中学年フロアーでは、
毎朝、元気な「おはようございます」がこだましている。
そのきっかけとなったのが
中学年あいさつ運動。
この輪が、
学校、地域へ、家庭へと広がることを願うばかりである。
もしかしたら、
各家庭で積み重ねてきたあいさつの習慣が、
今、
学校で開花している、
という方があたっているのかもしれない。
そう考えると、やっぱり
家庭のしつけと、
学校の教育活動は、
常に両輪で動くものなのだと思う。
これは何も、
あいさつだけに限ったことではない。
漢字の定着も
計算の正確さも
社会のしくみをとらえる目も
親切、友情、思いやり、責任感、個性伸張といった道徳性も
どれも、
学校だけではなく
家庭だけでもなく
常に両輪で育てていくものだ。
子どもは社会の宝である。… 続きを読む...
先日作成した「大きな数のものさし」
それを意外な形で活用する姿に驚く。
今日の算数の時間は、次のような
大きな数の筆算の工夫だった。
450000
× 1300
ーーーーーー
45
×13
ーーー
135
45
ーーー
585000000
この数字を5億8500万と確かめていると、
ある子が、ふと
前日に作ったものさしを取り出し、
そして、数字の下に当てて、位を確かめながら、
「あ、本当だ、ものさしとぴったり合う」
とつぶやいた。
そのつぶやきは、
すぐにみんなに広がった。
「本当だ、5億だ」
「本当だ、ぴったりケタがそろってる」
「本当だ」
「本当だ」
ものさしの意外な使い道に
担任も思わず
「本当だ」
とつぶやく。
本時のポイントである
0をはぶいて計算し、
あとでそれをつけたすことができるわけについて
話し合いが始まったのは
そのあとのことだった。
… 続きを読む...
体力測定後の、
どこかけだるい感じの算数。
こういうときは
思考を深めような時間より、
静かにもの作りにでも没頭できればいいかな、
と思って取り組んだ「大きな数のものさし」づくり。
16マスの厚紙に、
千、十、百、一、千、十、百、一、千、十、百、一、千、十、百、一
兆 億 万
と書いて色分けする、というただそれだけの工作。
このもの作りを通して、
千、十、百、一が繰り返されていること、
4つごとに万、億、兆。。。と変化を繰り返すこと、
6395402812745のような数字でもマスに当てはめるとわかりやすいこと、
などを実感を伴って理解できると思われる。
しかし、子供たちはさらにそれを越えていった。
先生、余った紙を8マス下さい!
京まで紙をつなげたい!
左側につなげてマイナス億、マイナス兆もできるかな?
16マスの「大きな数のものさし」を作ればいいと思っていた担任に対し、
数の広がりを無限に広げていこうとする子供たち。
全く感心させられてしまう。
体力測定後の、
どこかけだるい感じは、
すっかり消えていた。… 続きを読む...
国語の教科書の巻頭詩「かがやき」。
わずか6行の詩。
まだ担任として駆け出しの頃は、
こんなたった数行の題材を
どう授業にしていけばよいのか
わけがわからないでいた。
しかし、何年生の教科書にもある
このわずか数行の巻頭詩は
国語的にも、学級作り的にも、児童理解的にも、個性発揮的にも、
欠かせないものだと思うようになった。
そして、今日も、
その思いを強くしたのである。
雲がかがやいている
林 の上で
みんなのほおもかがやいている
湖のほとりで
あ、今、太陽が
山をはなれた
この詩から飛び出した
子供たちの発言はこうだ。
(紙面の都合で段落や叙述の部分は割愛)
太陽は笑顔が絶えないようにしているんだ
笑顔は人の役に立つよ
悲しみもふきとぶよ
山から出てきたばかりのほんの小さな太陽でも元気がでる
自分も光らないといけないなという気持ちになる
太陽はチャレンジ、勇気、元気のみなもと
陽が昇ってくると毎日がんばるぞと思える
落ち込んでいても明るくなる
太陽は沈んでも、毎日昇るよ
笑顔があると助け合えるクラスになる
教室にも笑顔の太陽を
一人でも笑顔でないとみんなさびしい
今、太陽はのぼったばかりだが、これから世界中を光らせるんだ
国語の教科書の巻頭詩「かがやき」。
わずか6行の詩。
このわずか数行の巻頭詩は
国語的にも、学級作り的にも、児童理解的にも、個性発揮的にも、
欠かせないものだと思う。… 続きを読む...
