空中にうく

空中にうく。
普通ではあり得ないこのことが
子ども興味を強くひきつけてはなさない。

棒磁石を支柱に取り付け、
糸のついた針をそっと近づける。
棒磁石に付きそうで、付かないところで手を離すと、
針は空中にういた状態で止まる。

「普通ではありえない」
このことを子どもの認識の側から言えば、
物は上から下に落ちる、とか
物は空中で静止しない、などという素朴概念に
揺さぶりがかかった状態であると言える。
まさに、矛盾に満ちた状況にいるのである。

このような時、
子どもは(いや、子どもに限らず、人は)、
どういうふうに動き出したり、働きかけたりするのであろうか。
おそらくは、
その矛盾を矛盾でなくそうとするのではなかろうか。
おや?あれ?なぜ?と
考え始めるのではないだろうか。
脳の思考が活性化する状態になるのである。

もう少し詳しく見ると、
子どもは、何度も、針を空中に浮かせようとする。
空中にういたのは偶然のことなのかもしれない、という無意識な思考が、
何度やっても同じだぞ、とより確かになっていく。

そのうち、子どもは、針の距離を離そうとしていく。
もう少し離してみるとどうなのかな?
(きっと離れると落ちる)というこれまでの経験からの類推や
(離れても落ちないのかも)という期待感などが働いていると思われる。
そして、どうも20mmあたりが限界らしい、ということを導き出す。
ここには、観察と実験という理科的な操作がある。
観察と実験とは、事実を(自然を)ありのままに見つめるということである。

観察・実験と表記されることが多いが、
個人的には、実験は観察に含まれる、という考え方に賛成である。
実験をしても、それをそれぞれの視点からの観察がなければその意味は減退する。
また、実験は、ある問題意識を解決するために行うもので、
その問題の解決の糸口になるものを観察によって見いださなければならないからである。

話はそれたが、
どうも限界は20mmらしい、ということがわかった子どもは、
次に、どうするものだろう。
針は20mmまで離れることができます、と結論を導いて安定するものだろうか。

その答えは、翌日の朝、登校直後に
教室前の実験コーナーに集まっていた子どもたちの姿が、教えてくれた。

「先生、すごいよ、25mmまでいったよ」
なんの話かと思って近づくと、
それは昨日の続きに取り組んでいる姿だった。
しばらくして、また、その横を通り過ぎたとき
「先生、すごいよ、35mmまでいったよ」
見ると、棒磁石には、これまで使ってきた丸形磁石やドーナツ型磁石が
たくさんくっ付けられているではないか。
「こうすると、磁石の力が強くなって、限界も伸びていくよ」

どうも限界は20mmらしい、ということがわかった子どもは、
針は20mmまで離れることができます、と結論を導いて安定するどころか、
今度は、
もっと限界を伸ばすには。。。という命題に立ち向かっていたのである。
これまでの磁石にかかわってきた豊かな経験や
みんなとともに学んできた既習事項を身にまとい、
多様な種類の磁石を駆使し、
距離を測定するものさしを持ち、
指先の微妙な感覚を武器に、
問題解決を楽しんでいた。

空中にうく、という「普通ではありえない」ことを前に、
それまでの素朴概念に揺さぶりがかかった状態の
そんな子どもたちの姿を見ていると、
その中で育まれる問題解決的な能力は、
一般的なテストや
今流行の?学者さん方肝いりの?活用問題を用いたとしても
測ることなんてできないだろうと思われてくる。

百歩譲ってそれができたとしても、
それを育てることとは別ものであり、
指導と評価の一体化を謳っていることと乖離していると言わざるを得ない。

おっと、そんなことを言うつもりではなかった。
子どもの自然認識の過程を知らなければ、
授業はできない、と今日も思ったそのことを
忘れないうちに記録しておくだけのつもりだった。

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冬の研究会

本校の冬の研究会を行った。
3年理科「じしゃく」の学習である。

本時は、単元の中の4次、つまりほぼ最後の方。
棒磁石についた針1が針2を引き付け、
さらに
その針1を棒磁石から離しても針2が付いたまま、
という磁化の事象について学習する時間。

