか。
今後の研究の成果も楽しみになってくる。
ここまでくるには、54次隊の隊員だけでなく
多くの隊員たちが関わってきたに違いない。


ここまで立ち上げるには、まず地面で組み立てた資材を
下からどんどん積み上げていくのだが、
最後は鳶の専門隊員が一段一段登っていって
高所での作業を手作業で行うことで完成する。
バックには、南極特有の真っ青な空が広がっていたが、
その実、基地周辺の日常的な「強風」と「恐怖」との戦いだったろう。


この日の完成を隊員総出でお祝いした。
アンテナの前では、工事現場監督が挨拶し、
3年連続で夏隊に参加してきたプロジェクトリーダー熱き思いを語った。
隊員たちは、これまでの苦労や功績を称え、惜しみない拍手を送った。
現場ではさっそく御神酒がふるまわれ、
おもち(大福)やお菓子も撒かれた。

新年の幕開けから幸先のよい出来事で、
54次隊夏作業の中でも印象深い一日となった。

55次隊の新年の門出、心よりお慶び申し上げます。”… 続きを読む...

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