呉羽山へのお花見。
これは、年間の行事予定表には決して載らない
毎年恒例の附属小行事の一つとなっている。
この日も
ぽかぽか陽気の中、
満開の桜のトンネルをくぐりぬけ、
呉羽山から富山平野を見下ろし、
雄大にそびえる立山連峰を眺めた。
不思議なことに、
満開に咲く桜たちの様子が
子どもたちの心をわくわくさせている。
テレビやゲームとはひと味もふた味も違う感覚で。
それは、例えば、
食卓にたくさんの手料理がならぶただそれだけで
にぎやかな気分になってしまうのと
何だか、似ていた。
不思議なことに、
眼下に見下ろす富山平野が
子どもたちの心をゆったりとさせている。
それは、例えば、
温泉の中に身を委ねるただそれだけで
心が溶けていくような気分になってしまうのと
何だか、似ていた。
不思議なことに、
目の前にそびえる立山連峰が
子どもたちの心を正しい方向に導いている。
それは、例えば、
愛情をそそぐ周囲の人がそばにいてくれるのを感じるただそれだけで
安心と希望が満ちあふれてくる気分になってしまうのと
何だか、似ていた。… 続きを読む...
今日一日、
思い出がこみ上げた離任式、
0.1秒でも伸びることを目指して走った50m走、
学んだことを発揮した学力テスト。。。
新学期は、
心も、体も、頭も、フル回転だ。
そんな午後、
係活動について話し合う。
新学期からまだ3日だが、
係が決まっていないというだけで、
あちこちに不自由さをみんなは感じているのだ。
例えば、
配り物はだれが配るの?
予定表はいつ書くの?
健康観察板は?
提出物は?
などなど。
係がなくなってみて、はじめて、
その常時活動の役割の大きさが身にしみるというもの。
そこで、まず、
係活動が必要なわけ、について考えることにした。
みんなの意見は、さすがだった。
係活動では楽しいことや苦しいことがあって、
それだけ係活動では協力しなければならなかったよ。
日直や先生の仕事を
少しでも減らすことができたよ。
集会とか読み聞かせとかクイズとか、
楽しいことを考えてくれるからクラスが明るくなったよ。
みんなで分担するから、
いろんな仕事が同時に進行していたよ。
人に頼らないでがんばる
強い心ができたよ。
誰かが一杯仕事をすることもなく、
誰かが楽をすることもなく、
けんかやいじめのないよいクラスになれるよ。
みんなの意見はさすがだった。
どの係に入るかばかりにとらわれず、
どのように取り組むかが大切だということを
みんな知っているようだった。
… 続きを読む...
はっけよ〜い、のこった!
わ〜わ〜(声援)
パチパチパチ(拍手)
今朝の4の1の前では、
人だかりの山ができていた。
その人垣の中心には、
ビニルテープで型取られた半径1mほどの土俵があって、
そこで、
ちびっこ力士たちが
名勝負を繰り広げていた。
押して押して押しまくる力士、
土俵際で上手投げを決める力士、
ぎりぎりまでねばって体ごと倒れ込む力士、
どの勝負にも、
回りで見ている者たちの方が、
熱くなっていた。
体の大きな子が、小さな子に手加減してあげていたり、
足が出たことを、セルフジャッジで申し出たり、
数回勝ち進むと、対戦を待っている次の子に譲ってあげたり、
倒れそうになると、みんなで壁を作ってぶつからないようにしたり、
そんなさりげない力士たちの気配りも
観客の一人のわたしの目を釘付けにした。
はっけよ〜い、のこった!
女の子:先生、わたしも相撲してみたい!
担 任:う〜ん、それは。。。ちょっと。。。
ビニルテープのおそまつな土俵。
その魅力は何なのか。
今日は、そんなことでも考えながら床につこうと思う。… 続きを読む...