この日は、2つの想定をもって臨んだ。

1つは、指導案通り、
磁化という認識が多い(まだ針のNやSまでは意識していない)
そんな子どもたちに、
針にも磁性(N,S)があるのではないか、という視点が入った
ところで焦点化し、
それなら、針1はN極、S極、N−S極なの?などについて
それぞれの考えを議論したところで
実際に針1の磁性を確かめる実験へ。

2つめは、
磁化という認識が多い(まだ針のNやSまでは意識していない)
そんな子どもたちに、
針にも磁性(N,S)があるのではないか、という視点が入った
ところで焦点化し、
それなら、針1はN極、S極、N−S極なの?などについて
それぞれの考えを議論したところで
さらに、
「Nだけ、Sだけという磁石はあるの?」
というもう一段ほり下げたところで思考を揺さぶり、
それを、ゴム棒磁石で実験、実感、納得して理解したところで
当初の問題「針1の磁性」について確かめる実験へ。

本時では、
N極説が出たところで
子どもたちはすぐに(8分後に)
「確かめればいい」、「確かめる方法もわかる」
と動き出した。

1つ目の想定からはかなり早いが、
この動きにのって
指導案通り、針1の磁性を確かめる実験へと
入っていくのが賢明だった。

N極説しか出ていないが、それを確かめる実験をする中で
「N極がありそうだが
 反発したり、引き合ったりもしているぞ」
「どうも、NだけでなくSもあるようだ」
と気付いていく展開があったろうと思う。
子どもの意識の流れからみても
3年生という発達段階を鑑みても
そうだと思えて仕方がない。

しかし、授業者はそうしなかった。
N極説が出たところで
「確かめればいい」、「確かめる方法もわかる」
と動き出した子どもたちに
授業をしながら
(子どもの思考ってそうなんだ)と妙に納得していた。

そこで、気持ちを切り替え、
今度は、想定2でいったらどうなるか、
ということが気になり始めた。

そして、そこで実験に入らず、
さらに、議論を深めていく方向に舵をとった。

通常、棒磁石を半分に切って磁性を確かめる場面は、
ここでは扱わない。
磁石に付く物を調べている最中に、
棒磁石の端にはたくさんクリップが付くのに、
真ん中には付かないよ。
真ん中にはNやSがないのかもしれないよ。
などという考えを確かめる実験として扱われるのがほとんど。
(ただし、このことはかなり本質的なことでありながら
 教科書には出ていないことなので
 これすら扱わないことも多い。)

今回、想定2を展開してみて思ったことは以下。

磁化した針の磁性を考える局面で、
棒磁石のN極に付いていたのだから針1はN極だろう、
いや、Nだけの磁石なんてありえない!
でも、○○君の折れた棒磁石はどうなの?
半分にして確かめてみたい!
という場面を子どもとともに創造できる。

ただし、
この「半分実験」は子どもにとってかなり興味深い。
様々な発見や驚きがある。
「先生、すごいことが。。。。」
「え〜なんで?あり得ない!」
こんな声が教室に飛び交った。
さらに、
どんどんこまかく刻んでいく子どもたち。
いつかはN極だけになると思ったという子どもたち。
ところが、
どこにもN極だけの磁石はできなかった。
こんな驚きと矛盾に満ちた世界から、
再び、
針1の磁性はどうなのか?と言う問題に戻ってくるのは
たやすいことではなかった。

もちろん、
やっぱり針1にはNとSがまざっている、
針1がN極だけということはありえない、
とつぶやく子どももいる。
それを
学級として大きな波にしていかなければならない
それには、
60分という時間は、
あまりにも短かった。

ビデオを2回振り返って見た。
意見を受け止めて位置づける言葉の甘さ、
とりわけ、
まざっているけれども、磁性(N、S)はあるという
微妙で本質的な子どもの思いをくみ取れる言葉を
鍛えなければならないと改めて自覚した。…
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コンパス

