2の2編 夏野菜を育てよう
かつて、「スター誕生」という人気番組があった。
テレビの画面のすぐ向こう側で、今まさに、
未来のスターが誕生するという瞬間に
わくわくした。
今日、「ヒーロー誕生」という事実があった。
授業の中のすぐ手の届くところで、今まさに、
現代のヒーローが誕生するという瞬間に
感動した。
子 「○○野菜のグループは、○○ちゃん一人になっちゃったよ」
T 「あ〜、そうか〜。別のグループに入れてもらおうかなあ」
子 「。。。。。」
A君「先生!ぼく、○○ちゃんといっしょのグループに変わります」
T 「ん?」
A君「先生!、ぼく、行きます!!」
(わあ、パチパチパチパチ!!!)
2の2は、まるで、
テレビの中の世界のようだった。… 続きを読む...
2の2生活科 夏野菜を育てよう
先日の生活科の時間のこと。
外は、小雨がふったりやんだり。
授業を始めようとして
2の2の教室に入って一言。
T「今日はこの天気だから、あきらめようか」
子「え?あきらめないよ」
子「そうだよ、ぼくらは絶対やるんだよ」
子「野菜のためなら、がんばるんだ」
子「私も外に出るよ、だって。。。」
T「だって、何?」
子「私と、○○ちゃんと、○○ちゃんが。。。ね?}
T「ね?って?」
子「あのね、毎日、外に出て草むしりをしているの。」
子「そう、もうだいぶ土が見えてきて畑らしくなってきたよ。」
子「朝も行くし、長休みも行くし。」
子「先生、早く草をむしりに行きましょう」
子「ぼくたちは、野菜のためなら、あきらめないんだから。」
こんなすてきな子ども達を前に、
いつも思い悩むことがある。
それは、
この時期の子どもが「夏野菜を育てる」活動に取り組むということは、
1 夏野菜をよりよく育てる育て方を学ぶことと、
2 生きる力としての自立の基礎を培うことと、
3 生命尊重や自然愛護などという道徳的価値観と向き合うことと、
どれを第一義とすべきなのか、
ということ。
低学年理科があったころは、それは1に近かったろう。
生活科が登場してからは、それは2だと言われてきた感がある。
個人的には、そのどちらでもない3だと思っているのだが、
残念ながら、論文、実践記録、雑誌等をみるところ、
今のところ賛同者はほぼ皆無。
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3の2社会科 お気に入りの場所
初めての社会科では、
地図の入り口として、
絵地図作りに取り組む。
4月から、学校周辺の「3大コース」を子ども達と決め、
次に、学校周辺の「3大コース」を1日1コースずつ実際に歩き、
そして、学校周辺の「3大コース」からそれぞれ情報を収集してきたみんな。
現在は、その絵地図作りに取り組んでいる。
子 :「大学の前には交番がありました。」
T :「そうかい。大学の前だから『大学交番』でいいね。」
子 :「きゃはは〜、違うよ、『大学”前”交番』だよ。
だって、バス停も『大学”前”』っていうでしょ。」
子 :「違うよ、交番の名前は『五幅交番』だよ。」
子 :「違うよ、『五幅』ってずっと向こうの方だよ。」
子 :「わかった、大学の近くは『大学前交番』で、
向こうの五幅の方は『五幅交番』っていうのが別にあるのではないの?」
子 :「そうかなあ、ぼくは、この前、
大学前から五幅の附属小学校の方までパトロールしている警察官を見たよ。」
子 :「そうそう、ぼくも見たよ。交番は1つで、警察官が二人いるんだよ。」
子 :「え〜!?二人も?違うよ、一人だよ」
子 :「え〜!?一人のはずはないよ。警察官は、朝も夜も私たちを守ってくれているんだよ。」
子 :「え〜!?夜も?」
T :「警察官は、夜は寝ないのかなあ。」
子 :「きゃはは〜、警察官が夜に寝てしまったらだめだ〜」
子 :「だから、警察官は二人いて、
一人が夜に働いて、もう一人が昼に働いているのではないかな。」
子 :「先生、もう1回、大学前のコースを歩いてこようよ。」
子 :「警察官にインタビューしてみようよ。」
子 :「ついでに、『なに交番』というのかも聞いてこよう。」
こんなやりとりの中で子ども達は、
こんな地図を描いていたのではなかろうか。
1 大学と五幅の位置関係を描いた地図
2 大学前交番(?)と五幅交番(?)の守備範囲を描いた地図
3 パトロール中の警察官と出会った地点がプロットされた地図
4 警察官が朝も昼も夜も守ってくれているという平和な地図
