2の1のみんなのノートは、
どれもSuper Notebookだ。
例えば、算数は10mm方眼(5mmリーダー罫入り)だが、
そこに、文字や数字を
一ますに1文字ずつていねいに書いている。
図や式や答えや筆算を3点セット、4点セットで
しっかりと書き込んでいる。
図はスペースをたっぷりととり、
式や答えは、行をかえて整え、
筆算は、ものさしを使ってきれいに線を引いている。
自分の考えだけでなく、
友達の考えもそこに付け加えている。
中には、発言した友達の名前も記入しているのもある。
筆箱には、赤ペンと青ペンを常備し、
巧みに色を使い分けて工夫している。
意見がつながれば、
その意見同士を矢印などで結んでいる。
ポイントとなる事項は、
枠で囲むなどして強調し、
ポイントマークをそこに添える。
時には、オリジナルキャラクター(はかせ風や案内役風の)が登場し、
まるでこちらに話しかけているかのようなものもある。
黒板に記録されていないけれど、
授業の話の中にでてきたことを
メモ風に書き留めている場合もある。
もちろん、
左側に線を引く、
日付を書く、
学習のタイトルをつける、
などというルーチンも定着してきた。
今頃の小学1年生は、
ひらがなを習い始めている頃で、
一年間でこれほど成長するものかと
子どもたちの吸収力というか向上心というか、
そういうものには驚かされる。
小学2年生に進級して2ヶ月。
10mm方眼のノートが
最後のページに近づいてきた。
すでに2冊目に突入している子もいる。
この週末は、
新しい2冊目のノートの準備をしていただくよう
お願いしなければならなくなった。… 続きを読む...
何気ない日常が
決して当たり前のことではなかったのだと
思い知らされる昨今。
今日の2の1農園での
みんなの姿もそのように映って見えた。
芽が出て喜びを感じたり、
葉の数が増えてうれしさを感じたり、
花が咲いてよかったと感じたり、
茎が折れていなくて安心したり。。。
そんな何気ない日常に、
心を研ぎすますことができたり、
感謝の念を抱くことができたりしたのは、
昨日までの強風があったから。
以下、今日の生活科ノートの記録の概略。
「台風に負けなかったスーパースイカ」
台風が来たのに、耐えたからすごいよ。
やっぱりぼくたちのスイカ、すごい。
台風に負けないでで育ったなんてすごい。
「台風に負けるなトマちゃん」
7日前よりも、28枚も葉っぱが増えたので
うれしかったです。
台風があったのに、花も増えたのでよかったです。
「台風に負けるなニンジンさん」
ほんの小さな芽が出てきました。
少し前までは何も出てなかったのに、
今日、やっと出てきてうれしかったです。
台風で種も飛ばされたかと思ったので、
安心しました。
これからもうまく育てていきたいです。
… 続きを読む...
今日か、遅くても明日中には、
県下の小学2年生の
おそらくほとんどのクラスでは、
夏野菜の苗たちに関する話題がのぼるに違いない。
昨日からずっと、
台風に伴う強い風と雨に見舞われた。
ちょうど2の1では、
つい先日、夏野菜の苗や種を
畑に移植したばかりだった。
その守るべきいとしい存在が、
大自然の猛威の中にさらされていたのだが、
どうしようもなかった。
休日が明けたわが2の1でも、
まだやまない雨を眺めながら、
野菜たちを心配する声が聞こえていた。
被害にあっただろう苗たちや自分たちの畑の復旧に向けて、
持てる知恵や力を尽くそうとする姿勢が感じられた。
県下の小学2年生の
おそらくほとんどのクラスの子どもたちも同様だろうと思う。
生活科の学習では、
そんな姿はよく見られることで、
取り立てて書くことではないのかもしれない。
ただ、なぜか今は、
目の前の子どもたちがこのような体験を経て大人に成長していくことが
意義深いことのように思えてならならなかった。
困難の復旧・復興のために、
被害の克服のために、
個々が全身全霊を尽くし、
互いに力を合わせていく、
そんな誇るべき国民性を
教育の一現場で育み続けるためにも。
… 続きを読む...
算数の時間の後半になって、
担任は、これを比べてみようと問いかけた。
17+24=?
24+17=?
しばらくして、子どもたちからこんな声が挙がってきた。
「どちらも答えは同じだよ。」
「答えは同じだけど、問題の文に出てくる順番で書く方がいいよ。」
「計算だけなら、どちらでもいいけどね。」
担任:「ほんとに?」
子 :「ほんとうです。他の数字で計算しても同じだよ。」
担任:「ほんとに?」
子 :「はい、それは足し算の常識です。」
担任:「ほんとに?」
子 :「はい、ずっとむかしからそうです。」
担任:「ほんとに?」
子::「はい、だから答えの確かめのときにも使えます。」
担任:「う〜ん、なるほど。」
こうして、他のいろいろな数でも実際に確かめながら、
「足し算は、足す数と足される数の順番をかえても、答えは同じ」
ということを学習したこの日の算数の時間。… 続きを読む...