今回は、算数の話題。

真新しいコンパスを手にしたみんな。
配られる前から、
いつか、いつかと心待ちにしている子もいた。

しかし、大切なのは、
コンパスを上手に使うことだけではない。
むしろ、コンパスを使う直前の
子どもの認識のあり方が大切だと思う。

例えば
「円を描いてみよう」と担任がいう。
「できる」「簡単」と子どもたちはいう。
フリーハンドで描いてみた円は、なるほど、上手である。
「できる」と言った手前、
いい加減な円を描くわけにもいかないという意識も働いているようだ。
担任が、机間巡視をしながら、
みんなのフリーハンドの円に
A、AA、AAAなどと評価を入れていくから、なおさらだ。

そのうち
「先生、早くコンパスを使いたい」
「コンパスならすぐに書けるのに」
きれいな一つの円を描くのに、
なんども消しゴムで消して直したり
ものすごく集中して描いたりするので
時間がかかるのである。

次に、黒板に書いてもらう。
指名された子どもたちは、
慎重にきれいな円を描いた。
一方、その横で担任は、一部がへこんだ円を描いた。

「先生のは、ここまで上手だけど。。。」
(こんな言い方をしてくれるみんなはとてもやさしい!)
「ここだけ、へこんでいる」
「へこんだところはどのくらいのところに描けばいいの?」
「このあたりだよ」
「ここの長さと同じくらいのところにすればいいよ」
「へこんでいるのは、この長さが短いからだよ」

こうして「半径」という概念ができあがってくる。

ノートにもう一度円を描く。
今度は、中心からの直線(半径)を
6本、8本描いて目印をつけてから描いてみる。
「先生、10本描いていいですか」
「ぼくは20本描くよ」
ノートには、
自転車のスポークのような図がたくさんできていった。

真新しいコンパスを楽しみにしているみんな。
しかし、大切なのは、
コンパスを使う直前の
子どもの認識のあり方が大切だと思う。…
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跳び箱

キックベースボール大会を終え、
跳び箱運動に取り組んできた。
あと3回で、跳び箱の技の発表会である。

跳び箱は、できる、できないが比較的はっきりする
到達型の運動である。
できなくてもがんばればいい、というのもあるが、
やはり、「できる」喜びは大切にしたい。

ただ、その「できる」はそれぞれに違っていい。
3段の縦開脚跳びができたよ!
4段の縦台上前転ができたよ!
5段の横閉脚跳びができたよ!
などというそれぞれの「できる」は言うまでもない。

昨日まで跳べなかったのに
今日、初めて6段が跳べたよ!
もっとやってみたい!
という「できる」喜び。

台上前転がこわかったけど
練習しているうちに
回って着地するのが気持ちよくなってきた!
という「できる」喜び。

台上腕立て前方展開で、
最初はおしりをついていたけど
今日は、前を向いてしゃがんで着地できた!
という「できる」喜び。

どうしても3段の開脚跳びもできなかったけど
うちでお母さんが跳び箱になってくれて
「お母さん、腰、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ。だから、とんでごらん」
といいながら練習したら、
今日、6段も跳べた!
という「できる」喜び。

こんな「できる」喜びには、
優劣をつけることなんて誰もできない。

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なんと22個!

じしゃくに付く物は「鉄」。
このことを納得して知にしていったみんな。

そのことは、
棒磁石でもU型磁石でも丸形磁石でも同じだった。
最初に手渡した数種類の磁石たちとのかかわりにより
子どもたち自らが自分の認識としていく。

数種類の磁石がある、
数種類の磁石に触れあう、
という場があるということは、
単に「楽しい」ということだけではない。
(単に。。。と書いたが、
 実はこの「楽しく」感じることや、
 脳に「快」という刺激であること自体が、
 子どもの主体性が発揮される点では、
 実はとても大切なこと。)

その過程では、
「磁石に付くものは磁石」
という発想もある。
当然、
「磁石に付かないものも磁石である」
という発想もつながって出てくる。
これらは、磁極を見つけていく視点となることはいうまでもない。
さらには、
ドーナツ型磁石にもN極やS極があるの?
という素朴だが、かなり本質的な問いも生まれていく。