5 インタビューしたくなる警察官がそばにいてくれるという地図
こんなすてきな地図を
心の中に描ききった子ども達だった。
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4の1理科「閉じ込めた空気の学習」
ピストンに水を入れて圧すと、
1mmも押すことができない。
ところが、ある班のある子の結果は
少しだけピストンが動いていたのである。
子 「失敗したのでないの?」
子 「いや、ちょっと空気が混じっていたんだよ!」
T 「空気が混じっているって、こういうこと?」
(ピストンの半分に空気、半分に水を入れて見せる)
子 「そうそう、そんな感じ。」
子 「先生、試してみたい!」
そこで、この日は「空気と水まじり実験」となった。
よく見ると、
空気のある部分は縮んだり伸びたりしているけれど、
水のある部分は1mmも変わっていない。
この結果からの子どもたちの考察が以下。
「やっぱり水は『鉄水』でした。」
今回の「空気と水まじり実験」をすることで、
既習の「水は1mmも縮まない」ということが、
再び、大きな意味をもって自分に返ってきているのである。
つまり、
基礎・基本がより身についたのである。
かつて、
基礎・基本を大切にしましょう、と言われた時期があった。
そのためには、
しっかりと”教え込む”ということもやむを得ない、
と解釈されることもあった。
確かに、そういうこともあろうかと思うが、
今の私にはそう言えないところがある。
そういうこともあろう、と言える資格のあるのは、
”教え込む”という以外の方法で
基礎・基本が身につくような方法はないのかと
さんざん実践を試みた人だけだ。
いつかのドラマでも言っていた。
「本当にあきらめていいのは、
チャレンジした人だけよ」と。
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4の2編「閉じ込めた空気」の学習。
今日は、「閉じ込めた水」の性質と比較する場面だった。
ピストンに水を入れ、
ゴム栓をして、
圧してみる。
空気は、まるでゴムのように
縮んだり,元に戻ったりしたが、
水は、まったく動かない。
そのデータを表にまとめていった。
Aさん Bさん Cさん Dさん
はじめ 28 35 30 30
おすと 28 35 30 28 え〜?!
はなすと 28 35 30 30 え〜?!
ある班のある子の結果に、
みんなは立ち止まった。
みんなの結果では、ピストンはまったく動かないのに、
ある班のある子の結果だけは、
2目盛りだけピストンが動いているのである。
子 「失敗したのでないの?」
子 「それとも水は少し縮むのかなあ?」
子 「いや、ちょっと空気が混じっていたんだよ!」
T 「空気が混じっているって、こういうこと?」
(ピストンの半分に空気、半分に水を入れて見せる)
子 「そうそう、そんな感じ。」
子 「先生、試してみたい!」
今日は、そこで時間切れとなった。
一見、失敗ともとれる実験結果から、
またみんなが次に歩み出すべき見通しが明確になった。
ある班のある子の結果のおかげである。… 続きを読む...
5の2の理科「発芽の条件」の学習。
この日はいよいよ、
条件を変えながら発芽実験を行ってきた結果を
みんなで確認する日だった。
日光あり ○
日光なし ○
肥料あり ○
肥料なし ○
水あり ○
水なし ×
空気あり ○
空気なし ×
温度あり ○
温度なし ×
実物を拡大投影しながら、
黒板に結果を列挙していく。
やっぱり〜
え?なんで?
ということは!
それぞれの結果に
歓声や驚きや疑問の声が挙がる。
(そのつぶやきはどれも宝石の原石のようなもので、
その後、新たな問題解決につながっていくものばかり。
その話題は後日。)
列挙された結果を見て、みんなは、
発芽しなかった×は3つあることを確認した。
その時、ある子がこうつぶやいた。
「逆に言うと、×は必要ということかあ。。。」
一瞬、クラスの空気が止まった。
ん?
あ〜、そういうことかあ。
じゃ、×が発芽には大事なんだ。
そう言われて、改めて×のついているところを見ると、
水なし ×
空気なし ×
温度なし ×
つまり、発芽の3条件「水、空気、温度」が浮かび上がってきたのである。
この日は、
「×は必要ということ」
というあの子の言葉が何度もリフレインした。… 続きを読む...
