今日は、勤務校で南極授業。
その中で、
「南極ではなんでも凍るの?」
という質問に答える場面を取り上げた。
その質問は南極に来る前からもらっていて
それにどう答えるべきか考えさせられた。
正解としては、たしかに凍るのだろうが、
ただ、「凍ります」では教育的ではないと
個人的に思ったからだ。
そんなとき、
偶然にアザラシのミイラに出会った。
おそらく何年も前からそこに横たわっていたに違いない。
南極では、
低温、乾燥、分解者が少ない、などの理由から
そのままミイラになってしまったのだと考えられる。
この写真はvol.87の通り。
また、別の機会には、
池の底にしずむアザラシの遺骸にも出会った。
それがこの写真。
これも昨年からずっと底にしずんでいるという。
これらアザラシたちを前にすると、
まるで時が止まったような錯覚に陥る。
いつここにやってきたのか。
いつからここでよこたわっているのか。
そんな思いがこみ上げてくる。
まるで時が凍ったように。
今、
「南極ではなんでも凍るの?」という質問には
「南極では時が凍ります」と答えたい、と思う。
そう思って、今日の授業でこの質問を取り上げた。“… 続きを読む...
今日の午後、
54次隊の海洋観測グループが
一足お先に昭和基地を離れ
「しらせ」に戻った。
「しらせ」は海氷に囲まれて動かなくなってしまう前に
向きを反転させ、帰路に向かう準備をする。
その前に、海洋観測グループは「しらせ」に戻って
帰路の海洋観測の準備をするというわけだ。
昭和基地から「しらせ」まではヘリで移動する。
ヘリが離陸する時刻が近づくと
基地内のそれぞれの観測場所や作業場所から
隊員たちが続々と集まり始めた。
もちろん仲間の見送りをするため。
いざ別れを前にすると
どことなくぎこちない会話しかできない。
昼夜を問わず仕事を共にし、
夜遅くまで語り合ったのに。
こういう光景も観測隊のもう一つの姿。“… 続きを読む...
「南極兄弟」は今号でちょうど100号となる。
だから、というわけではないが、
今回はSM100型の雪上車が話題。
きっと男の子は、こんな乗り物が大好きだろう。
100号記念ということで
写真をいっぱいのせておきたい。
ひとくちに雪上車といっても
昭和基地や周辺の各拠点には、
小型、中型、大型といろいろなタイプの雪上車がある。
中には、「水に浮く」「天井が開く」という雪上車もある。
海氷上を移動することが多い観測隊だが、
いくら海が凍っていると言っても、その下は海。
万が一にでも、クラックにはまってしまうと大変なことになる。
このタイプの雪上車は、そんな不測の事態にも対処できるよう、
しばらくは「水に浮く」ことができるらしい。
また、「天井が開く」ので上から脱出することもできるらしい。
ルート工作ができるまでは、このような雪上車が力を発揮するのだろう。
反対に、もっとも大きなタイプの雪上車はSM100型と呼ばれる。
近づいてみると、見るからに力強くて、頼もしい。
物資や燃料を載せたそりを引きながら
広い氷原を移動している映像を見たことがある方も多いだろう。
車内には、無線機が設置されていて、
観測器具もぎっしりと詰め込むことができるようになっている。
2段ベットもある。
座席の間にはテーブル代わりにできるスペースもある。
時速は10KMくらいだが、これで、およそ1000km先のドームふじ基地まで行くというから驚きだ。
1ヶ月ほどの間は、食事も、寝泊まりも、このSM100の中となる。
観測隊には、機械・車両を専門とする隊員がいるが、
入念に手入れをされているのがよくわかった。
先日訪れたS17ではSM100のお世話になったのだが、
近くで見ても足回りはぴかぴかだった。
みんなにかわいがられているSM100である。
“… 続きを読む...
ここに来て、
ぜひ自分のこの目で確かめたい
と思っていたものの一つが、
この第1次観測隊が建設した建物。
(そのことは昨日の南極授業でも話したところ)
厳しい自然条件の中で
それが現存していること自体が奇跡だと思えるのだが、
なんと、
それが時折、実際に活用されているというから、なお驚く。
53次越冬隊がこの棟の中で、とある会合を開いたというのだ。
その時の様子がこれ。
ある日、私が「ぜひこの棟の中に入りたい」という思いを
ある53次越冬隊員に伝えたところ、
「そういうことなら実際に使った写真もあるよ」
とデータを送ってくれたのだ。
聞くと、53次隊の日「53の日」を祝って
5月3日にこの会が開かれたという。
きっと、当時の苦労や観測隊の歴史を語り合いながら
至福の時を過ごされたことだろう。
ここに、あしくら五人衆の力が結集していたことは
おそらくは誰も知らないことかもしれない。
わたしは、この扉を開けて中に入り、
しばらくの間一人、当時の様子を思い浮かべてみた。
それはやはり、私にとって至福の時だった。
“… 続きを読む...