こうして、学習のステージは、磁石の磁極へと移っていく。
そうして、ドーナツ型磁石にも磁極はあるのか?
という、わかりそうでわからない疑念がふくらんだ。

それを解決するための方法は以下だった。
1、棒磁石を近づけてみる。
 (Nに引きつけれた方がS)
2、方位磁針を近づけてみる。
 (弱い磁力にも反応する)
* 方位磁針は南北を向いて止まる、ということを
 ここで習う必要がある。
3、水の上に浮かべたり糸に下げたりして
 自由に動けるようにして確かめる。
4、棒にさして、重ねてみる。
 (吸引、反発はわかるが、
  NSまではわからないという欠点がある)

子どもたちは、それぞれの方法で確かめた。
4つ全部の方法で確かめるぞ、と意気込む子もいた。

やがて、どの方法でもドーナツ型磁石のN極、S極を見つけ出し、
やっぱりどんな磁石にもN極、S極があるのだね、
ということを身につけていった。

話はそれるが、
磁石にN極、S極があります、ということを理解させるだけなら、
15分もあれば、
しっかり教えて、しっかり覚えさせることはたやすいことである。
それを、なぜ、多くの小学校教員はしないのか。
端から見ればかなり不可解な景色かもしれない。

さて、話を戻す。
今日は、先の4つのそれぞれの実験結果を考察し、
そこから目に見えない磁力について推論を進める時間。
NくんがSくんを呼んでいる。
SくんもNくんの方へ向かおうとしている。
Nくんが近づくと、磁力くんが空気中に飛び出していく。
などなど、豊かなイメージとともに
事実を解釈していくみんな。
(このイメージ論にも、多くの異論があるところだが、
 よりどころとなる事実や試行活動に伴って行われるイメージ形成は
 科学的にかなり重要と思う)

その中で、4つめの棒にさす方法に立ち止まった。
「互いに反発して、くっつかないことはわかった。
 でも、数を増やせば、いつかはつくのかな。」
という思いがそこにはあった。
「いつかは付くよ」
「NとNが付くわけないよ」
「いや、わからないよ」
ここにも、わかっていそうで曖昧なことが潜んでいた。
だから、子どもたちは知りたくなる。

さっそく、大型モニターに実験装置を映し出し、
ひとつの事象をくいいるように見つめた。

1個目。。。。まだまだ1cmくらいの隙間がある。
2個目。。。。ほとんど変わらない。
3個目。。。。これも楽々持ち上げている。
       おお〜という声も大きくなる。
4個目。。。。先生、みんなの磁石を集めてきます!
       もっとできそうだという予感。。。
5個目。。。。
6個目。。。。
7個目。。。。
8個目。。。。徐々に間が狭まってくる。
9個目。。。。
10個目。。。。
11個目。。。。レンズを隙間と水平にしてアップする。
       こういう時は実物よりインパクトがある。
12個目。。。。
13個目。。。。
14個目。。。。
15個目。。。。アップしたわずかな隙間から、
       向こうの景色が見えると、
      「まだまだ浮いている、浮いている!」の声。
16個目。。。。
17個目。。。。
18個目。。。。キャー ワー ウヒョ〜
       もう、ほとんど歓声にかわってきている。
19個目。。。。
20個目。。。。
21個目。。。。
22個目。。。。ついに、向こう側が見えなくなった。
       あ〜あ、というため息と同時に、
       「磁力くんって、すごい力なんだね。」
       「自分の22倍の体重を支えているのだね。」
       というつぶやきがあちこちで聞こえる。

       「でも、NとNがくっついたわけじゃないよ。」
       「重さでつぶされただけだね。」
       「ほら、なんとかして離れようとして、横にずれていたよ。」

授業の空気は、時に、独特のものにかわることがある。

わずか1mmにも満たない隙間を、
「まだまだ 浮いているよ」と言わしめたり、
いつもは何とも思わない横ずれを、
「なんとか離れようとしていた」という見えになってきたりする。
こんな空気は15分ではできあがらないし、
共に学ぶ仲間がいなければできあがらないだろう。