ゴミ袋に空気を閉じ込めることに成功したみんな。
袋を胸に抱え込んだり、
枕にしてみたりして、
そのふわふわ感を味わっていた。
みんなは、空気を閉じ込めることに成功したと思った。
ところが、
ゴミ袋の先を指で押すと、
いとも簡単にへこんでしまう。
空気がもれていないのに、である。
そして、
再び指を離すと、
袋はもとの形に戻ってしまう。
新たに空気は入れていないのに、である。
この現象に子どもたちは次々に考えを述べてきた。
きっと、空気が別の場所に移動したのだ(移動した説)
きっと、空気が小さくなって縮んだのだ(縮んだ説)
きっと、空気が抜けたのだ(抜けた説)
説が出そろいきるかきらないうちに、
「それなら、固い容器に入れて確かめてみればいい」
「空気がどこまで押せるか限界も確かめたい」
という解決策が提案された。
そこで登場したのが、
長さ1mの大きな筒だった。
ここに空気を閉じ込めて、押してみて、
もしも押せたら(縮んだ説)ということになる。
さっそく、演示実験となった。
中央の巨大な筒に、みんなの視線が集まった。
いよいよ押し棒が圧し込められた。
「やっぱり空気が縮んだのだ」
と、次の瞬間、授業者の手が一瞬ゆるんだ。
同時に、押し込んでいた押し棒が、
バネのように押し返されてもとの位置の方に戻った。
それを子どもたちは見逃さなかった。
「あっ!」
「あれ?」
「今、棒が動いたよね」
「そうか、わかった!」
「そういうことか!はい!はい!」
そこからは、
押し込んだ棒が、なぜ、元の位置へと戻ろうとしたのか、
そのわけを、
空気のイメージ図を交えながら、熱心に語り合う姿で
教室はいっぱいになった。
「ぎゅーっと押されたのが、はあ〜となった感じ。」
「逃げ場所がなくなった空気が、がまんできなくなって、押し返した。」
「初めはなんにもないただの空気が、押されると、力を出してくる。」
空気の限界実験は、
限界がわかった時点で子どもの中では完結し、
次の瞬間からはもう、
「なぜ、棒が押し返されたのか」
という新たな問題が子どもの中で成立していたのだった。
近頃は、
学習のまとめの部分をしっかり行いましょう、とか、
その1時間でわかったことなどをまとめる時間をとりましょう、とか
とかく45分のまとまりをきれいに整えることに重きをおいた論がやや活発なようだが、
もちろん、それは大事なことではあるけれど、
なにもそれはとりたたて言うこともなく当然のことであって、
むしろ、授業者が留意しておくべきことは、
子どもが自ら次に歩み出そうとしているその勢いや、
子どもが新たに獲得したであろう視点というものを、
機を逸せずにとらえてその場で返す、
ということの方ではないかと思ったりもするのである。… 続きを読む...
続、2の2の生活科。
単元は街探検。
前回は2の2で渦巻いた「ケーキ屋事件」の話題。
実は、その街探検の直後、
再び事件が起きていた。
それは「自動販売機事件」。
教室に戻って一段落してから、
こんどは、学校の向かいにある文房具やさんの周辺が
クイズに登場した。
「文房具やさんの横に自動販売機があるの」
「その横に公衆電話もあるよ」
「そして、その横がポスト」
「それから、その横がバス停」
子どもたちの発言にしたがって
絵地図に板書していく授業者。
すると、
「先生、違います。自動販売機はこっち側です」とある子。
「え、違うよ。それで合っているよ」と別の子。
「こっちだよ。」
「あっちだよ。」
とたんに自動販売機事件が巻き起こった。
そして、
「先生、行って確かめてこようよ」
という声が再び教室に響いた。
それからみんなは隊列を作って出かけていった。
目的はひとつ。
「自動販売機は右にあるか、左にあるか」をこの目で確かめること。
出かけて1分後、
目の前に自動販売機が立っているのをみんなで確認した。
それも、2つ。
なんと、自動販売機は、右にも、左にもあったのだ。
なんと、どちらの立場の子も正解だったのだ。
意外な?結末にみんな納得して教室に戻った。
実際に行って見てみると予期せぬ結果がまっていることもあるんだな、
という副産物も得ることができた。

生活科に限らず、他の教科等でも、とりわけ社会科などでは、
現地に赴いて事実をつかんでくることが鉄則である。
実際、近頃の社会科の教科書は
はじめから座学だけではできないような編集になっている。
だから、
学校から離れた場所であるとか、
工場見学のような相手がある場合は別として、
学校の周辺で確かめられるようなことであるならば、
安全に留意しながら
できる限り、自分の手や足を使って調べなければならないのである。
隣のクラスと足並みをそろえて、とか、
自分のクラスだけ勇み足にならぬように、とか、
それを妨げる理由はいくらでもあるようだが、
幸い、こちらにはそんな風土はない。
学びのフットワークは軽い。
「行って、確かめたい」「先生、行って見てこよう」
そういう内面の高まりが、子どもの学びを確かなものにするということを
実践を重ねた諸先輩教師は知っていたからであろう。… 続きを読む...