1月27日(日)富山大学黒田講堂で
南極授業「白夜の昭和基地から生中継」を実施。
富山では前日は大雪、暴風だったそうだが、
それにもかかわらず大勢の方々にご参集いただきありがとうございました。
ステージ上に登壇してくれたMさん、Sさん、Uさんありがとうございました。
ゲストでお越しいただいた3名の方々には、
第1次南極観測隊の歴史を知る貴重なお話と、
ふるさと立山と南極の繋がりを感じるお話をありがとうございました。
集まった子どもたちへ
どうもありがとう。
精一杯、力一杯、授業をさせてもらったけれど、
南極って、もっともっとすごいところなんだ。
あとは、自分の目で確かめてほしい!
観測隊員はよくこう言う。
「一人でも多く、ぼくらの研究のあとを引き継いでほしい」と。
こちらでは、なんとみなさんと同じ平成生まれの隊員(初)もいるんだよ。
(ひとりごと)
南極の魅力を伝えるには、
それをうけとめるだけの自分の度量のたりなさと
それを授業に仕立てるだけの自分の力不足さを
痛感した次第だが、
そもそも、
南極に初めてやってきた自分が
その仕組みや営みの前で
ただただ謙虚になるしかないという体験をいくつもしてきただけに
それも当然のことと、今は素直に思える。
さて、南極授業の昭和基地側の舞台は、実際はこんな感じ。
次回は、また新たな内容を加えて
富山大学附属小学校で実施する予定。
“… 続きを読む...
S17では、メンバーそれぞれが寝る場所が少々違っていた。
前回紹介した航空拠点内で寝た隊員、
後にご紹介する雪上車内で寝た隊員、
そして、この橇宿(キャンピングカーのようなそり)で寝た隊員。
私は、この橇宿で過ごした。(といっても寝るに帰るだけだが。)
この橇は、外見が鮮やかな緑色をしていて、
日頃、植物など一切目にしなくなった私たちの目を休ませてくれた。
風貌も、どことなくヨーロピアンな感じ。
中には、2段ベットが8人分。
暖房や電源まである。
隊員たちが内陸に調査にでかけるときは、
きっとこれを雪上車でひっぱりながら何日も移動するのだろう。
久しぶりの日没と日の出を
深夜まで観察しようとしていたので、
このベッドにもぐりこんだのは、
もう朝方に近かったっけ。
お知らせ
明日、ここ昭和基地と富山大学を結んで
南極授業「真夏の昭和基地から生中継」を行います。
お時間のある方は、ご家族、お知り合いの皆様お誘い合わせの上
ぜひお越し下さいませ。
情熱的な観測隊員たちの姿に触れて、富山の冬の寒さを吹き飛ばそう!
南極授業「真夏の昭和基地から生中継」
日時:明日 1月27日(日)午後2:00〜(午後1:30開場)
場所:富山大学黒田講堂(富山大学の正門を入ってすぐ)
対象:0歳児〜一般まで 入場無料
その他
特別ゲストの登場!対談タイムも
抽選で南極グッズいろいろをプレゼント!”… 続きを読む...
南極というところでは、
南極に基地を持つ複数の国々が共同で研究をしたり、
研究者同士が交流して研究をより幅広く行ったりすることがある。
S17という場所は、かつて
そんな国々に対して燃料の補給や物資の調達に協力する
国際空港のような航空拠点になっていた。
したがって、S17には、
その航空拠点にふさわしい滑走路や建物が必要だったという。
たしかに、ここは滑走路にはちょうどよい平坦な場所に見える。
この航空拠点の見所の一つはこの建物だろう。
全体がジャッキアップ式の構造になっているのだ。
建物の下にある程度の空間をつくって
そこに風を流せるようにしておくことで、
ドリフトができにくくなるという。
これがなければ、
すぐに高さ数メートルにもなるドリフトができて
建物は雪の下に埋もれてしまうのだ。
建築物にも、科学の目が向けられている。
“… 続きを読む...