かねてから
みんなで夏野菜を育てる計画を立ててきた。
運動会を終え、
ようやく苗を植え付ける日がやってきた。
みんなが育てるフィールドは決して広くはない。
一人一苗などできないのが現状。
それでも、
「先生、がんばろう!」
「みんなで『えい、えい、おー』しよう!」
と純粋な目を輝かせていた。
さっそく、順番に苗を植え付けた。
トマト、カボチャ、オクラ。。。
かわいらしい苗が並んだそこは、2の1農園と名付けられた。
これから、
雨の日や風の日もあることだろう。
暑さにくじけそうなこともあるだろう。
雑草たちや虫たちとの終わりなき戦いも待っているだろう。
時には何かの理由で成長していた茎が折れたり、
時には収穫間近の実がむしれたりすることもあるだろう。
そんな過程を
2の1のみんなで体験し、乗り切っていきたい。
その先には、きっと、
すくすくと伸びて育った
少年少女たちの姿があるに違いないと思うから。
2の1農園はそんな農園でありたい。… 続きを読む...
食器の片付けは、いわゆるセルフ方式。
2の1では、そんなセルフ方式の弱点をカバーする役を
かってでる子が、ふっと現れるからすごい。
例えば、セルフ方式では、
一人一人が所定の場所に戻していくうちに
箸は、しだいに方向がばらばらになっていったりする。
そこに、ある子がふっと登場する。
自分が重ねる番になったら、
それまでばらばらになっていた箸の向きを
しっかりそろえてから自分の箸を重ねるのだ。
なんともすばらしい行いだ。
また、例えば、セルフ方式では、
一人一人が所定の場所に戻していくうちに
おぼんは、しだいに斜めに積み重なっていったりする。
そこに、ある子がふっと登場する。
自分が重ねる番になったら、
それまで斜めになっていたおぼんの角を
しっかり整えてから自分のおぼんを置くのだ。
なんとも気配りのある行いだ。
また、例えば、セルフ方式では、
一人一人が所定の場所に戻していくその以前に
配膳車やゴミ袋やストロー入れなどを廊下に出しておく必要がある。
そこに、ある子がふっと登場する。
自分が食事をとる前に、
それまで出ていなかった配膳車やゴミ袋やストロー入れを
しっかり廊下に出して備えておいてから食事をとるのだ。
なんとも献身的な行いだ。
給食の片付けの時に
2の1では、そんなセルフ方式の弱点をカバーする役を
かってでる子が、ふっと現れるからすごい。
この子たちは、
自分たちの活躍によって、
いつか、
自分たちの活躍の場がなくなる日が来ることを
望んでいるはずだ。… 続きを読む...
ある子が筆箱を忘れてきた。
(こういうことは誰にでもある。)
「先生、筆箱を忘れたので、鉛筆を貸してください。」
その声が聞こえたのか、
まず、斜め向かいの子が
「それなら、わたしの鉛筆使って。ちょっと短いけど。」
と差し出した。
ほぼ同時に、ずっと離れたところに座っていた子が
「ぼくの貸してあげる。使って。」
と身を乗り出してきた。
その声に触発されるように
「じゃ、この消しゴムもいいよ。ぼく2つ持ってるから。」
「この鉛筆も。。。」
「じゃ、これも。。。」
次々と親切の輪が広がっていった。
その子の机の上は、
あっという間に文房具でいっぱいになった。
こんなわずか数秒の出来事が、
担任の心の中でぐるぐると響き渡った一日。… 続きを読む...
一日に濃度があるとすれば、
例えば今日は何%という値を示すのだろうか。
1限目は、体操服に着替えて運動会の練習をし、
2限目は、算数の新しい単元「筆算」に入り、
3限目は、6年生の理科で「唾液の消化実験」をし、
4限目は、4年生の理科で「自作空気でっぽう」に取り組み。。。
という具合。
もちろん、その間には、
低学年遊び場でのトラブルの話に立ち会ったり、
小さなすりきずの具合を看たり、
落とし物を一緒に捜したり、
心ない言葉や行動に対して個別に指導したり、
クラス全体として考えるべきことを静かに振り返ったり、
身の回りの整理整頓を呼びかけたり。。。
数えるときりがない。
学校というところは、いわゆる”オベンキョウ”をするところ
と思いがちだが、
その周辺に巻き起こっているすべてのことが、
学校本来の姿といえる。
学校とは、そういうところである。
そういう子ども社会の中で、
互いに思いやったり、
他者の痛みを感じ取ったり、
真剣に取り組んだあとの喜びを味わったり、
学ぶことの楽しさを身につけたり、
人の役に立って働くことの尊さを知ったりしていく。
そういえば、
4限目の他学級での実験を終えて、
やや遅れて教室に戻ると、
2の1では、
みんなが力を合わせて給食の準備を進めていてくれた。
その姿に、確かにみんなの成長を感じた。
そんな給食時に、
みんなでタケノコを食した。
後片付けのこともあるので、
あまり時間はなかったが、
心躍るひとときとなった。
このタケノコは、
クラスの友達が父親と掘ったといっておすそわけしてくれたものだった。
旬のものは旬のうちにいただくのが一番、ということで、
いただいた日の夜、日付がかわるころ、
さっそくあくを抜いて一晩おくことにして就寝。
今日の朝、いつもより少し早起きして
簡単に調理してみんなの口に届けた。
そのときのみんなの歓声は、
今でも耳に焼き付いている。
「すごくおいしい〜」
「これは世界一の味だ〜」
「ん〜。。。。(言葉にならない)」
旬のものを旬のうちにいただく、ということは、
そのものがもつもっとも大きな
エネルギーというか、
生命力というか、
そういうものをそのまま吸収させてもらっているということなのだろう。
一日に濃度があるとすれば、
例えば今日は何%という値を示すのだろうか。… 続きを読む...