端から見れば、
1mmの隙間をみんなで覗き込んで大声をあげている光景は
かなり不可解だったかもしれない。…
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お重実験箱

理科「電気の通り道」の学習が一段落。
同時に、
理科「じしゃく」の学習がスタートしている。

「電気の通り道」では、お弁当実験箱から学習活動が始まったが、
「じしゃく」では、お弁当箱一箱では収まらず、
小さなケース4つ、5つに分けることになった。
一段目のケースには、棒磁石を、
二段目のケースには、U型磁石を、
三段目のケースには、丸形、ドーナツ型、星型磁石を、
四段目のケースには、球型磁石をと、
様々な磁石をしのばせておいた。
そのケースを重ねてみると、さながら、重箱のように見える。
そこで、お重実験箱となった。

子どもの発達段階をふまえると、
磁石と十分に触れ合う中で
その不思議さや特性を実感できるような場が欠かせないことは
言うまでもない。

しかし、そんな中にも、
子どもの心を揺さぶる刺激は大切にしたい。
それも、
幼稚園や保育園ではない小学校の、
しかも、理科としての刺激を。

子どもたちには、
見慣れた棒磁石やU型磁石の他に、
丸形、ドーナツ型、球型などをしのばせたのも
そのような願いからだったのだが、結果はどうか。
例えば、
色、形、大きさ、磁力などが異なる様々な磁石に触れる中で、
磁石とは何か、どんな動きを見せるのか、などが感得できるだろう。
さらに、
磁石なのに引き付けない場所があるのだろうか、
磁石の両端にある極の性質は同じなのだろうか、
あるとすれば球型磁石の場合の極はどこなのだろうか、など
そんな不確かな認識が
子ども一人一人の意識の敷居をまたいでくるような時が学びなのだろう。

今日は、また、鋭い言葉が3の1で生まれた。
「じしゃくは、鉄を見分ける、道具である」

話のいきさつはかなり長くなりそうなので割愛するが、
大まかには、こう。
まず、子どもたちは、先の多様な磁石を手にした。
そこで、吸引、反発の現象をたっぷりと楽しんだ。
翌日、一見似ているけれども異なる素材の物を混ぜて手渡し、
磁石に付く物、付かない物を調べた。

1回目:鉄のクリップとプラスチックのクリップ。
これらは、すぐに素材の違いに気づき、簡単、簡単と取りかかる。

2回目:鉄やステンレスなどの釘やネジ。
これらは、どれも金属だから全部磁石にくっ付く!と言うみんな。
中には、やってみないと分からない、という子も。
実際に取りかかるや否や、「あれ〜、くっ付かん!」の声。

3回目:見た目はほぼ同じ虫ピン。
これらも、針の部分の見た目はどれも同じ。
ところが、磁石を近づけると、付く物と付かない物がある。
一方は鉄で、一方はステンレスだった。

これらの観察・実験(?)から
子どもたちは、磁石に付く付かないは、
素材、作っている会社、ギザギザ模様、色、形による、という意見の中から、
やっぱり素材だ、と結論を引き出す。
ここからは教師が言う。
「金属は金属でも、磁石に付くのは『鉄』という金属です。」

今日は、その復習から授業がスタート。
「磁石に付くのは  です。」と書くと
鉄! という声と、
金属! という声。
子どもの分かり方とは、果たしてそういうもの。
と、そこに、
「電気の時は金属はほとんど点いたけど、磁石は鉄だけだったよ」
と、前単元「電気の通り道」での既習事項を引き出しながら
発言する子がいた。
そこで担任は、
「今日は、いろいろな『金属』を調べよう」と準備していた硬貨を取り出す。
1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉。
前の発言を受け、
磁石だけでなく、豆電球の点き方も同時に調べることになった。
結果を比較すると、
硬貨はどれも全部、電気を通すが、
硬貨はどれも全部、磁石につかない、という表がそれぞれのノートの上に完成した。

磁石にくっ付いてくるのは、金属の中でも、やっぱり鉄だけだったのである。

そこで生まれたのが、先の言葉。
「じしゃくは、鉄を見分ける 道具である」by 3の1…
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