ともだちのうた

今日、2の1と国語科担当K教員のもとに、
一通のすてきなお手紙が届いた。

そのお手紙は、
あまりに突然で、
あまりにうれしくて、
あまりにありがたくて、
思わず身が震えた。

国語科担当K教員は、
「このお手紙はみんなに届いたのだから」と言いながら、
クラス全員に一枚一枚カラーコピーを配った。

直筆の文面から、
みんなが送った手紙を丁寧に読んでくださったことや、
温かくちょっぴりユーモラスなお人柄が伝わってきて、
まるで、ご本人が、
この教室の中のどこかにいて
すぐそばから語りかけてくださっているような錯覚を覚えた。

とりわけ、
うたの歌詞を綴ってくださった数行は、
心にじ〜んときた。
この学習の間ずっと、子どもたちは、
彼女のことを、まるで本当のともだちのように慕って読み進めていたのだが、
今度は、その彼女自身から、
「ともだち」と、よびかけてもらっているのである。
それだけで、本当にうれしい気持ちになってしまう。

お手紙を読み終えたあとの子どもたちは、
盛大にもりあがる、というよりは、むしろ、
しばらくの間、感動の余韻を味わっている、といった感じだった。

その様子を目の当たりにした担任は、
学ぶことが、本来、喜びであるとしたならば、
今日のこの日、この瞬間はまさにそうだ、と確信した。
これから成長を遂げていく子どもたちにとって、
きっと、
生涯忘れることのできない出来事になったに違いない。

子ども達にとって、
あまりに突然で、
あまりにうれしくて、
あまりにありがたくて、
思わず身が震えてしまうような出会いをいただき、
ありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。…
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クリスマス集会

2の1の学級目標に一歩でも近づけるようにと、
数週間前から計画してきたクリスマス集会。
今日が、いよいよ当日となった。

集会の全体像は普通の集会とはちょっと違っていた。
2の1をひとつの商店街に見立てて計画されていったのである。
出店は以下の8店だった。
クイズ屋さん、歌屋さん、野菜料理屋さん、小物屋さん、
ゲーム屋さん、折り紙屋さん、くじ引き屋さん、洋服屋さん
この8店を切り盛りするのがみんなであり、
この8店をスタンプラリーのように回るお客さんもみんなである。
自分たちのお店に出す「商品」を作り、
その「商品」の値段を決め、
同時に、友達のお店でお買い物を楽しむのがルール。

今日の集会までには、
生活科の時間はもとより、
休み時間も、家に帰ってからも、
準備に取り組む子たちの姿があった。

クイズ屋さんは、まずくじを引いて答えるクイズが決まる、
という、わくわくどきどき感がおもしろい。
そこで正解すると、手作りの景品がもらえるのも楽しみの一つ。

歌屋さんは、数曲のレパートリーの中から曲を選んでそれを歌う、
という、カラオケ屋さん顔負けのシステム。
音楽会で歌った歌を、専用のマイクで笑顔たっぷりに歌っていたのが印象的。

野菜料理屋さんは、今日の朝、2の1農園で摘んだばかりの小松菜を使う、
という、まさに種から栽培、収穫まで手作りのメニュー。
買ってもらったその場でしょう油をたらしてパクリといただくのが絶品。

小物屋さんは、折り紙やビーズ、モールなど数々のアクセサリーが並ぶ、
という、ギャラリー風の店頭。
見ているだけでずっとそこに居座りたくなるような気分。

ゲーム屋さんは、水の入ったペットボトルを使ったボーリングゲーム、
という、だれもが気軽に挑戦できるセッティング。
ペットボトルの容器は、外にも中にも装飾がほどこされていて楽しい。

折り紙屋さんは、毎日少しずつ折りためた作品が山盛りになっている、
という、カラフルでにぎやかなお店。
大きな作品にも、小さな作品にも努力のあとが伝わってくる。

くじ引き屋さんは、大当たりには特別の、たとえハズレでもそれなりの景品が当たる、
という、出血大サービスがモットー。
おまけにこれもどうぞ、なんてことはよくある。

洋服屋さんは、マントにワンピースにマフラーにドレスがハンガー掛けずらりと並ぶ、
という、高級ブティックのような店構え。
一人1着は行き渡るようにと店員フル回転で制作に没頭。

いざ、開店の時間となると、
みんなのボルテージは一気に最高潮に上り詰めた。
「いらっしゃ〜い」「安いよ〜」「楽しいよ〜」「おいしいよ〜」
「え〜と、どれにしようかな」「わ〜い、こんなに景品もらっちゃった」
「まいどあり〜」「こんどそっちのお店にも行くね」「また遊びに来てね」
「あと、いくらある?」「もう、$20しかなくなっちゃった」「次、何買いに行く?」
「他の先生もお呼びして来ていいですか?」「暑くて、暑くて、汗が出てきたよ〜」
「あ〜あ、1年生も呼びたかったなあ」「お土産を買っていけば?」
「あ〜、楽しかった〜」「うん、楽しかったね〜」

こうして、楽しみにしていたクリスマス集会が、
あっ。。。。。。。。。。。。。。。。という間に終わってしまった。

帰りの会、持ちきれないほどの商品をランドセルにつめたみんなは、
その興奮の余韻の中、教室から家へと帰っていった。

さて、2の1の学級目標に一歩でも近づけるようにと
みんなで計画してきたクリスマス集会だったが、
そんなクリスマス集会になっただろうか。

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ありがとう

一口に「喜び」といってもそれは様々だということを
今日の道徳の時間に学んだ。

今日の題材「おいしかったよ」のあらすじはこう。

ある日、とおるの家でピンポーンとチャイムが鳴る。
インターホンごしに「どちらさまですか?」と尋ねるとおる。
お母さんがドアをあけると、
となりのおばあちゃんがホットケーキを作って届けてくれた。
そこで、おばあちゃんがお母さんにこう言う。
「それにしても『どちらさまですか』なんていえて大きくなったわね。」
とおるは、てれて、顔を赤くする。

次の日、とおるはおばあちゃんに合って軽くあいさつを交わす。
「おばあちゃん、こんにちは。」
ところが、うっかりホットケーキのお礼を言うのを忘れてしまっていた。

その次の日、とおるはまたおばあちゃんに会う。
そして、こんな会話を交わす。
「おはようございます。
 ホットケーキ、とてもおいしかったです。
 ありがとうございました。」
「そう、それはうれしいことを言ってくれるね。」
そう言われて、とおるはうれしくなった。

とおるの「喜び」は何だったのか。
子どもたちは、次々と考えを広め、
そして深めていった。

まず、出て来たのは、「大好きなホットケーキをもらった喜び」だった。
すかさず、「『どちらさまですか』と言えて褒められた喜び」もあるという発言。
しかも、「家族ではなく、近所の人から言われたらよけい喜びが大きい。」と続く。
また、「自分では当たり前のことだったのに、それを褒めてもらえたのだからもっと喜んだ」とも。
こうして、「自分の喜び」とはどんなものか、考えを深めた子どもたちだった。

すると、「喜んだのは『とおる』だけではない」という視点変換の発言が飛び出す。
「とおるが喜んでくれて、おばあちゃんも『喜び』を感じたはず」だというのである。
「とおるがわざわざ『おいしかったです』『ありがとうございました』と言ってくれた」からである。
さらに、それだけではなく、
「とおるの成長ぶりに、おばあちゃんは『喜び』を感じたのだ」という発言へと続く。
こうして、「自分の喜び」から「もう一人の喜び」へと、考えを広げていく子どもたちだった。

こうなると、2の1の子どもたちの発言はもう止まらない。
「付け足しです。」
「お母さんも『喜び』を感じたのだと思います。忙しいときにとおるがインターホンに出てくれたからです。」
「わかった、ひらめいた。」
「ということは、とおるも、おばあちゃんも、お母さんも、みんな『喜び』なんだ。」
誰かが、そうまとめた。
黒板には「成長の喜び」という名の輪がいくつも描かれていた。

実は、今日は朝から、2の1の教室には、
「ありがとう」「おいしかったよ」
などという声がこだまし合った一日だった。
子ども達の心温まる言葉に潤された。

誕生日というのはずっとお祝いされる日だと思っていたが、
いつの頃からか、
誕生日というのは周囲の人に感謝する日だと思い始めた。
今日も、その思いをあらたにする。
「みんな、ありがとう。」

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